【第2章|{奇襲劇:The Accident}】〔第2章:第4節|憂いの乙女〕

 Once upon 或る time所に

 まあ昔とは言っても……ここ数年の話ですが。
 とても仲の良い、魔女の姉妹がおりました。
 姉妹は両親も魔女であり、そのまた両親も――そのまた両親も、魔女でした。
 当然ながら「魔女」として育ち、立派な大人の魔女になりました。
「――それ長い?」
「シダレ」
「だって面倒――」
「まだ閉じてろ」
 栗鰓餡菜は、シダレとグレンにニッコリと微笑み、再び口を開いた。

 姉妹は人間の学校に通いましたし、魔女の学校にも通いました。それはもう熱心に勤勉に。
 卒業後はそれぞれ、自らの才能を活かす道へ――嗚呼、勿論魔女社会の話です。道は違えましたが、お互いは支え合い、社会貢献に務めていました。

 ――そんなある日、知人から、
「――『サバト』を開く計画がある。良ければ手を貸してくれ」
 とのお話を頂きました。

「――『サバト戦争』の生き残りか……」
 苦々しげにクルキが呟いた。反して、軽々しくシダレが訊く。
「殲滅したんじゃなかったの?」
「死体の偽装くらい、魔術がなくとも簡単ですよ? それに、あの惨状では、一人二人姿を消そうとも、気づかれることはなかったでしょうし。――現に、そうでしょう? それよりもあなた方は、あの一件を『戦争』と言うのですね? 私にとっては『同族の大量虐殺事件』ですが……」
 栗鰓餡菜はニッコリと微笑む。

 ――『サバト』について、少しだけご説明をしましょう。
 そちらのお三方のような人間たちが、科学や情報技術によって文明的な発展を見せたのと同様に、魔女にとっても魔法や魔術の発展があります。私たちの祖先は、古くは人間の搾取や餌食に見舞われた時期もありましたが、現代社会において、そういった事例がほぼないというのは、人間の差別意識が薄まったということもありますが、魔女自体の生存力が上がった、とも言えるでしょう。
 ――しかし史実と現実にあるように、この星は――現代の社会文明は、実に人間に優勢的な環境となっており、魔女は陰で生きることを強制されています。
 誤解はしないで頂きたいのですが、この事実に関して、あまり遺恨はありません。私たちの先祖が社会の主導権を握らなかったのは、それなりの理由があったからでもあり、人間の畏怖に対する過剰防衛癖は、歴史においても早い時期で、祖先たちも理解していたでしょう。上位存在への畏怖は、生命にとっては大前提ですので。
 そして『サバト』は、魔女の社会を発展させることにおいて、とても重要で、とても重大な儀式です。詳細な手順は省きますが……異界の魔物を召喚することで、魔女の種族としての強度を高める――謂わば、生存戦略です。

「――その生存戦略とやらは、異次元と繋がる扉を開きっ放しにして、無数の魔物が往来し、生け贄を要したり、『越界現象えっかいげんしょう』を引き起こしたりする。現実的な危険度が高い上に、無数の大問題を引き起こした挙句、あらゆる種族の存亡を揺るがす。――故に、中止するよう持ちかけたはずだ。それも丁寧に対話を以って、だ」
 栗鰓餡菜はクルキを見る。微笑みは保たれているが、瞳の奥は深い暗さを持っている。……ソウガには、そういう風に見えた。

「ええ、そうですね……。どこからか話を聞きつけた謎の種族が、私たちの綿密な計画を邪魔しに来ました」
 それはとても――とっても高圧的な言い分で。
『全員無条件降伏し、傘下に入れ』
 と――実にご丁寧でした。

 ところで、魔女という生き物についてですが――本質的で本能的な「知的生命」です。
 近似種である人間は「三大欲求」というものを抱えています。食欲、性欲、睡眠欲――魔女はそこに、「知欲」が加わります。
 好奇心、知識欲、探究心――種族的な本能として、そういった傾向と性質を、生まれながらに持っています。
 ――つまるところ人間と違い、「群」ではなく「個」であることが推奨……というか、向いています。種族全体の組織力も確かに優れてはいますが……その能力は、本来「個」によって存分に発揮されるものです。
 例外として「個」のために、儀式や集会が計画、実行されます。

「やっぱ長いじゃない」
「シダレ」
「――退屈でしたか? 因みにお聞きしますが、『シダレ』というのは本名ですか?」
「いいや、あんたに死が垂れるって意味よ」
「……私に合わせて名前を変えたのですか? 大変ですね」
「話を戻せ。さもなくば、オレらの苦労を身に染みて知ることになる」
「まあ、穏やかではありませんね……」

 ――どこまで話しましたっけ?
 嗚呼……そうです。儀式や集会――魔女にとって、これはごく稀です。
 「個」を重んじる魔女にとって、勧誘自体も極めて少なく、あったとしても受諾するかどうかはまた別の話です。可能性というよりも、これは好みの問題ですが。
 しかし、今回『サバト』の話を持ってきたのは、私たち魔女の中では、とても権威のある方でした。彼女はとても種族を重んじており、その才能を――魔女としての器と、聡明な知恵を持ち合わせていた、素晴らしい人格者です。
 ですから、私たち姉妹は同意しました。
 共に慎重に、綿密に計画を立て、わざわざ「魔女」の歴史が殆どないような、星の反対側の島国を選び、正規のルートで――わざわざ「飛行機」という人間の道具まで使い、足を運びました。小さな町に集い、人知れず儀式を完了させる――そういう計画でした。人間にも人間以外にも、誰にも迷惑はかけない。目立たず――――ですが何故でしょう?

