【第1章|かつての針子たちの楽園】〔第1章:第4節|欠片〕

「――蜘蛛の巣、……鳥の羽、……毛? 埃? 樹の皮かな?」
 落ちていた謎の糸玉状の塊を、キキは拾った樹の枝で突つく。砂漠とかで見たことがある、名前の知らない何とかのように、軽々しく転がって茂みに入る。
「――なニシテンだ? 無関係だろ。行こうゼ」
 バンキが言うと、キキは枝を捨て立ち上がった。
 二人の姿は、〈十字ソレット〉で『基本戦闘服ステータス』と呼ばれる格好だった。
 『基本戦闘服ステータス』は、象徴的なデザインに防御力と柔軟性を誇る――〈十字ソレット〉のブラックスミス、エィンツァー・ガンケイの逸品だ。
 特殊合皮を基調に、硬度の別素材で各所を――急所や臓器、腱や関節に該当する箇所を補強し、着用者本人の体格や骨格に合わせて調整された、個人専用服。
 白を基調とし、マットシルバーの補強部が締まった印象を与え、胸元いっぱいに金十字線の象徴を構えた戦闘服――それが、〈十字ソレット〉の『基本戦闘服ステータス』である。
 キキは『基本戦闘服ステータス』の背中に、X字型に二本の剣を背負っていた。左右の肩から剣の柄が飛び出し、その真ん中に、ひと纏めに束ねた後ろ髪が垂れ下がっている。剣は二つとも銀色の鞘に納められており、金十字は二本とも全容が見えない。
 バンキはキキと違い、スタンダードな武装方法で、十字剣を背負っていた。
 『基本戦闘服ステータス』の背中の上半分には、背筋に合わせたY字型の専用ホルダーが付いており、バンキはそのホルダーに、鋒を地面に突き刺すように、刀身剥き出しの十字剣を掛けていた。
 バンキはさらに左腰に、幅の広い小太刀のような、鞘に納めた剣を差している。先端は綺麗な半円形で、キキと共通しているのは、右腿に納められた十字短剣のみであった。
 夜の深い刻。闇の深い森。
 月灯りは明るいはずだが、空を見上げても丈の長い樹々の枝葉が遮っているため、見えるのは暗い枝葉たちのみ。かろうじて視認できる明暗の中を、二人は静かに進んでいた。
 針子村の南側。展望台の山との間――グレンに『南の林道』と命名された一帯。
 樹々が鬱蒼と生い茂る谷のような山中に、歪んだ車道が通っている――この車道が、針子村の南の入り口に繋がっており、林道と名付けられた所以だ。キキは昼間にこの道を通り、村に入った。
「うわっ‼︎」
「なンだ?」
「いや~……なんか死んでた」
「秋のヴァイサーか?」
「まさか! 違うよ、なんかの動物。……たぶん、イタチかな?」
「なンだよ」
 歩いているのは、林道の西側。
 これから西側の半分を捜索し、林道を通過して東側全域を捜索。さらに林道を跨いで、帰路に着くついでに、西側のもう半分を捜索する――という予定だ。
「鬼が出るか、蛇が出るか、だね――」
「変なフラグ立テンなよ」
 闇の濃い方へ、二人は進んでいた。

 巨大な一塊岩――グレン自身が命名した『北の岩崖』。
 針子村の北東に位置する一塊岩。赤茶色の岩肌が天高く伸びており、月に照らされた輪郭だけが歪に浮かんで見えている。グレンはその影を、いつもの眼鏡ではなく『戦闘用ゴーグル』をかけて見上げていた。通信機能に耐久性を兼ね備えた、グレン専用の視力矯正ゴーグルだ。
 頑丈そうなフレームの奥で、鋭い眼光が夜空を見上げている。
「――ホントに登るの?」
 不安そうな声と共に、ガンケイが隣に現れた。同じく上を見上げて。
 グレンは視線を下げる。
 目の前の岩肌の凹凸は激しく、気を付ければ崖登りくらいはできそうなものであった。
「嗚呼。――グローブを」
 二人とも『基本戦闘服ステータス』だったが、スタンダードなグレンに対し、ガンケイは各部位に、頑丈そうで外骨格のような、金属製の凹凸を備えていた。二人とも、十字剣は背負っていない。右腿に十字短剣と、左腿にそれぞれ形の違う柄を納めている。
