【第4章|天秤と邪神】〔第4章:第1節|明くる日の{遺志:レガシー}〕
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急激に覚醒した意識――だけの場合、身体は付いて来ない。
感覚より先に、思考が動き出す――も、情報は身体感覚より伝わるが故――――自身が置かれた状況を顧みる。
開かない――開きたくない、開けない目。右腕は頭上に投げ出されているが、空気振動は感じない。――そもそも体勢が直立じゃない。寝ているようだ。
身体の感覚が戻る――下半身が、かなりキツく埋もれている。幸か不幸か――心地良い密着感と悪くない重量だ。動けないことを除けば――とまで考え、地下に埋まっていることを思い出した。
――――ぁ嗚ー…………めんどくさい…………。
図らずも、魔女の口癖が移ってしまっている――このまま埋まっていた方が楽かもしれないが…………グレンが見出した天秤は、それを許すことはないだろう。
「……ッウンゥー…………ハァ…………」
『基本戦闘服』最高だ。痛むのは頭部と顔くらいで、首から下は衝撃の余韻以外、残りそうな痛みはない。そのうち疲労にも効いてほしい。
――そういえば、ガンケイは無事だろうか。
目を開けるも、開けなくても良かった。
暗闇と土埃の匂い。どこかへ向かって伸びている、自分の腕さえも見えない。
真っ暗闇――――真黒――――――――魔黒の、フードマント。
最後に見た――遠目で見た、魔女の薄ら笑い。
違う――最後に見たのは……シダレの――――。
……あいつ……『怨波砲』がなんとか――。魔女に一撃入れてやったことへの、予定調和のような結果だ。
言い訳がましい思考に反し、身体は必要に正直だった。
自由な右腕、その肩を回す。近くの、何か――何かの瓦礫か破片かに手が届く。触り、強く掴む――簡単に揺れるようなことはない。頑丈なのか、巨大なのか――どの道好都合だ。
左腕は埋まっていた――が、拳は動かせる。強く引くと、砂か土か、埋まっていた場所から露出した。腰の方も、少し余裕が生まれた気がする。
左腕が出たということは、画面端末が動かせる。――壊れてなければ。
前腕内側の、金十字を横にスライド――白光に眼が眩む。左目は閉じて、右目だけ開けて、その細長い端末を操作――光量を上げる。
わかりやすく埋まっていた。誰の気配も感じない。割れた石材や木片、細かい土と岩の塊。
目の前に舞う、粉のような土芥。咳もクシャミも豪快にしたいが、吸い込みたい空気ではない。
「――クッソ…………」
首を上げると、関節が音を立てた。
右腕を――掴んでいる瓦礫を起点に、埋まっている下半身を出そうとしたとき。
『――グゥヲォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎‼︎‼︎』
野太い、震える大きな叫び声。鳴き声かもしれない。泣きたいのはこっちだ。
……嗚呼――良くない。……これは凄く良くない。
どうして忘れていたのか――化け物がいるんだった。
マズイ……早く出ないと、今度こそ死者が出る。――いや、出ているかもしれない。
息苦しい中這い出そうと、全身を捻る。息苦しさが邪魔――ガトン。
「……Uh-oh…………」
近くの瓦礫越しの何かが、何かのバランスを崩した。……思っているよりも、慎重に動かなければならないようだ。
ゆっくりと両腕で、ハマった穴から全身を持ち上げようと――ガランガタンガシャン。
――――――。ガン――ドドン――――。…………?