 戦争になりました。

「…………」
 栗鰓餡菜から初めて、笑顔が消えた。無垢で静かで、殺意にも近い絶大な憎悪が、クルキに向かう。
「……あとはよくご存知でしょう? 準備をしていた私たちを襲撃し、ひたすら殺し合いの狂騒が始まりました。――その騒動の中で私の姉は致命傷を負い……私の腕の中で、命を落としました。私は生き延び、この村に流れ着きましたが……同胞たちは死体に至り、帰る方法を失った私は、今は独り、この村で余生を過ごしています」
 栗鰓餡菜は紅茶を飲み干し、カップをソーサーの上に置いた。

「おめでとう。生きてて良かったね。……で? 何が言いたいの?」
 シダレは不満そうに言い放った。長話を嫌うシダレにしては、耐えた方であった。
「少し落ち着いてくださいな。良かったら紅茶のおかわり……は、いらないようですが」
 紅茶のカップに手をつけていたのは、栗鰓餡菜一人だけだった。笑顔に戻った魔女に対し、グレンが表情を変えずに訊く。
「余生ってのは……ウェイトレスか?」
「ええ。小銭を稼ぐのは、別に悪事ではないでしょう?」
「嘘だな――」
 クルキが突き付けるように。
「知欲の化身が、ただのウェイトレスで終わるはずがない」
「……非道い偏見ですね。まるで人間みたいです」
「冗談じゃない。だが、浅い言葉を言う気はないが、オレたちはお前らと同じ境遇にある」
「ご冗談を。近似種が人間といる理由は、癒着か迎合の果てで、です。どちらで?」
「協力関係だ。その昔は確かに、オレたちの祖先も人間たちに苦しめられた。だが現代では、オレたちはその楔として、人間も人間以外も苦しまずして共生できるよう――」
「私たちを殲滅した? 実に立派な共生です。まだ存在していることが、不思議なくらいに」
「……どういう意味だ」
「人間の歴史を知らないのですか? 圧政は常に滅ぶのですよ」
「そういう話じゃない。オレたちは人間も『人外』も、各々別の現実で生きられるよう、この世界の『境界』を、明確に線引きしているに過ぎない。お前らは儀式に関して説明も意思表示もないまま、勝手に敢行した。だから惨状となった」
「人間たちも科学躍進は勝手にしましたよね? 誰かに許可を求める必要が、お互いにあるとでも?」
「現代社会では――そしてこの国では、な。オレたち〈四宝ソレット〉がお前らのような人外種と、そして人間社会を――『境界』を護ってるんだ。魔女だってこの国では、既に数名が同意している。そうやって、お互いの発展と安全を保っている」
「アア……〈四宝ソレット〉。長らく聞いて来なかったのですが、確かに、そんな名前の組織でしたよね、あなた方は。――そして私たちに詳しいのは、白き者の裏切りによるのですね。なるほど。納得です」
 ――やはり、人間らしい。
 栗鰓餡菜は、紅茶を飲もうとしたが、飲み干したことに気づいた。ティーカップを置くと、二本の指を、今度は背後――厨房へ向けた。
「でしたらこれを見ても、別に驚きませんよね」
 今度は視認できなかったが、何かが作用したのだろう。
 厨房にいた男が、暖簾をくぐって出てきた。料理人と思われる全身白い格好をして、手にはティーサーバーを持った、中年ほどの男だ。ソウガは勿論、全員が警戒する中、男は栗鰓餡菜のもとに来ると、黙ったまま、空のカップに赤茶色の液体を注いだ。
 男は顔を下げていたが、下から見たその瞳は……光がなかった。
 意思がなく、死んだように虚ろで――栗鰓餡菜が再び二本指を振ると、それ以上のことは何もせず、厨房に戻っていった。
「――『マーインドゥリス』を使ってるのか?」
 クルキの言葉に、持ち上げていたカップが止まる。
「本当に随分と……私たちにお詳しいようで」
「マーインなに?」
 シダレの言葉に、栗鰓餡菜は答える気がないよう、新しい紅茶を啜る。その様子を睨みながら、代わりにクルキが告げた。
「魔術の一つ、『精神干渉術』だ。――生物を奴隷に書き換える、趣味の悪い魔術だ」
 栗鰓餡菜は、ソーサーの上にカップを置いた。
 精神干渉術――つまり、洗脳? それは……それは、『正義』に反する。
「正確には、もう少し汎用性のある魔術ですが」
「『精神干渉術マーインドゥリス』は、手間と労力がかなり掛かる。ただのウェイトレスにしてはやり過ぎだ。――目的は何だ? 復讐か? にしては手が込んでるな」
 栗鰓餡菜は首を横に振った。
「先ほどの話を、もう少しだけ細分化しましょう。……厳密には、『サバト』に勧誘されたのは姉の方だけです。私は、『サバト』に適した魔術の才能は持ち合わせておりませんでしたので……。ですが姉妹でしたし、手伝いや補助役として――言うなれば付き添いという形で、この国に来ました。今回の『サバト』においては、私はそれほど恩恵を受ける立場ではなかったために……姉はともかく、姉の知人が数名死のうとも――先ほどは同胞と言いましたが、実はそれほど気にしてはいません」
「なら――」
「――ですが、私はあなた方に興味があります」
 栗鰓餡菜は大きく笑みを浮かべて、言い切った。
 クルキは怪訝に、その不敵な笑みを見返す。
「――興味?」
「ええ。――季節を司るという、謎の種族……そのような未知の研究対象は、この現代社会において、滅多に遭遇できません。是非とも、色々と調べてその全容を――あわよくば、私たちの生存戦略に活かしたい――それが言うなればの目的です」
「要は、復讐だろう」
「厳密には、違います。私がこの村に住み始めてから、定期的に妙な来訪者が現れることは、早い段階で気づいていました。ええ、そうです――あなたや秋の彼のような、季節の匂いを纏う者が、です。この村に住まう者として、そして一人の村人として、不審者の調査は……種族が少し違いますが、一種の生存戦略になりますね」
「情報が欲しければ、オレたちと協力関係になれば良い。登録すれば、互いに協力し、安全な生活圏内の中で、お前らの絶滅を回避する手助けもできる」
「楽しそうな申し出ですが、サンプルが既にあるので、研究材料は充分です。――彼は従順ですし、もっと深くそうなる予定です。交流するよりも、自主的に喋らせて、分解して解析する方が――喋る内容を取捨選択されるよりも、従わせて実際に視た方が、遥かに効率的に情報が得られます。それに――」
 ――下等生物が高圧的なのは、あまり好きではありませんので、と。
 紅茶を飲む栗鰓餡菜。
「ですので、彼の返却がご希望でしたら、解析が終わるまでお待ちください」
「――それは宣戦布告か? それともまた冗談か?」
「至って真剣に話していますよ? 住所を教えて頂ければ、色々と済んだ後、ある程度元の形に組み直して、郵送致します。この国の郵便システムはとても優秀だと聞いてますので」
 不敵に微笑む栗鰓餡菜を睨み付けながら、クルキは左手をカップに翳した。目の前に置かれていた手付かずのカップは、ソウガにも感じられるほどの冷風を受けて、ソーサーごと円卓を滑り、栗鰓餡菜の再び飲み干した、空のカップの隣に止まる。カップの中身は、冷え切った茶色の固体となり、表面には霜が張り詰め、湯気ではなく冷気が上がっていた。
 冬のヴァイサーは、深く息を吐く。
「今すぐにファンショを返せ。じゃなければ戦争だ」
 栗鰓餡菜はニッコリと笑い、クルキがしたように、凍り付いたカップに手を翳す。
「彼の名前は、ファンショ、と言うのですか。――戦争、戦争、戦争……」
 再び、クルキの方へ滑るティーカップ――霜は消えていき、固体が液体へと変わり、やがてその表面には、小さな泡が弾け、湯気が上り始めた。
 ふつふつと沸き上がり、ぷつぷつと。
 沸騰した紅茶の入ったカップが――その熱々のソーサーが、クルキの前で止まった。
 ぐらぐらとぐつぐつと。強い感情が込められているように。
「前回と同じようにですか? 利口であれば、今回は違うと――」