 グレンの髪はいつも通り、後頭部で束ねられ、背中のY字型ホルダーの隙間に入れ込まれていた。真上から見た際首を頂点に、三角形状に空いている小さな穴だ。
 二人の足元には、それぞれ小さなウェストバッグが一つずつ。
 ガンケイは持っていた手袋ひと組み、グレンに手渡す。二人は岩崖を見上げながら、そのグローブを両手に装着。
 摩擦係数の高いゴム製のグローブ。指先は特殊カーボンの爪――鈎状となっている。専用ではないが、崖登りには向いている、屋外用のグローブだった。勿論、ガンケイ作。
 これからこの数十メートルか、もしかしたら百メートル越えの岩崖を、二人は月光源を頼りにして、登らなければならない。
「落ち始めたらどうしようもないから、爪を立てる以外ではもう、自力で何とかするしかないよ」
 ガンケイの語り口に、グレンは頷く。
「高い所から落ちるのは初めてじゃないし、落ちる気もないから大丈夫だ。――君は、落ちた経験は?」
「高所恐怖症じゃないけど、これは絶対に正気じゃない」
「大学入学を控えた十八歳の少年が、非合法の非公的戦闘組織の戦闘服の設計と鍛造を担っていることも、人によっては正気じゃないって言うだろうな。――崖登りは、登り続けるだけでも充分、思ってる数倍危険だから、注意しろ」
「その戦闘服がある程度護ってはくれるけど……頭部と末端は補償外だからね。因みに落ちた経験はないよ」
「初体験は失敗したらトラウマになる。――私が下になろうか?」
 グローブの信頼性を確かめるように、グレンは掌を幾度か叩き合う。装着し終えたガンケイも手に馴染ませながら、首を横に振った。
「良いよ。いざとなったら何とかする。それでも死んだら、そのときは運んで」
「死ぬくらいなら、私が助けるよ」

「――最近どう?」
 『基本戦闘服ステータス』のソウガの隣を歩くのは、同じ格好で白い印象の強い顔――クフリだった。背負った十字剣との隙間に、長い髪を入れ込んでいる。
「……どう、って?」
「あまり難しく考えなくて良いわ。――この二年で何か思うことは? 悩みとか不安とか」
 クフリは日頃から、それほど饒舌ではない。メイロほど無口なわけではないし、キキほど無鉄砲にお喋りなわけでもないが、個人的な世間話に関しては、任務中でも任務外でも数えるほどしかしたことはない……本当はそうじゃなくても、そんな気がする。
 嫌いなわけではないし、その腕は尊敬に値する。エィンツァーの中では最年長の女剣士――翻って、ソウガは入ってまだ二年の、一番の新参者だ。
 先輩風が吹いてきたのも、仲間という感覚が強く、素直に嬉しい――が、気を遣ってくれるクフリには申し訳ないが、ソウガは特に思い浮かぶことがなかった。
 クフリとソウガの担当は、『西の森林』。
 針子村の西側の柵――その外側。
 下り斜面気味の深い森で、横二、三キロ真西に進むと幅の広い川が流れており、二人の捜索範囲はその中。南に進めば『南の林道』に行き当たり、北へ進めば、幅のある岩場に出る。広い範囲だが、『南の林道』ほど高い樹々に覆われてはおらず、『東の茂み』ほど遠目からの視線を気にしなければならないほどでもない。比較的動きやすい範囲だ。
 そんな自然の中であるから、
「〈四宝ソレット〉が担当するべきだろ」
 と、立ち入る前は文句も垂れた。東西南北どこもそうだが。
「――――」
 クフリは沈黙は、ソウガの言葉を待ってくれている。ソウガも何か考えてみる。
 ――。
 幸運にも、自信が〈十字ソレット〉に慣れるのは早かった。
 戦闘任務を幾つかこなし、戦闘以外も幾つかこなした。ちょっとした補助や、委託された他の〈ソレット〉からの任務も。二人のヴァイサーのように、〈ソレット〉の中で役割があるわけじゃないし、メイロやドンソウみたく、あちこちに呼び出されるほど認められるわけでもない――一介のエィンツァーとして、『矜持』に従って活動してきただけだ。