遠い音が徐々に近くなり――――瓦礫の隙間から、赤っぽい光と空気が差し込んだ。
「誰か――ゔぇっホッ!」
光が遮られる。
「……誰だ? どこだ?」
誰かの声――知ってる誰か――女――。
「――こっちか?」
細い隙間に、白い肌が覗く。
「……こっちだ……」
掠れた声で、ソウガは手を伸ばした。右手が……誰かが、その手を掴んだ。
「良い所にいた――引き上げるぞ」
細く冷たい腕が、力任せにソウガを引く――瓦礫が音を立て始め、崩れる中で、ソウガの上体は外へ出た。
両腕を投げ出すと、下半身が動けると気付いた――新鮮な空気を吸いたくて、身体を捻って上を見る。
冬のヴァイサー……煤と土と血に塗れ、顔には流血も見える。
「――生きてるな」
槍を背負っており、手に持っていたのは――十字剣。
「お前のだろ」
呼吸を整えながら、受け取る。――このまま眠ってしまいたかった。
「動けるか?」
クルキに言われて、下半身を瓦礫から出し、立ち上がる。
首を回して肩を鳴らしてから、改めて周りを見渡した。
二人が立っていたのは、元々あった建物の瓦礫と、地下空間にとっては天井だった、針子村の地上が混ざり合った、瓦礫の山の中腹。無数に多層に積み重なった斜面の瓦礫の上。見渡すと、燃えてる箇所もあるし、水が溢れてる場所もあった。
無数の灯りがまだきちんと作動しているのが、救いだった。まだ、よく見えている。
「……見事だよな」
失笑するクルキ――二人が見下ろす、地下空間の、奥。
長杖を持つ手負いの魔女と、集められたかのように群がる、『マジョガタ』。
その奥から――封じられていた洞からは、複数の首が、その顔を出した。
巨大な蛇――という表現が正しいのかもしれない。球体のような鱗状の頭部。紫色の肌が、その長い首を纏っている。
それが一、二――――八つ。
「――『ヤマタノオロチ』伝説って、知ってるか?」
「……聞いたことくらいは。でも、ギリシャ神話のヒュドラの方が知ってるかも」
「……外国の歴史は、『人外』以外詳しくねえな。――神話なら尚更だ」
「じゃあ――『ヤマタノオロチ』は、どうやって殺すんだ?」
「酒樽持ってるか? 無敵の剣か、太陽神の後光とかでも良い」
「持ってると思うか? そんな大層なもん」
「まさか。――オレらでさえ持ってない。……いや、郷に帰ればあるか――」
「あんのかよ。それ欲しいな。――――そう言えば俺、元軍人なんだよ」
「ん? そうなのか?」
「嗚呼――今ほど、銃が欲しいと思ったことはない。銃火器ならなんでも良い」
「……無駄だろうな。――あの化け物に数穴開けても、大した効果は得られそうにない」
「見立ては?」
「――魔女の創造物……いや、混合物が正しいかもな。魔物やらなんやら……ヘタすりゃ人間も何人か――とにかく、混ざりモンだ。生き物の形をしている以上、根本は魔物で、魔術的な合成だのなんだの、色々と繰り返し……まあ、そんなところだ」
魔物がベースの混合生物――は、その全身を奥の封洞から見せる。
八つの頭は糸玉から飛び出たように、その首は繋がっていた。
短く太い――人間サイズの爪を持つ足。それが二本――右足と左足。引き摺るように歩いているが、しっかり力強く、地には着いている。――未完成の恐竜みたいだ。
翼の代わりに首が付いており、腕の代わりに首が付いている。そのまま魔女の近くに出た。
「……ちなみに対処法は?」
「魔術的な解体か、物理的な解体か――消滅、粉砕、焼却……どれも現実的じゃないな。――〈十字ソレット〉は、爆弾とか溶解液とか、銃火器とか持ってる奴は? ……なんなら、毒でも良いぞ」
「――飛び道具は…………甘めに見ても、グレンの『十字弩』、アンテツの『短剣』、キキの『蛇腹剣』――『投げる』を含んでいいなら、ガンケイの『手斧』もか。……まあ、つまりほぼゼロだ。――そっちの『心恵』は? 凍結できないのか?」