「――あんたら、めんどくさいわ」

 マズい――と思ったが、対岸の位置に座るソウガに、できることは何もなかった。
 ソウガの視界の左端でシダレは立ち上がると、沸騰していた紅茶のカップ――その取っ手を掴み、栗鰓餡菜に向かってその中身をぶちまけた。「シダレ!」――グレンの叫びも意味はなく、文字通り――一辺の流動となった液体が円弧を描き、飛沫を含むその全てが、無造作に栗鰓餡菜に被さる。顔と胸付近が、赤茶色に浸食され――水滴が垂れる音が続く。
「――口は開いてないわよ」
「いや、『めんどくさい』って言ったろ」
 ソウガはツッコみは遠く、シダレはその視線を、ソウガの頬に向けて言い捨てた。
「これは昨日の、あんたの分よ。――実質、あんたがやったの。そのお返しよ」
 乱暴な言い訳であった。……勝手に返されてしまった。
 鼻息を短く鳴らすと、シダレは椅子に座り直し、栗鰓餡菜を見下すように、睨み付けた。
「空中戦、めんどくさくて嫌いなの。わたしは仏より寛大だから……あと三回までは、待ってあげられるわ」
 魔女は固まった作り笑顔のまま、顎先から雫を垂らしす――ゆっくりと深呼吸を一回。
「…………短絡的ですね」
 ――少し、高い声が聞こえた。それは、栗鰓餡菜にしては、妙に似合っていない声だった。聞き間違いかとも思ったが、そうではないとすぐに知ることになった。
 滴っていたのは紅茶だけだったが。
 同時に蒸発するように、紅茶色に濡れた肌が、少しずつ溶け出していた。
 健康的だった肌は消え、真っ白で肌理の荒い肌が露わに。その鼻はもっと高く細く、瞳の色はダークブラウンから、明るく輝かしいライトイエローに。
 バンキとは対極的な、異国の顔立ち――僅かな面影はあったが、別人のもの。
 いや――本人のものだ。
「――アア……勿体ない。これ、造るの結構手間が掛かるんですよ?」
 栗鰓餡菜よりも、白く細い肌の手で、自分の顔を確認する魔女。
「ちょっとしたハプニングで剥がれる方が悪いのよ。――カスみたいな魔術ね」
 平然と言い放つシダレ――「剥がれる」という表現は、適しているように思えた。
「外国人がここにいるのは、目立つばかりですから」
 魔女は作り笑いを解き、苦笑する。
「……まあいいでしょう。改めまして――」
 魔女が首を振ると、焦げた紙が崩れ散るように、ウェイトレス衣装が解け、その下からは、フードマントが現れる――そのマントの襟元から、レモンイエローの長い髪が溢れた。