 何か応えたい気もするが……。
「武具はどう?」
 返す言葉を探していたソウガだったが、何か言う前にクフリの視線が、ソウガの左腿へ。
 他の捜索班と同じく、『基本戦闘服ステータス』に十字剣を背負った二人。
 他の捜索班と同じく、それぞれ一つ、特殊な形状の武具を身につけていた。
 『個有武具こゆうぶぐ』――〈十字ソレット〉は戦闘において、十字剣と十字短剣を義務的に武装することになる。この二つは、自身が〈十字ソレット〉であるという象徴でもあり、その誓いを以って振るう力の戒めでもある。
 そして、それぞれ得意とする戦闘手段を遺憾無く発揮できるよう、右手に十字剣、そして左手に『個有武具』を持つ戦闘スタイルが、推奨及び許可されている。
 『個有武具』は、各々の希望から設計・鍛造され、自分の専用の武具として武装できる。
 ソウガの『個有武具』は、左腿で専用の鞘に納められ、十字短剣のような柄を見せている。十字短剣よりも、刀身がやや長めの鞘だ。
「不満を持つべきか?」
 先輩に訊き返すソウガ。だが先輩は先輩らしく、
「必要不必要で考えるべきよ。それで充分か、それとも不服か――改善の余地があるかどうか――それが大事」
 高い丈の草を掻きわけ、茂みに割り入るクフリ――その左腕には、籠手状の『個有武具』を武装している。
 『基本戦闘服ステータス』と同じような配色で、金十字を構えた籠手――細長い小盾のように左の前腕を覆っている。
 クフリはソウガの視線に気づくと、その左手を持ち上げ、ソウガに見やすいよう掲げた。
 軽く拳を握ると、肘を引くように素早く動かす――キュシンッ!
 金属音が短く響き、手の甲から鋭い刀身が飛び出した。金の軸線を挟んだ十字剣と同じような刀身――平たく、前腕を刀身として伸ばしたような、突出した剣。
 『十字突出剣クロス・カタール』――エィンツァー・クフリの『個有武具』。
 クフリはもう一度突出機構を起動し、刀身は再び籠手に納まった。
 ――『個有武具』は、それぞれ適性がある。
 〈十字ソレット〉に入りたての頃、ソウガは『個有武具』を「銃にしたい」と希望した。人生で触れたことのある武具の中では、そこそこ馴染みがあり、それなりに得意であったから、という理由でだ。だが本体の管理と、使用上における注意、さらには〈ソレット〉の伝統などの観点から、しっかりと却下された。……それに関して不満はない。寧ろ当然だ。
 だが――じゃあ何を使う? と尋ねられると、返答に困った。
 「銃器」じゃないなら、飛び道具の使用は可だと言う。射出武具――弓やぱちんこ、ブーメラン。変わり種でチャクラム、とか…………。
 ただし、戦闘において――戦場において、敵味方の入り乱れる中を、的確に使用しなければならない。とんでもない命中精度が求められる。……その自信はなかった。
 例えばグレンとアンテツは、自分たちの役割を意識して決めたらしい。が、ソウガには特殊な立場や役割がない。一介のエィンツァーだ。
 例えばクフリとガンケイは、自分の才能に準じ、それを活かすためのものだと言う。ソウガの才能は……あるかもしれなかったが、今の自分はそれを知らない。――衝動? 才能じゃない。ただの癖だ。衝動的に武具を振ったら、それこそ逆に射たれかねない。
 例えばメイロとドンソウは、自分の身体特性に応じて選んだと言う。が、ソウガの身体特性は、才能と同じだった。…………。
 例えばキキとバンキは、好みで選んだそうだが、十字剣を持った状態で、自分の好みの武具を使うというのは、それだけでかなり限られる。趣向を優先させられるほど、腕に自信はなかったし、その上で……好きな武具? さあ……?
