【第5章|宴も勇き名を連ねて】〔第5章:第2節|願われた正義のために〕

 世界大戦時のことを『ヒトガタ大戦』と呼称するため、今回の件は『針子村戦争』と名付けられた。
 〈四宝ソレット〉の春のヴァイサーは、一人ではなかった。エィンツァーが二人、背後から後を追うようにして、付いていた。
 現れた春のヴァイサーは、的確な指示をして針子村を事後処理へ。
 ――秋のヴァイサーの遺体を見ると、丁重に扱うように言った。
 夜が開ける頃には、〈ソレット〉たちの協力で、大量の樹々を西まで運び、マジョガタの破片は全て地下へ――外から見れば、半壊しただけの村を造り上げていた。幸か不幸か――元々、人目を気にする必要はないほど、山奥ではあったが。
 〈十字ソレット〉も作業を――『サバト戦争』の後片付けと同じように、〈ソレット〉として必要なことに手を貸した。他の〈ソレット〉は気を遣ってくれたが、剣のヴァイサーが動き出したら、エィンツァーたちも続いた。

 ――三日後。

 山に囲まれた田舎町の――ちょうど端にある、田舎集落の、少し奥。
 尾根が目視できる程度の、小高い山に少し入った所に。
 ――森に隠れた、小さな教会があった。
 ひと昔前、金持ちの道楽で造られた観光用の教会だった。雰囲気と別荘感覚で建てられた教会であったが、建てた本人がその後急死し、本人が葬式をするハメになったという、何ととも皮肉な場所。造られた当初は他の観光地と同じく、一気に客が訪れたが――特に珍しいわけでもないただの教会であったため、一気に客足は途絶え、その存在は忘れられた。インターネットの情報ではもう、閉鎖したことにすらなっている。
 ――しかし、式場としては使えたため、宗教の一派が教会を買い取り、ここ何十年かは細々と、運営を続けてきていた。自由に訪問も可能だが、式や礼拝も行われ――近くに住む者たちが極々稀に訪れるような、憩いと言えば憩いの場所に。
 ――しかし、今日は立ち入り禁止だ。敷地の入り口には、鎖と三角コーンと看板が建てられていた。
 看板には『紫花下教会しかしたきょうかい』――と書かれていた。
 その先に、ワインレッドのSUVと白いバンが停まっている。
 停車した車の前を、田舎にしては珍しい――若い修道女が駆け抜けた。
 白い肌と明るい茶髪、そばかす――西洋の映画に出てきそうな、田舎者の顔のパーツだったが、顔自体の造形は、この国の者のであった。細い腕で、履き物の裾を持ち上げながら、教会に入る。
 木目を基調とした、小さな教会――正面には、質素な図形模様のステンドグラスと、その下には祭壇。十列ほど並んだ長椅子と、その左右には、森の木枯らしを防ぐ白い壁――森の木漏れ日を入れ、教会の中を茶色く輝かせる小窓が並ぶ。
 入ってすぐ左に、恰幅の良いひと回り齢の高い修道女が、若い女に手招きしていた。足早に向かい、そのまま隣に立つ。二人は祭壇を向いて手を組む。
 二人の視線の先――祭壇の前には、男女が円陣を組んでいた。全員が全身黒の、フォーマルな格好だった。
 若い女は肩で息をしながら、小声で尋ねる。
「ななっ、何でこんな、忙しいんですか?」
 元気顔の主婦のような修道女は、小声で言い返す。
「おかえり。――時々来る、秘密のお得意様だ。……あんたは今日初めてだろうけど、覚えとくと良いよ。そのうちまた来るかもしれないし……いつも、葬式だしね」
「めっ、珍しい、ですね……なっ、何で、お葬式ばっかり……?」
「しーっ……。その辺は『ゆるし』と一緒さ。――口を閉じて、誰にも言わないことだよ――それが、毎度の依頼だ。あんたも黙っときな」
「そっ、そうなんですね……。裏にいた、わっ、和服の方々は?」
「それも同類――お得意様の連れ、だよ」
 二人の修道女に、男女の一人――濃紅色の髪の女が向いて、頷いた。
 先輩修道女に従い、若い修道女も一礼する。