「――ワタシの本名は、グリベラ・アンバー・ウォーレンと言います」

「わぁ格好良い。――仰々しい名前ね。クソ女、とかでいいじゃない」
「死が垂れるなんて、物騒な名前よりはマシかと」
「顔はクフリが好きそうだけど……魔女だとしても基礎ステータスが雑魚ね。残念でした」
「……何を仰っているのか、よくわかりません」
「おつむが足りないんじゃない? 知欲の化身? ――自己啓発本買って満足する阿呆どもと一緒じゃない」
 四人に向き合う、栗鰓餡菜改め――グリベラ・アンバー・ウォーレン。その笑顔は、妙に鋭く見えた。
 グレンは黙ったまま手を伸ばし、シダレを制する。
 グリベラ・アンバー・ウォーレンは、鼻から深く息を吸うと口からゆっくりと吐いて、白い五本指を伸ばし、それぞれ胸の前で合わせた。
「――空中戦が嫌い、と仰いましたよね?」
 グリベラ・アンバー・ウォーレンは、シダレを見て言う。当の本人は鼻を鳴らした。
「では、空中戦ではないことを一つ、お教えしてあげましょう」
 グリベラは作り笑顔ではなく、
「先ほどは言い逸れまして……」
 本心からの笑顔――残忍な嘲笑を浮かべて。

「――ワタシは、三姉妹の末です。下の姉は『サバト』で命を落としましたが……長女は今、散歩に出かけたみたいですよ?」

「――ァッ……クッソ‼︎」
 『基本戦闘服ステータス』の左半身が砂利の地面に引き摺られる。断続的な振動に耐え切れず、バンキはそのまま弾かれるように転がり続けた。
 小さな鈍痛を無数に受けて止まい、十字剣を持つ全身――かなり強く蹴り飛ばされたと思ったが、骨折はおろか血が流れたような感覚もない。剥き出しの頭部はともかくとして、昨夜の同胞たちと同じ謝意を――つまり、かの高名なる〈十字ソレット〉のガンケイ様様だと、そう思いながら体を起こす。目の前では、その若き装備設計者が、昨夜四人から聞いていた「フードマント」とやらに、十字剣で斬りかかっていた。
 フードマントは砂利の足場を裾を靡かせて跳ねると、小柄なガンケイから繰り出される剣撃を、いとも容易く避け続けている。バンキは一度首を鳴らすと、走り出す――直後、ガンケイの脇腹に、フードマントからの飛び蹴り――少年は素早く翻るが避け切れず、真正面から受けた一撃は強烈であり、つい今のバンキと同じく、反対側の砂利へと吹っ飛ばされた。バンキはその背後から斬りかかるも、フードマントは素早く旋回し、滑るようにバンキの背後へ。振り返り様に下から斬り上げるバンキ――だが、刀身は裾を掠めただけだった。そもそも最初から解れたような袖や裾である。裂かれていようといなかろうと、効果もなければ実感もない。
 『北の岩崖』の手前――『東の茂み』との間の、針子村の柵の外。
 異常な光景であったが、周囲に人の影はない。
 フードマントはバンキの斬切を躱すと、真上に跳んで宙返り――立ち上がったガンケイは、横一閃で斬りつけるも当たらず――フードマントは回し蹴りを返す。
「ウゥッ‼︎」
 だがガンケイも警戒していた。両手で握った十字剣を盾のように下向きに構え、蹴りに対し防御を体勢――衝撃と共に、靴底が砂利を引き摺り、後退させられる。
 その背後から飛び出したバンキが、フードマントに斬りかかる。だが直前に、フードマントは宙に飛ぶと、そのまま宙返り――踵落としのような動きで二人を超えて真っ直ぐ降りると、距離を取った。振り返ったフードマントに、鋒が迫る――が、その放られた十字短剣はフードマントの表面に弾かれ、砂利の上に落ちた。
「やッぱ、威力がイるよなァ……」
 冬のヴァイサーは「自然に囲まれていなければ地の利がある」と言っていたような気がするが……肉弾戦で充分翻弄されていると、二人とも体感していた。
 フードマントに十字剣を――次の攻撃に構える。
「――さっき話した、右肩のやつ」
 隣でガンケイが小声で。バンキも耳打ちするように。
「ゼロイチヨンか? 使エるのか?」
「使うしかないでしょ――牽制をお願い」
「了解。――デもッテ、十秒だゼ?」
 バンキが前に飛び出す。ガンケイは左手で、右肩の装甲をスライドさせて外した。そのまま手の中で一度、鋭く振るう。
 装甲が二つに開き、金属製の柄と、その先へ変形する。開かれた部分は、真っ直ぐに伸びると、もう一段階飛び出し、鋭利な斧頭となる。
 エィンツァー・ガンケイの『個有武具』――『十字手斧群クロス・ハンドアックス』――の、一つ。
 識別番号――『基本装手斧ベーシック零一四ゼロイチヨン』。
 識別名称――「手動式電気手斧エレクトリック・ハンドアックス」。
 バンキはフードマントに十字剣を突き出す――が、フードマントに当たる直前、何かの見えない障壁のようなもので、それ以上の進行を止められる。それは短剣を止めたものと同じ、現実的ではない、自然的ではないもの。
 バンキは構わず、素早く横一線に振り斬る――フードマントは両足で跳ねると、至近距離からバンキの胸を強く蹴った。後方へ倒されたバンキ――の背後からガンケイが飛び出した。
 十字剣の刺突――翻るフードマント。孤を描く斬撃――フードマントは跳ねる。バンキは逃さまいと、起き上がりかけに十字剣を投げる。旋回する剣はフードマントの見えない障壁に当たり、弾かれて砂利の上へ投げ出される。その横からガンケイが飛び出し、十字剣の刺突――と見せかけて、左手に持った手斧を、フードマントの右脇に下から斬り込む。避け切れなかったフードマントは、十字剣を袖で――見えない障壁で止める。下から斬り込まれた手斧も、見えない壁に阻まれた。
 ――ただしそのギミックまでは、フードマントには察知できなかった。
 逆手で突き出した斧頭が見えない壁に接触したまま、ガンケイは柄のギミックを起動――バンキにも視認できた、一秒の雷撃。斧頭から一瞬放たれた数本の閃光は、フードマントの見えない壁を貫通し、フードマントの胴体に直撃。常人なら、一発で動けなくなるほどの雷撃の乱れ打ちに、フードマントは驚きを――或いは痛みを漏らして、反射的に滑り離れた。追撃を警戒してか、少し遠目に後退した。
 バンキはガンケイの隣に――自分の剣と短剣を拾う。
「――イケたな」
「うん、通じる。――あと、見えない壁は空気だと思う。――少なくとも、電気の通る何か」
「空気? 電気は通セるわケだな? ――デもそイつはもう、使エネエンだろ?」
「残念ながらね。もうただの手斧だよ」
 ガンケイは左手の中で、手斧を順手に持ち変え、構える。
 流石は魔女。後退したフードマントは、二人に向いて佇んだまま――苦しんだり、戦闘不能になったりしたようには見えない。今すぐにでも攻撃を仕掛けてきそうだった。
「でもあと幾つかだったら、通じそうなのが残ってるよ」
「例エば?」
「腰の薄赤いのとかはどうかな? 持ってる中では、そこそこ危ない方だよ」
「どンなだ?」
「刺さったら一定時間で爆発する」
「爆発? ――グレンからチャンと許可もらッテンのか?」
「もらってるよ。――諸々の理由で、爆発系はこれ一個限定だけど」
「期待シテ良イのか?」
「さあ? 魔女に通じるとか通じないとかは、どっちにしッと⁉︎」
 フードマントは突如突進し、二人の前に。
 風に押されたようなかなり素早い突進だったが、二人はギリギリで反応する。
 構えていた十字剣が縦横に振られるも、何がどうなってか――剣を避けるような動きで、右回りに回転したフードマント――同時に衝撃波を放ち、二人は互いに別方向へと弾き飛ばされていた。
 ――何がどうされた……⁉︎
 今までの動きとは――様子見とは、まるで違う動き――――‼︎ バンキは体格が大きく、ガンケイは全身装甲を纏っているにも関わらず、重さなど感じさせない問答無用な攻撃だった。
 ガンケイもバンキも袖を砂利に引き摺りながら、素早く身体を起こす――挟み撃ちと行こうとしたが、フードマントは両腕を胸の前でクロスさせ、勢い良く横いっぱいに開いた。
 真黒の靄掛かった袖から、細く白い指が飛び出し、その掌から一筋の光が――手斧の雷撃より遥かに太く、紫色の一直線状の光線の強い一撃が、それぞれガンケイとバンキに向けて放出された。二人は胸に衝撃を受けて、後方へと大きく弾かれた。
 吹っ飛ばされたガンケイは素早く起き上がろうとしたが、灰色の雲の広がる空――その視界の真ん中に黒い塊が現れた。姿を見せた。
 ……マズいッ‼︎
 衝撃と鈍痛。
 ガンケイの視界は暗転した。