「デカ過ぎる――触れてる間、大人しくじっとしてるなら別だが……それでも時間がかかる。リウワンがいれば別だが……春のヴァイサーのことだ」
「知ってるよ。現実的じゃないな」
「どっちにしろ、魔女と『マジョガタ』も潰さねばならん」
とまで言ったところで、左右それぞれから、声が――音がした。
「生きてる仲間を起こせ――総力戦だ」
クルキに指されたのは、右後方の上――音がした方。
「わかった」
クルキは既に左下に飛び降りていた。ソウガも土と瓦礫を踏み、飛び出た鉄パイプのようなものを掴み、ガラスを避けて進む。
近付くと、見慣れた刀身が――十字剣が、瓦礫から突き出て見えた。足裏が滑り、慌てて地面に手を付いた。シダレの『鉤爪』か、或いは、崖上りのグローブが欲しい。
大きな木の板――その下から音がして、ソウガはそれを掴む――痛ッ! 鋭い痛みに一旦手を離す。――くっソ……裏っ側を見る。飛び出ていた釘が、指を刺しかけていた。血が見え始める――今さら気にしないが。
その板が被さるように――小柄な下半身が、倒れている。ちょうど欲しいと思っていた金属製の左手が、木の板を軽く叩いていた。
「シダレ! 生きてるか?」
「……死んでる。……死なせて……」
元気そうだ。
「――少し待ってろ」
飛び出た釘に気をつけながら、板を引っぺ返す――軽かったが、一部が瓦礫に乗っていた所為で、板は途中で割れた。
流石は先輩――仰向けに倒れていたシダレだったが、十字剣は手に持っていた。クルキに拾ってもらったことが、今になって少し恥ずかしい。
顔周辺の怪我はしょうがないが、あとは大丈夫そうだ――魔女のビームで、ソウガと同じく胸元が焼け焦げていたが、中が見えているほどじゃない。
手を差し出して起き上がらせる。『鉤爪』は握る分は問題ない。爪を立てられなければ。
咳き込んだシダレ――首の左側が血に塗れており、ソウガは自分がウェストバッグを巻きっ放しだったと思い出す。
ウェストバッグから、応急パッドをシダレに渡す。ガンケイとバンキ、ファンショに使った分で、救急キットは殆ど使い切ってしまった。
「……お疲れ」
受け取ったシダレは、パッドを突き返す。左手の『鉤爪』の所為で、自分でできないんだった。しょうがない。
「……嫌味が聞こえる」
血を拭い、貼ってやる。――人の心を勝手に読んで、文句を言うんじゃない。
「元気そうだな。――イライラをぶつける対象は、アイツらだ。あんま時間ないぞ」
魔女、『マジョガタ』、ヤマタノオロチは、最下層で全員集合だ。クルキが言っていた、総力戦――こっちの出方を伺っているようにも見えるが、魔女が自分の傷を癒しており、他の化け物がただ待機中なだけにも見える。
下を見ると、斜面の途中で、ファンショがガンケイを起こしていた。秋のヴァイサーもブラックスミスも無事そうだ。クルキはバンキの手を掴み、メイロが誰かを掘り起こしている。
溜め息を吐き、シダレが呟く。
「……『ドロシー』の方がマシだった」
「どんぐりの背比べ――あれはアレで、最悪だったろ」
シダレとソウガの少し上で、ガララン――と、音がした。
瓦礫を背に持ち上げ、起き上がって出てきたドンソウ――その下から、グレンが起き上がる。護って落ちたのだろう――流石。二人と視線が合う。ソウガは敵を、視線で示す。
「……あーっ…………ごめん! ――誰か、誰かいる?」
左上から、キキの声がした。
中身空っぽのウェストバッグを捨てると、ソウガはシダレと、瓦礫を少し上がる――ちょうど壊れていない、逆さまになったデスクの上で、キキはその金属の足に、絡まるようにして、倒れていた。近くで『蛇腹剣』が、展開されたまま絡まっている。
「シダレ、そっちを」
「はいはい――ッホっ……」
ソウガはキキの元へ。