 特殊な例でシダレだが、彼女と同じ武具にする意味は、特になさそうだった。まだ今のままの方が、使い勝手が良い気がする。
 我ながら優柔不断であり、今日までも「充分か?」と疑問を抱き続けてはいた。
 なるほど、それは確かに「悩み」かもしれない。
 クフリは短く息を吐くと、軽い感じを装った。
「あまり気にしなくて良いわよ。今で充分だと思うなら、それで納得しなさい――上を目指せばキリがないし、わざわざ下を向く必要はないわ。武具は、必要なときに必要なことができるための道具よ。『正義』と同じで、結果的にそれでいいなら、それでいいのよ」
 ――変に頭を使わせたみたいで、悪かったわね。
 冷たい声が森を透き通るが、彼女なりの優しさは感じられた。
 左腿の柄を見下ろす。――そう言われたらそう言われたで、自分が特に不満がないことを自覚する。
 そしてそれは――武具に限らず。
「……特に不満はないな。俺はこれで充分」
 左腿を叩いて言う。最上級でも、最下級でもない。
「なら、それで良いのよ」
 先輩の言い振りは、心地の良い耳触りであった。

 『東の茂み』。
 針子村の東――『北の岩崖』から『南の林道』の間。
 樺と低木のまばらに生えたその一帯は、他の場所と違い、針子村の外周柵とは数十メートルほどの、村と割と近しい距離であり、広大であるものの見通しの良い地であった。
 ――現在は夜。
 針子村は夜間、灯籠のような橙色の街灯が点けられている。山奥であるが、一応の観光集落でもためだ。
 そのボヤけた灯りを視界の左に、茂みの中を二つの影が進んでいた。
「……」
「……何か言いなさいよ」
 『南の林道』や『西の森林』ほど、樹々の間は狭くない。直立して歩くと、億が一にも誰かいた場合、遠目からでも視認されてしまいかねないために、メイロとシダレは屈み気味に低木や樹の影に潜みながら、慎重に前に進んでいた。
 二人とも『基本戦闘服ステータス』であったが、メイロは『個有武具』を装備していなかった。背中の十字剣と右腿の十字短剣のみ。他には何一つ持っていない。
 一見するとシダレもそれだけに見えるが、その左手は――手首から先は、金属製のグローブのようなもので覆われ、それぞれ五本の指先には、銀色の尖った爪が構えられていた。
 『個有武具』――『十字鉤爪クロス・クロー』が暇を持て余すように、樹の皮に爪を立て、小さな傷を付けた。
「抽象。――何かって、何だ?」
 これまで一時間近くの、屈み腰での捜索。
 成果はない。メイロの黙々とした態度に、シダレは退屈していた。
「さあ? 面白いことよ。――何か面白いこと、言いなさいよ」
 改めて言い直すシダレに対し。
「却下。――俺の小噺は抱腹絶倒。笑い転げたお前の声で、存在を気づかれるかもしれない」
 メイロは至って真剣に答えた。……誰かいそうな気配はなかったが。
 足元の大きな枝を掴み、脇にそっと置く。少し進むと、針子村の真東――『北の岩崖』との間の、砂利の一帯に出る。折り返し地点だ。
「すごい自信じゃん。あんたの小噺なんて、聞いたこ――」
「注意。――動くな」
 鋭く、静かに。
「………なに?」
 足を止めたシダレも、無意識的に囁き声になる。
「発見。――何かある」
 メイロは、その「何か」に目を凝らす。