「――東の二人……運が悪かったみたいですね。あと……南に二人、西にも二人……。――今この村の近くにいる全部、もしかしなくともあなた方のお仲間ですか?」
「…………」
「一応言っておきますと、元々この村への来訪者など殆どいないのです。昨日一昨日はとても珍しく、観光客と役人が訪れました。来訪者は今日で、三日連続です。……しかもそれは、秋の匂いの彼を回収した直後から、です。何かあるに決まってますし、ワタシの推測が正しいのでしたら、それはとても――とても面倒で、都合の悪いものです」
 黙ったままの四人。
 グリベラは片眉を顰め、窺うように、疑うように、続けた。
「随分と大掛かりですよね? それほどの何か――希少価値が、彼にはあるのでしょうか?」
「……身内だからだ。オレらと違って、同族を助けるという思想は、お前にはないようだが」
「ええ。――魔女ですから」
 含み笑いのグリベラ。
 グレンは卓の上に両腕を出し、指を組んだ。
「交渉は決裂――ということでいいか?」
 グレンの態度は堂々としていた。――天秤には、分銅が一つ。
「……ええ。交渉のテーブルについた、と勘違いされているのならですが」
 グレンを真っ直ぐ見るグリベラ。ソウガは――クルキもシダレもよく知っているが、正面から構えたときのグレンは、只者ならぬオーラがある。強者――リーダーとしての厳格で冷徹なそれは、グリベラに数秒の警戒心を与えていた。
「――ファンショを返し、素性を明かせ。さもなくばお前を殺す」
「この前みたく、ですか? ――誤解があるようですが、あなた方が何もしなければ、彼――ファンショさんは、それなりに無事の状態でのお返しができます。逆にワタシが死ねば姉が、彼もあなた方も殺しに行くだけです――」
 証明だとでも言うように、グリベラは再び指を厨房へ向けた。暖簾をくぐって再来する男。
 ――その手には、ティーサーバーではなく包丁。
 だが今度は、姿を見せただけで、四人が見える位置――カウンターの隣で止まった。
「――今すぐ、命を落とせる者もいますが」
 魔女は振り向くことなく、向けられたその指だけが男に――刃物を手にした手が首元へ。
「――‼︎」
 グレンが立ち上がりかけたが、間に合わないことは目に見えていた。同じく内側に座っていたクルキも、動くことはなかった。ソウガは一番遠く、シダレは――他人を助けるための『正義』を持ち合わせていない。
 魔女の右後方――ソウガとは対極的な位置で、何も見ていないような目付きの男は、自らの皮膚に刃を食い込ませていた。それは薄くであったが、ひと筋の赤線が鎖骨まで垂れており、コンマ数秒進むだけで、彼にとっては致命傷だと体現していた。
「――どうします? まだ、交渉などとほざきますか?」
 悦の感情を抑え込んだような、狂気的な眼光を向ける魔女に、シダレは吐き捨てる。
「……前言撤回。クフリはたぶん、あんたのこと嫌いだわ」
「別にいいかと思ってましたが、そのクフリとは誰ですか?」
「昨夜の片方よ。白い方」
「……アア、彼女ですか。特に印象がないので何とも――」
「やり過ぎだ」
 グレンが静かに、魔女に言い放った。
「……はい?」
「やり過ぎたな、お前は」
「――仰りたいことがよく分かりません」
「この後の展開が分かるか?」
「展開――というのは、言葉として正しくありません。ワタシが主体でことが進むので、ワタシの意志というのが適しているかと」
「……お前はファンショを誘拐し、村人に手をかけた」
「先ほど聞きましたね。あと訂正しましょうか? ――村人たちに、です」
「……あれは条件で、これは罪状だ。――お前は『正義』に反した」
 ――天秤は傾いた。
「――そして、境界を超えた」
 クルキが続いた。
 この断定がこの後の展開を決めた。シダレもソウガもそれは理解していた。
「『正義』ですか……面白い言葉を使いますね」
「これ以上の話し合いは無意味だろう。私たちは帰るとする」
「ええ、どうぞ。――と、言うとでも?」
 グリベラは指を構え、最初に魔術を放ったときのように、内壁に向けた。
「聞きたいことは訊いたのでは? これ以上、私たちに構う理由が?」
「ええ、そうかもしれませんが――しかし、みすみす返す理由がありません。今動けば、サンプルがもう一つ手に入る上、厄介事が一つ減らせます」
 グレンは深く溜め息を吐くと、指をパチンと鳴らした。
「――お茶は濁されたようだな」
 これが合図だった。
 ガタッ!
 最初に動き出したのはソウガだ。魔女を誘き出す策略として、頬の怪我を見せびらかしていたソウガ――それだけの役目ではない。接触班の事前の計画により、戦況に発展した際、または離脱が必要な際に要となるのは、エィンツァー二人。
 ――先陣を切るのは、ソウガの役目だった。