「ソウガ! 久シィぶり!」
「うわっ、やべえ!」
頭に血が昇ってか――というか、本人が血塗れの所為あってか、キキの顔は真っ赤だった。紫にも近く、しかも――目覚めてる。収まりつつあったが、見下げられながらキキは、豪快に笑った。
上体を抱え起き上がらせると、足に絡んだ金属ワイヤーのような物を解き、デスクの足を潜らせる。
キキは全身を揺らしながら――伸ばし、曲げながら立ち上がる。
「――ほら」
解き終わった『蛇腹剣』を、シダレは刀剣状態にして、キキに差し出す。肩を回し、伸びをして、深く息を吐いて、キキはそれを受け取った。顔色が肌色に戻っていく。
「なに? 覚醒したの?」
血塗れの顔を、袖で拭ってやるシダレ。
「斬っていい屍体がいっぱいあったの! ――しょうがないじゃん? 楽しかったよ?」
――いつも通り、朗らかに笑うキキ。ソウガは苦笑して、最初にこの狂姫を見たときのことを、思い出した。――やめよう。思い出したくない。話を変える。
「大活躍だったみたいで何よりだ――あれを見ろ。もう少し、頑張ってくれ」
大して話が変わっていない。
シダレがウェストバッグを渡す。袖で顔を拭うまではしても、それ以上は自分でやれ、というように。そこに、グレンとドンソウが降りてきた。二人とも傷と砂塵塗れだ。
どこかで落としたらしいグレンは、腰から予備のゴーグルを取り出した。
「情報交換と状況確認――は、ゆっくりしてる時間がないな。――随分とやられてる」
「そっちは無事そうか?」
二人とも、自身の武具を持ったフルセット――汚れているが、欠けた様子はない。シダレがそれを見て、嫌悪を漏らした。
「……あれら全部化け物だけど、マジでやんの? まともな人間一人もいないわよ?」
「それはこっちも同じだ。やらねばならんだろう。見ろ――もう見逃せない」
グレンが上を指す――針子村だった地上は、下から見てもわかるほど、その殆どがもうなくなって見える。外周くらいは残っているだろうが……。地上の様子は見えず、夜空の闇が薄く見えるだけ。嫌味のような、歪な形の月と、煌めいている星。……紫色のあの魔術は、とうに終わっていたらしい。……たぶん。
地上の地盤はごっそり穴が空き、降りれば魔女と化け物が多数、待ち構えている。
酷い状況だ。
「上は? 魔女――グリベラ・アンバー・ウォーレンは?」
ソウガは尋ねたが、グレンは渋い顔をした。
「トドメを刺した――が、確証はない。落盤の最中で、ギリギリだったからな」
「生きてるってことか?」
「首を突き刺した。感覚はあったし、致命傷になってるはずだが、魔術的な何かはあり得る。おそらく、この中のどこかだが……探している暇はない。まずはあいつらだ」
「でもさ、地上にもあの屍体たちが残ってるよね? ――知ってた? 村人の大半は死んでるんだって」
キキに言われて、ソウガはシダレと顔を見合わせる。
「――『マジョガタ』って言うとさ。大戦時の実験資料が、ここに残ってたらしい」
グレンが訊き返す。
「――『ヒトガタ』の、か?」
「ああ」
シダレが口を挟んで、ソウガが言いかけたことを続けた。
「――『第七衛生管理備局』が、ここ。大戦時から残ってたんだって。そんで、それを魔女が改造して、自分らの都合の良い村人を創り上げた、ってわけ。で――」
八つ股の龍を差して。
「……あれが、その魔力源らしいわ」
溜め息を吐くグレン。
「実験場は崩壊し、資料は全て破棄されたはずだったが……だったら尚更、止めなければならない。全ての元凶は〈ソレット〉の過去だ。大戦時、〈いろは士陣隊〉の『ヒトガタ大戦』がまだ終わってない。――私たちで終わらせなければ」
視界の隅では、メイロがクフリを起こしていた。向こうが全員集合で、それぞれ動き出した中、こちらも――待て。グレンも気づいた。