 棺には、十字剣が一本、寝かされていた。
 それは最後にガンケイが持っていた、彼の剣だった。
 ――ソウガの遺体は、回収できなかった。
 破損箇所が多過ぎる上に、一部魔物との結合が見られた――さらに言えば、原型を留めていなかった。発見しても、〈四宝ソレット〉の管轄であった。
「――哀しいよね」
 キキが言う。
「一緒に戦おう、ってなってから……まだ二年だよ」
 肩の力を抜くような溜め息――隣に立つクフリが、静かに告げる。
「もっと、先があった。可能性も、未来も――力も」
「同意。――経験を積めば、良い戦士になれた」
「――褒メ過ギジャネエか?」
「貶してもしょうがないでしょ。あんたよりはマシよ」
「それは言えてる」
「……い、良い人、でした……本当に……」
 剣のヴァイサーが、棺から顔を上げた。ゆっくりと口を開く。
「――君たちにもそうだったが……彼を初めて誘ったとき、私は――『君の正義を体現しろ』と言った」
 それは、決まり文句ではなく――意志を示せという、グレンの本意であった。そして。
「――彼は今回、それをやり遂げた。あの場にいる者たちを護った。我々の矜持を――その過去を――〈いろは士陣隊〉の意志を継いで」
 グレンは息を呑んだ。
「我々は――常に、そうだった。正しき行いをした者から……無情にも死が速く――祈りや願いは、常に届かず……矜持さえ、救う力はない」
 誰も、何も言わなかった――言えなかった。
 誰よりも――彼よりも腕の高い戦士たちは、言葉にすることはできなかった。
 懺悔でも、贖罪でも、告解でも――意味を成さないが故に。
「剣のヴァイサーとして――罪の意識がないわけじゃない。私はこれまで失った――戦死した者たちを……そのヴァイサーとエィンツァーを、一人残らず覚えている。君らもそうだと思うが、この場においては、私が一番歴が長い以上、その数は一番多く――それだけの別れと、それだけの巡り合わせを得て来た」
 グレンは続ける。
「今が最高だとは言わない。昔が良かったとも言わない。私たちは『正義の天秤』。そのための剣だ。――『剣に正義を、天秤を均せ』――この言葉が、常に我々を纏わり付く。正義の戦闘には……常に、生と死の代償が伴う。これは私の――我々の原罪だ」
 ただ静かに、小さな声が響く。
「落ち込むなとは言わない。私も哀しい……。この喪失感は、以降消えることはない。未来永劫――たとえ〈ソレット〉を辞めたとしても、一生背負うものだ。時間によって、灰を被り、埃を被り、その全容が見えなくなって、思い出すことができないほど、どれだけ風化しようとも――ある日、ある時、ある瞬間に……不意に思い出し、突如として、私たちを感傷で満たすだろう」
 短く息を吐き、その瞳には十字剣が映る。
「それでも……それでも、明日か明後日か明明後日か、私たちはこれまで通り――『正義の天秤』として、十字剣を振る日々に戻る。その本数は少し減ったが、これ迄通り、生と死に向き合い、正義と戦場へ進み続ける。だから――」
 グレンは言葉を切り、全員を見渡す。
「だから、折れるな。傾くな――我々の――かつての我々の『正義』のために、死した者たちがいることを忘れるな。――村を乗っ取り、村人を造り変え、化け物を創り上げた巨悪を――二人の戦士が命を懸けて、その悪事を食い止めたことを」
 棺の十字剣に、陽光が当たる――今日はよく晴れた日だった。
「――彼に傾いた天秤は、今はもう、確かに均された。――その事実が、我々の誇りだ」
 それは――その事実は、確かな――エィンツァー・ソウガの『正義』だった。
 そういうもので、良いことであった。
「遺志は、我々に残る。故に、常に――我々は」
 グレンの顔にも、陽が差して。
「――死力を尽くして、剣に正義を――これからも、天秤を均し続ける」
 棺の中の剣。
 ――その持ち主は、棺に入ることはない。