 立ち上がりながら、紅茶のカップが五つ乗った円卓を横から両腕で掴むと、投げるようにしてグリベラに向かって、円卓を叩き付けた。派手な破砕音が店内に響くと同時に、他の三人も立ち上がる。結果的には仏よりもシダレよりも、一番酷なことをしてしまっていたが、相手が悪意ある魔女なので、贖罪や懺悔は必要ないと思いたい。
 グリベラの魔術によって、この喫茶店は閉め切られている――その共通認識の中で、グレンはドアへ、クルキは窓へ向かった。ソウガが円卓の縁で魔女に押さえ込んでいる間に、シダレは道具の入ったバッグをグレンへと放る。
「ッ!」
 クルキの舌打ちは、窓もドアも鍵も不動であることを意味していた。力を加えての破壊や、錠や鍵穴への操作ができない――グレンはバッグから十字短剣を取り出す。クルキは田の字型の窓枠に肘を打ち込み、ガラスを破壊した。
「ソウガ!」
 聞こえたグレンの声は後方からだったが、見るべきは前方――真下であった。
 グリベラは卓の縁を両手で掴み、苦悶の表情が――その口元が、細長く歪む。
 魔女の両手から魔術が走った――ソウガは円卓ごと真上に、弾かれるよう飛ばされた。三角屋根の天井の梁から下がる照明に、背中から激突――グゥアッ! 床に伏せ落ちると、後頭部と背中に砕け散ったライトの破片が襲いかかる。円卓は離れた床に落ちた。
 頬の傷口が開いた感覚と、鼻頭への強い鈍痛。衝撃が強く、涙も唾液も鼻水も全部出そうになったが、軟骨であることが幸いした。……折べてはない。四つん這いから素早く体を起こした脇からグレンが直立したグリベラに向かい、十字短剣を振るった。
 しかしグリベラは後退――フワリと浮いて、カウンター上に着地。四人を見下ろし、憎悪的で殺意的な視線で、焦りの残る表情が嫌な笑みへと変わる。
「人間に――」
 だがグレンが遮る。
「シダレ、許可する!」
「よしきた――」
 一歩前に出たシダレ――グレンとソウガはシダレから距離を取り、グリベラの目はその動きを追った。
「あなたから――」
 戦力的に最も低そうな、口先だけの、口が悪いだけの小娘――が、素早く息を吸い、
 ――トゥフッ‼︎
 窄んだその口からグリベラの顔に向かって、鋭い吐息が放たれた。人間の小娘の口から出た吐息――人によってはご褒美であろう、グリベラはそれを肌で感じた。……ただ、それだけ。
 グリベラは、嘲笑気味に歪み――かけたところで。
 クルキが窓枠を引きちぎるように破壊したのと同時に、グリベラの顔は唖然としたものから驚きへと変わり、苦悶に口をパクパクと喘ぐよう動かし、身体が大きく仰け反ったと思えば、上から下まで波打つような動きを見せた――ままに、カウンターから前に落ちた。派手な音を立て、並べられた椅子などお構いなしに。そのまま床に伏せ、何かを蹴るように足をバタバタと悶えさせ、耳を塞いで目を見開き続けている。――頭の中に何かが入り込んだかのように。
 床の上でのたうつ魔女を見て、シダレは「フッー!」と、余韻の吐息を漏らす――その顔は満足げに笑っていたが、何も知らないクルキだけが、窓を剥がした穴の前で眉を顰めていた。
「撤退!」
 グレンは叫ぶと十字短剣をソウガに放る。クルキはグリベラに近付きながら、掌を――冷風を吹き付け、グレンとシダレが側を通り抜け、穴から外へ出る。
 ソウガも続こうとしたが――「ウッ⁉︎」――クルキの声が聞こえて振り向くと、クルキ本人が円卓に被さられ、その背中が迫ってきていた。円卓に押されたクルキはソウガを巻き込み、二人は共々外へ投げ出される。
 窓枠に手足がぶつかり、鉢植えを超えてロータリーに落下。
 視界がグワングワンと回り、平衡感覚の代わりに頭痛が響いた。胸と腹が、地面に触れている――うつ伏せだ。全身痛いが、引き摺るほどではない。
 背中に伸びてきた腕――グレンに引き起こされ、立ち上がるとすぐ顔の土を払う。すぐ傍で空を見上げて呻いたクルキも、シダレによって乱暴ながらも起こされる。
「大丈夫か?」
 グレンに頷く。十字短剣を手に持っていた。
「行くぞ」
 痛む胸を抑えながらも、ソウガは三人に続いて、南のセンター通りへ走り出す。
 光線に撃たれたクルキの左肩――黒のレザージャケットは少しばかり焦げていたが、本人はそれを見ても、舌打ちしただけで気にはしていないようだった。全員、大きな負傷はなさそうだ。
「――殺せば良かったって、後悔しない?」
 四人はセンター通りに入った。小走りの中、シダレはグレンに尋ねた。
「ガンケイとバンキ、助けに行かなくて良いのか?」
 ソウガも言ったが、グレンは首を横に振る。
「行きたいところだが……大した装備もないまま魔女と戦える保証なんてない。グリベラ一匹でも、殺せた保証もな。あの魔女――グリベラ・アンバー・ウォーレン曰く、魔女はもう一人いるらしいし、ファンショも探さなければならない……流石に、妥協した状況ではキツい」
「さっさと殺しちゃえば良かったんじゃない?」
 シダレがボヤくが、
「――ただの自殺行為だぞ」
 クルキもそう続けた。グレンが「仕方ない」と呟き、その言葉は適切な状況だった。
「待機班と合流したら――」