「――アンテツはどこだ?」
一人だけ見当たらない。
「あれ、マジでどうすんの?」
シダレが『オロチ』を指して言う。
「あれやるよ。お前の獲物だ」
ソウガはドンソウに示す。
「えええっ! ……いっ、えっ……で、でも……」
驚くドンソウに対し、グレンも頷く。
「――当然だ。君が請けなきゃ、我々は全滅する」
「あっ、えっ⁉︎ ……はい……」
「ほんとは全部譲ってやりたいけど、周りの首は俺らで引き受けるよ」
「嫌よ。わたしはパス」
「何だかんだでやるんだろ」
「――そうだな。正面はドンソウとメイロに任せよう。サイドは全員が――」
『――ギャァォオオオオオオオオオオオオオオオオオ‼︎‼︎』
地震が再び――待ちきれなくなった獣が、逃げる隙も準備する猶予も与えず――不安定な斜面が響き出し、その表面が、再びあちこち崩れ始める。
「うっそぉ……」
「避けろッ‼︎」
ドンソウが『四方盾』を構えたが、流れ落ちてきた瓦礫に弾かれ、一人下に――同時にそれぞれ、霧散するように飛ぶ――。
再びの濁流――波状の土砂崩れ。
ソウガの着地した階段――の破片はすぐに流され、三角屋根に飛び乗る――途中、『マジョガタ』の肉片を見た――三角屋根は下まで流され――瓦礫に躓き、ソウガは投げ出される――着地点は――クソッ! 波のように崩れる土に。足裏が埋もれ、そのまま押し流され――バランスを崩さないよう――ガィン! 飛んできた金属片を、十字剣で弾く。保たない――飛んで石材――? 地上で噴水だった一部か? ――に、両足で着地するが、破片が小さく長くは立ってられない。別の瓦礫に向かって飛ぶ。
――全員があちこちに向かって、跳ねて、流され、下へ下へ――――。
なんとか両足で――滑り落ちたようにだったが、下まで着地。見下ろしていた魔物たちが、地平線上に――対等な位置へと。
流され切ってしまった。
なんとか止まったのは、最下層――一番下であり、必然性の高い場所。
斜面の手前に集まった者たち――十字剣を持つその手と、季節を宿す二つの魂が。
――ガリャン。
ソウガの左側――瓦礫の隙間から、上半身だけの『マジョガタ』が飛び出した。両手だけで飛び出し、両手が掴み掛かってくる――下半身がボタボタ垂れており、十字剣が一瞬遅れて斬りつけようとした。
「――アァッ‼︎」
近くの土の塊から、アンテツが飛び上がった――瓦礫を足場に、『マジョガタ』のその首を掴むと、ソウガの頭上を宙返り――反対側に着地して、持っていた十字剣で、その首と胴体を一閃する。
…………ハァ……ハァ……ハァ……。
肩で息をし、苦悶と土埃に纏われながらも――天秤のヴァイサーは、両足で立った。
そして――『正義の天秤』が。――――十本の剣が、一直線に揃った。
全員の視線が、これまでの戦闘経験が、アドレナリンが、心臓が――互いの思惑と意志を物語り、全身に覚悟を――戦意を奮わせる。
――それは、季節を司る二人も同じく。
見えぬ意志が、互いの中で反芻し、共鳴する。
我ら共にあり。敵は目前也。
天秤のヴァイサーは、十字剣を魔物に――その巨大な、邪悪なる八つの頭と、その根源たる人間の敵に向けた。その十字架を合図に、全員が構える。
そして全てを終わらせるための。
今必要とされる、我らが矜持を真っ直ぐ向けた剣に乗せて、叫ぶ。
「――天秤を均せェエエエエ‼︎」
応えるように邪神が咆哮する。が、それを打ち消さんばりに、〈ソレット〉が叫び返す。
爆発するような衝撃が地下に響き渡り、全身から戦意が湧き出る。敵意が。殺意が。
剣を構えて走る者、槍を構えて走る者。
――今は亡き大戦の残穢を。
――人としての過ちを。
――人知れず傾き続けていた、その天秤を。
裂かれたマントを脱ぎ捨てた魔女――その長杖が、地面を叩く。
前方にいた、人間だった魂の器が、斬り伏せるべし屈辱として、十二人の戦士に迎え撃つ。