 快晴の下――春風が枝葉の隙間から抜けて。
 「魔」の存在の片鱗も見せない、穏やかな午後であった。
「秋のヴァイサーの葬式は? 退屈過ぎて、抜け出してきた?」
 教会の外壁にもたれ掛かり、シダレはクルキに訊いた。冬のヴァイサーは、白い着物を着ていたが、帯まで真っ白だった。冬の民の礼服なのだろうが――死装束のようだ。
「――昨日だ。伝統に従い、秋の郷で、秋の民だけで」
「薄情ね。『四季人』って、仲間意識とかないの?」
「状況の問題だ。ヴァイサーが死んだら、普通は他のヴァイサーも出向く。――だけど、今回任務は事後処理が大変なんだ。今頃リウワンとメハが、動ける『四季人』を引き連れて、あっちゃこっちゃの後片付けをしてるはずだ。――葬式を総出でやってる暇がねえ」
「――春のヴァイサー、来るの早くなかった?」
「嗚呼――相手が魔女だと分かった時点で、報告はしてたからな。展開が読めなかったから、報告だけだったが……ま、ある程度の察しはついてたんだろうよ。一年前は散々だったし――〈四宝ソレット〉のヴァイサーとしては、看過できなかったんだろうしな」
 ファンショのショックを引き摺る様子は無く、クルキは「そう言えば――」と。
「お前、連絡先寄越せ」
「……なに? あんたも、クフリと同じで女好きなの?」
「違えよ。――『人外』登録だ。仮だが」
「嫌」
「……冗談だ。――でも、真面目な話……〈四宝ソレット〉の人員不足が致命的になったからな。お前の才能は役に立つ――考えておけ」
「あっそ? ――気が向いたら、ね」

「――てなわけで、どうよ」
「う~ん……嫌」
 生い茂る枝葉の下――近くのせせらぎを見下ろす、ダンガとキキ。拒否されたダンガを見て、クフリは鼻で笑った。
「タイミングが酷いんじゃない? ――葬式の日は最悪でしょ」
 クフリはそう言ったが、キキは首を振る。
「いや~……興味がないかなぁ……」
「ちぇっ……お前はどうだ? 実力によっちゃ、歓迎するぞ?」
「止めとくわ。昔は……多少は興味あったけど、今はここにいるべきだもの。私の居場所は〈十字ソレット〉よ」
「ぉお~? よ~く言った~!」
 キキは喜びを見せ、クフリに抱き付く。
「ちょっと……葬式中だって。あの世で二人に怒られるわよ?」
 キキは構わず頬擦りを――クフリも、満更ではなさそうだ。
「だ~い丈夫っ! 恨み言なら、たぶん魔女に言ってると思うよ。 ……もしもあの世があるんなら、二人は天国かな? それとも地獄?」
「さあ…………。でも、言われてみれば、確かに――魔女がいるんだから、天国や地獄くらい、ありそうな気がするわね」
「『マジョガタ』になった村人に謝ってたりして」
「それはそっちの自己責任でしょ。弱いのが悪いのよ」
「――ソウガに、おんなじこと言える?」
「言えるわ。言いたくはないけど」
「ひど~い……」
「貴女にも言えるわよ? ――是非言いたいわ」
「ひど~い‼︎」
 キキはクフリの脇腹を突き、クフリがし返す。
「――何を見せられてんだ……?」
 そう言ったダンガに、通りすがりのバンキが。
「ウチのニ手ェ出すのは、諦メな。……その二人は特ニ、だ」
「勧誘じゃねえよ。試験的に――」
 バンキは言い去って行った。ダンガは溜め息を。