『――良いんですか?』

 グレンの言葉は遮られ、四人の足が自然に止まった。
 聴こえてきたのは、薄いノイズの入った、グリベラの声。
『彼は、ワタシたちの手の中にあります』
 響く声は村の至る所から――電柱や建物の上角に付けられた、古い無線スピーカーから聞こえていた。
『もしこの村から出れば……彼がどうなるか――』
「悪いが! 脅しは取り合わない主義だ!」
 どうせ、今の自分たちも見られており、聞かれているのだろうと、クルキが叫び返す。
「お前がファンショを好きにしようと! こっちはもう! ……お前を殺すと決めている!」
『それは……それは物騒な話ですね。この村に人殺しだなんて……』
「お前は正確には、人じゃない!」
『――――――――』
 一瞬、静かになった――次の瞬間。
 四人の頭上を、はっきりと目に見える光の円弧が通り過ぎた。
 村全体を通過したと思うほど、大きく遠く――しっかりじっくりと視認できるほどの、黄色い光線だった。――見覚えのある、巨大化した円弧の入り口のようなもの。
 その光は南の方から、建物の隙間から見える四方の地平線まで伸び――通り過ぎて、北に向かっていった。
 ――村を覆う、ドーム型の天井のようで。
 ――空の光が、空気の色が、見える景色が、変わった。

 ――どこかで、カラスが鳴いた。

「……これで納得がいったわね。――電波障害とか、身バレとかの理由」
 シダレの言葉が、淡く変化した紫色の空の下で響いた。
「クルキ――」
「行くぞ。――これは魔術だ。物理的な遮断ではない。村の外へは出られるはずだ」
 グレンの言葉を遮り、先に駆け出したクルキに三人は続く。
『出すとお思いですか? そんなに甘いと?』
「無視しろ。まずは出る」
 クルキに従い、南のセンター通りを南下する三人――だがしかし。
『人殺しは逃しませんよ。特に、この村では……』

『――――ですよね、皆さん!』

 バン、バン、バン、バン。
 南の黄色い円弧まで、あと半分――といったところで、四人の左右に立ち並ぶ家々の、ドアや窓が勢い良く、次々と開かれた。
「……もうパンデミックじゃん」
「いや、ニュアンス的にはディストピアだろ」
「ゾンビ映画だ。もっと正確に言えば、決定打だが。〈十字ソレット〉のヴァイサーとして、あいつは絶対に殺す」
 喫茶店の厨房にいたあの男と同じく、意思も気力も光もない――視覚器官としてのみ稼働している、あらゆる方向からの無数の視線が、一度立ち止まってしまった四人に注がれていた。
 軍にいた頃は、デモ隊の鎮圧に行ったこともある――〈十字ソレット〉の任務でも、人外ではない人間で構成された組織の一団なら、相手したことがある。