――屍体と遺志が、衝突した。
総力戦――という言葉は、〈十字ソレット〉にとっては、相応しい言葉である。
戦闘が専門の、正義のための〈ソレット〉――本来の対象は人間であれど、集団戦闘を得意とし、乱戦、対多数――その全てが、〈十字ソレット〉をたらしめる。
ヘタな頭脳戦や複雑な駆け引きよりも、計画などなく、作戦などアドリブで――単純な物理戦闘の方が、遥かに適しているのだ――たとえ相手が、魔の者たちであっても。
『弾針』と『蛇腹剣』が突き刺さり、『手斧』と十字剣が、『マジョガタ』の顔へ。二刀流が旋回――首が落ちた先では『四方盾』が留めた者たちを『大剣』が両断――透明な槍が突き刺さると、十字剣がの煌めきが反射し、肩に飛び乗り頭を掴む『鉤爪』――『怨波砲』を頭部に浴びせ、その首を十字剣が処する。『双短剣』が両腕を削ぐと『星形鉄球』が顔面を潰す。十字短剣と楔が二本飛び、背負い投げられたその背中に、十字剣が幾度も刺さる。
十字架が肉を断ち、骨を打ち、臓を潰す――悲鳴は聞こえない。内臓が飛び出し、肉片が地面に落ちる音だけ。
「――シャァアアアアアアッ‼︎」
槍を引き抜いたクルキがビクッ! と。
「なんだ、あいつ?」
覚醒したキキ――が、同じく驚いたファンショの側で、『蛇腹剣』を体操リボンのように振り回し、十字剣を無我夢中で振るう。
「――あの娘が、ここにいる理由よ」
宙返り――『マジョガタ』の首を的確に斬り落とすクフリが、着地してそう言った。
「可愛イもンだろッ? あレデ正義なンだゼッ!」
バンキが下から『星形鉄球』を振る。胴を打たれた『マジョガタ』の首に、ソウガは十字剣を振るった。
「YO! 死ンデ無かッたな」
「お陰様でなッ! ――ッぶねえッ‼︎」
下から十字剣を斬り上げる――真ん中が裂けた『マジョガタ』の心臓から、バンキの十字剣が突き出した。
「懐かシイだろ?」
「一生嫌いだ」
その『マジョガタ』に、シダレが飛びかかってきた。首を『鉤爪』で裂きながら、頭を大根か何かのように、引っこ抜いた。そのまま地面に前転して着地。
「――お喋りだなんて、余裕ね」
立ち上がったシダレ。ソウガは迫る『マジョガタ』を蹴り、十字剣で首を斬る。
「危ねえし、やり方が怖えし――あと、十字剣どうした?」
「貸したわ」
シダレは『鉤爪』で『マジョガタ』の顔を掴む。右手が指差していたのは――ファンショ。逆手持ちの十字剣を器用に振り回し、自身の身体を障害物として、『マジョガタ』の両脇から斬切と刺突を繰り出している。
「センスは良イな」
「肯定。――だが脇が甘い」
メイロが跳び蹴りを――バンキの背中に迫る『マジョガタ』へ。そこに、ガンケイの十字剣が、真正面から喉笛を突く。
『――グラァアアアアアア‼︎』
眩い砲撃が、地面を焼く。
距離が近くなった分、その咆哮は凄まじく。マジョガタが二、三体、焼け焦げた。
八つの首が前に出る。さらに魔女が、長杖にもたれかかって飛ぶ――箒で飛ぶ魔女のように、地下の空中を浮遊し始めた。
足首を掴む腕を蹴り払うと、マジョガタに斬りつけたグレンが叫んだ。
「メイロ! ドンソウ! キキ! シダレ! クルキ! ――デカいのを!」
「マジョガタ」の群れのあちこちから、「了解」が叫び返す。
「あとは数を減らせ! ――アンテツ! 集団の指揮を! 魔女は状況に応じて殺せ!」
「了解」――ソウガも含み、他の者が叫んだ
魔物――『ヤマタノオロチ』に向かう五人。遅れてグレン本人も。残されたアンテツ、クフリ、ガンケイ、バンキ、ソウガ――そして、シダレに十字剣を返したファンショは。
まだ数十人は起き上がる屍体――その肉片に、武器を振り翳す。
「まずは……お~まえ――」
飛んでいた魔女が、アンテツに急接近し、そのまま肩を掴む――と、一人だけマジョガタの群衆から引き剥がし、崩れた瓦礫の斜面まで、引き摺り出した。