「――ダンガに勧誘された?」
「インや。なンかはシテた――すンなよ、ッテ口挟ンだだケだ」
「す、すごいです……ね……勧誘……だなんて……」
「ドンソウの無敗記録を見れば、他の〈ソレット〉も勧誘に来るよ」
 ドンソウとガンケイの側に――二人はテラス席のような、背の低い椅子に座り、机を挟んでいた。
 二人の前――机の上には、数枚の紙束。麻のような材質の紙に、微小な光沢を含むインクで、計算式と図形が幾つか。
「ンだ、そレ?」
 バンキが尋ねると、ガンケイが。
「さっき、シンザンが持ってきた。――あれだよ、明後日のやつ」
「明後日? あレか……沈メる奴か?」
「そう――明後日の夜。……何もなければ、針子村は――人目に付かない内に沈む」
 ガンケイは何枚目かを捲り、紙束の一番上に。
 方角を示す印と、大きく書かれた『北の岩崖』――矢印が一定方向に。
「……い、岩崖を……壊すって……ほ、本当に……で、できますか……ね…………?」
 その図を見て、ドンソウが心配そうに言った。バンキは隣の椅子に座った。
「――クルキが言ってたでしょ? あの岩崖は『頑丈だけど壊しやすい』って。――横穴に沿って根元を崩して、そのまま村を跨ぐように倒す――。結果、岩崖が何かの拍子に崩れてしまって、たまたま村人たちが巻き込まれて、さらに地盤も沈んじゃった――ちゃんちゃん。だよ――これで針子村の問題を、完全に終わらせる」
 自分の手柄のように語るガンケイ――確かに、昨日一昨日の計画立案にて、多少は頭脳を貸してはいたが……。
 ――実行は〈夜桜〉がメインとなり、〈四宝〉の指示にて、進行される。
「――わざわざ花のヴァイサーが来るなんて、大袈裟な気もするけどね」
「ヴァイサーが二人も死ンデンだゼ? 針子村のことも考エリャ、来るのが必然だろ」
「……わ、私たちは……どう、する……の、ですか……?」
「明後日に村に行く――時間指定はないよ。夕方までに到着すれば、どうでも。――他の〈ソレット〉が気を遣ってて、特に具体的な指示もない。警備も見張りも、全部大丈夫だって」
「――至レリ、尽くセリ、だな」
「またマニアックな日本語を覚えて……。いい加減、発音の方鍛えなよ」
 バンキはヘラヘラと笑った。

 椅子もテーブルもなかったが、テラスと呼べそうな場所はあった。
 小高い地形に合わせて、突き出すように造られたウッドデッキ――その柵に手を置き、グレンは森を眺めていた。
「警告。――飛び降りるなよ」
 背後から現れたメイロが、隣に来る。グレンは小さく吹き出す。
「……それだけは絶対にないから、安心しろ。――彼らの分も生きなければ」
 視線を下げると、沢が見える――背後の奥で、クフリやキキたちのいる場所から、流れ続いているものだ。
「――力不足なヴァイサーだと思うか?」
「否定。――微塵たりとも。お前はよくやった。今回の件は……お前の所為ではない。誰かが、何処かでやらねばならんことだった。自覚があるはずだ」
「……全くだ。憎らしいほど――正しいことを成したと、思ってるよ。……命が二つ、終幕を迎えたが」
「継承。――最善的だった。彼らの物語は、俺たちが引き継ぐ」
 グレンは振り返った――教会の裏手に屯する、それぞれのエィンツァーたちを見る。
「常人にしてみれば病気だろうな――。『正義』だなんて……誰か死ぬ度に、安い言葉に聞こえる。そんなはずはないって理解してるのに、だ」
「必要。――少なくとも、〈ソレット〉はこの世界に必要だ。『ヒトガタ』や『マジョガタ』のことを考えれば、特に」
「そうだな。そうなんだよ。……私は止められないし、止まらない。君も、他の者たちもそうだ。分かっているだろう? ――次の天秤のヴァイサーが、必要だ」
 天秤のヴァイサー・アンテツ。
 死んではいないが、入院中であり、妻子ある彼は引退を考えていた。
「同意。――順当であるならば」
「私は君に……苦痛と生死の責任を、強いらなければならない」
「賛成。――大した問題じゃない」
「本当か? 断っても、追放したりしないぞ? ――ヴァイサーには、ヴァイサーの孤独がある」
「理解。――アビサス、クアル、レンゲン、トイタ、キメン、キグンナ、ソウライ――そしてソウガ。――全員立場は違えど、失った者たちは大勢いる。遺された者はそれに報いるべきだ」
「その選択を、私とできるか?」
「承知。――そして、『正義』の裁定を。いつか誰かが、やらねばならん。今の俺で、問題ない。それとも、票でもとるか?」
「満場一致で君になるだろうな」
「了承。――なら、それで良い」
 グレンは、メイロに手を差し出す。
「これからよろしく――天秤のヴァイサー・メイロ」
「快諾。――任せろ、剣のヴァイサー・グレン」
 メイロはその手を取り――上腕を掴み、ヴァイサーの握手を。
「――ふた枠、空きがある。誰かをスカウトしないと」
「提案。――一人、めぼしい者がいる」
「……早いな」
「推薦。――少し前から待機状態だ。女で、性格が多少気難しいが……戦力は高い」
「戻ったら、詳細を」
「了解」
 午後の暖かな日差しが、教会の十字架を照らした。
 穏やかな昼下がりだった。

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