 ――だが、彼らには意志があった。少なくとも、瞳の奥には眼光が見えていた。

 昨日一昨日の映像で見た、この村の人々の顔――愛想よく、朗らかで、気難しげだった全ての老若男女の顔には。

 ――生気が感じられなかった。

 グレンは静かに言った。
「……なるべく、誰も傷つけるなよ。シダレ、許可を封じる」
『では、こちらは逆を…………全員、傷つけてでも捕えなさい』
 逃げるぞ、とか、行くぞ――は、いらなかった。
 グリベラの放送が終わる前に、四人は走り出していた。数秒遅れて、通りに出てきた村人たちが、四人に向かって走りながら手を伸ばしてくる。まだそれなりに清潔な、虚ろなゾンビたちだった。
 幸運にも、下らないことを思考する隙があるほどには、村人たちは強くなかった。尻目に見ても老人は老人らしく、走ることすらままならない者もいる。若い者は速いが、その人数は少なく、接近されても足払いですぐ倒れてしまう。すぐ立ち上がる者もいるが、脅威というほどではない。
 仮にも〈ソレット〉――戦闘が専門でなくとも、野山を駆け巡り生活してきた女と、対人間戦において強い三人。
 伸びてくる手を躱し、抱きついてくる者を剥がし、投げ飛ばし、ど突き、足蹴にし――数の多さに苦労しながらも距離を開けて、駐車場へ。
 グレンは遠隔で、SUVのロックを解除し、エンジンをかける。
 黄色い円弧が見える――全体が淡く光っていた。
 シダレが押し除けた村人を、クルキが蹴り飛ばす。グレンに迫る村人には、ソウガが背負い投げみたく放る。
「通れるんだよな?」
 全員が車に乗るとグレンはアクセルを踏み、助手席に乗り込んだクルキに尋ねる。クルキはシートベルトをしながら、円弧の入り口を見て言った。
「物理的な障害はなさそうだ。――運転の腕が確かなら出られる」
「魔女って、マジなんでもありね」
 後部座席で、ひと息吐くシダレ。
「お嬢ちゃん――お前、本当に人間か? あの魔女にしたさっきのは何だ?」
 その疑いは尤もだった――ソウガも初めて見たときは驚いたし、その特異性は時折……羨ましくも思うことがある。
「後で」
 どこか嬉しそうに――満足そうにシダレは言った。
 SUVは、円弧の入り口アーチゲートの下を通った。
 空は水色で明るく、白い雲が浮かんでいた。

 エィンツァー・シダレに限らず、他のメンバーが、〈十字ソレット〉にどんな経緯で加入したのか、何故共に活動しているのか――ソウガも他のメンバーも、互いの事情はそれとなく知り合っている。
 ソレット歴はソウガより長く、年齢はソウガより若い。
 その分苦労があったのだろう口の悪い毒吐き娘は、十代の半分を過ぎた頃、「虚人魚うつろにんぎょ」と呼ばれる人外種に遭遇した。当時まだ一般人であったシダレは、この一件により〈ソレット〉という存在を知る。――グレンに見つかるそのときまでは、本人はその特異な才能を、乱用していたと、いつか言っていた。……恐ろしい話だ。
 「怨波砲おんぱほう」。
 その禍々しい名を命名したのは、勿論シダレ本人だ。
 シダレの口から喉――肺に至るまでの呼吸器官のその構造は、常人と少しばかり違う。その特殊な構造を持つ器官が故に、圧縮した空気や音の波動――果ては声域や声色までをも、本人の性格から放たれる毒以外にも、無数に吐くことができる。それは純粋な戦闘力ではなく、多種多様な場面における――今回のようなターニングポイントに充分なりうる、才能だった。
 グリベラ・アンバー・ウォーレン――かの悪名を持ち始めた魔女は、シダレの喉で生産された激しく流動する空気砲を、頭部にもろに受けてしまった。顔に接触した時点で、その球体は瓦解を始め、流動の集合体は波打ちながら、グリベラの顔の穴という穴に、吸収されていくように入り込み、膜や粘液、神経に作用するほど、強力に拡散した。
 ――結果、神経系等や血管の圧迫と緊張、膜や粘液への断続的な強い衝撃が発生――平たく言えば、外界と接する器官が次々と大幅にバグった。シダレ曰く、「怪我をさせずに苦しめる方法」らしいが、鼓膜や眼球に傷くらいはついたかもしれない。
 ソウガもワケあって、過去に一度だけ喰らったことがある。――――二度とゴメンだ。
「――もうそれ、『人外』でいんじゃねえのか?」
 青いそらと白い雲の下。南奥展望台に戻ってきた接触班。
 待機班のアンテツと、先に戻っていたクフリとキキと合流。
 グレンとシダレとソウガはすぐに『基本戦闘服ステータス』に着替え、戻っていた者たちに事情を説明した。クルキも自前の着物(?)に着替え終えており、あとはそれぞれ必要な武具の点検と、残りの仲間の合流を待つだけだった。
「お前もあとで登録しとけ」
 と。白バンの荷室で自分の『個有武具』を探すシダレにクルキはそう言ったが、着替え終えたグレンが首を横に振った。
「遺伝子レベルの検査をしたが、調べた結果、シダレは人間だった。――残念ながら、君らの管轄じゃない」
 駐車場に二つの人影――『基本戦闘服ステータス』を着た二人組が現れた。
 その姿を見たグレンとシダレ、ソウガとクルキ……その表情を見て、事態を察する。
 男の方――メイロが口を開いた。
「悲報。――フードマントに、ガンケイとバンキが捕まった」

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