「――ファンショ!」
近くにいたソウガは叫んだ。
「――指揮を頼む!」
走ろうとしたが、ガンケイが十字剣で制止する。
「手数がある」
「――任せる」
信頼――互いに頷き、ソウガはガンケイの背中を援護し、近くのマジョガタの腕を引くと、地面に屈めさせる。その隙にガンケイは、アンテツに向かった。
ドンソウが『四方盾』を構えるも、小さな金十字の板に、『ヤマタノオロチ』はビビることはない。
「――んァっ‼︎」
そのまま勢い良く、真正面から頭でド突き――左腕に痺れを感じさせるほど強く、ドンソウは退がらせられた。『四方盾』を構えたままの背後に、クルキが正面から支えた。
「ぅウッ‼︎」
一瞬、かなりの重量が掛かる――が、どうにか、転倒はしない。
「ご、ごめんなさいっ……!」
「気にするな――それが役に立つ」
二人の左側を、キキとシダレが通り抜け、右側にメイロが走る。三人はそのまま散開し――それに合わせて、二、三の頭が追うようにそっちを向いた。
追ってきたグレンが、ドンソウを打った真ん中の頭に、弾針を射出――ギリギリ届いたが、刺さるまではいかない。
「ドンソウ! 正面を頼む。――防御一択で、これ以上前に進ませるな。バックアップは私がする」
「り、了解です……」
「クルキ、気を散らせ――」
グレンは、『オロチ』に武器を構える全員に向かって、再び叫ぶ。
「これは耐久戦だ! 全員がこっちに来れるまで、どうにか持ち堪えろ!」
承諾の声が重なる。
「――策はあるのか?」
二本の槍を構えたクルキが、静かに訊く。グレンは苦笑する。
「――あると思うか?」
怪訝な目つきになった冬のヴァイサー――グレンは弾倉を取り出すと、『十字弩』にセットして、装填軸を引く。
「――でも、何とかはする。いつも通り」
グレンとクルキは、ドンソウの左右にわかれた――『オロチ』の唸る頭が、正面に二つもたげてきた。
斜面の手前で投げ出されたアンテツは、再び飛来してくる魔女に対して、『双短剣』を逆手に構えた。十字剣は少し先に落ちてた。超近接スタイルであったが、魔女はその気はないらしい――飛んだまま、掌を向ける。
放たれる黄色い光線――アンテツは退がると、瓦礫の影に隠れた。破壊され、またも違う瓦礫へと跳ぶ。
一対一。
相手は手負いで、絶対に倒せないとは言わないが――状況が厳しい。
次々と放たれる――一体全体何の効果を持つのか、まるでわからない色とりどりの、魔術の光線。
電撃のように途中で屈折し、無数に放たれ、近くで噴き出していた水さえ通過し、アンテツの全身を打ちに来る。
短剣の刀身が射出できるだろうが。隙がなければ刺さらないだろう。空気の膜も復活しているかもしれない。ソウガに裂かれて見えている肌も、もう血は止まっている。
「……クソッ――」
不満が漏れる。天秤のヴァイサーとして、グレンの副官として、あまり良い兆候じゃない。――そして、それが続く。
「グァハっ⁉︎」
紫色のジグザグの光線に、肩を打たれた――その右腕全体が、衝撃ではなく、違う何かで強く痺れる。それが何かはわからない――クッ。
続け様に、橙色の光線――今度は緩やかにカーブを描き、アンテツの背後の瓦礫に――直撃した瞬間、内側から小さな破片が弾け出した。――それ、人体に当たったらどうなったんだろうか――と、考える間もなく、背後から押されたアンテツは、斜面に仰向けに流れ倒された。真正面の魔女はゆっくりと降下すると、アンテツの両腕に、緑色の雷撃を放った。
右手に当たった雷撃が、『双短剣』の一本を弾く――そのまま胸を流れて、左へ。
運命がアンテツを呪ったかのように、両腕が武装解除された。
「さあて――一匹ずつ、解剖してやる」
――めんどくさい、とは、もう言わなかった。