 シダレはメイロの背後から顔を出し、その視線の先に、確かに「何か」――遠目からでは断定できない「何か」を見た。
 村の街灯を薄く遠くに反射している、小さな「何か」だった。ファンショではない。
「……空き缶とかじゃない?」
「否定。――別物だ。不審物」
 二人とも屈んだまま、周囲を警戒する。
 ――誰もいない。異音や気配はない。
 妙な匂いや空気も、感じない。
 昨日今日と雨足があったわけでもなく、それでも何か、光を反射する物体がある。ゴミの可能性もあったが……。
 その類を探すのが、任務であった。
「――生きてそう?」
 シダレは訊くが、メイロはそれから視線を外すことなく、小さく首を横に振る。
「不明。――接近する」
「接触、かもよ」
 メイロは慎重に、一歩踏み出した。

「手を」
 上からグレンの手が伸びてきた。その手を取ったガンケイ。ままに上へ持ち上げてもらう。
 ――ひとまず。
 数十分かかったが、二人は無事に崖の上に登り着いた。
「流石に寒いな」
「あと、五月蠅い」
 ガンケイは耳を抑える。
 岩崖の上はそこそこ広く、足場は斜めっているが、立つことのできる安定的な地形をしていた――少なくとも立つ、歩くことができるくらいには。
 針子村自体が山奥であり、岩崖の上はさらに空に近い。
 風の音がビュウビュウと高鳴り、寒空を阻むものは何もない。視界の地平線上には、延々と薄い雲と星の夜空が広がっていた。束入れ込まれたグレンの髪も、その毛先はガンケイと同じく、風に大きく揺れていた。
「落ちたり倒れたりしないよう、慎重に」
 ガンケイはグレンと共に、強風に晒されながらも、慎重に前に進む。
 縁まで来ると、二人は岩に這う。目下の針子村を覗き込むと、針子村は街灯のお陰で、薄暗くも輪郭や影が視認できた。所々、民家の灯りも点いてはいるが、細部までは見えない。
 人の出入りも見当たらない。
「ガンケイ」
「なに?」
「修繕中の『夜間用戦闘服ナイトスーツ』、新たに耳あても付けて欲しい」
「――襟を高くするか、耳までの防御仕様――いや、クフリが嫌がるね。まあ、検討するよ」
「頼む」
 ガンケイは十数分前に足を滑らせた光景を――指が滑った経験も思い出す。
「……ついでに、ワイヤーベルトと崖登り専用のグローブも」
「ゴーグルも必要かもな」
 グレンはゴーグルをしているが、ガンケイの裸眼は強風を受けて、目を細め続けていた。
「……さっきのは本気で危なかった」
「滑空専用でも良いから、パラシュートかウィングスーツも」
「いっそ、ジェットパックか飛行ユニットでも考えとくよ」
「是非そうしてくれ」
 崖下には、特に異常は見当たらない。
 村の外を見ても、不審人物や〈十字ソレット〉の他の面々が見えるわけでもなく。
 暗闇の中、ガンケイはグレンに指示を仰ぐ。
「どうする?」
「三十分程度観察。何もなければ、録画機材を仕掛けて帰るとしよう」
「了解。次は落ちたい気分だ」
「グライダーを持ってるか? そしたら検討するが」
 冗談にしても寒々しい。
 出ている月は半月もどきで、星が綺麗に見えており、雲はまばらだった。
 その雲の一端が、二人の頭上にかかる。

「ゔぁっふいッ‼︎」
 樹の根に足を引っ掛けたキキが、盛大に顔から転けた。
「おイ……騒ぐなよ。誰かニ聞かレンぞ?」
 周辺をひと回り見る。――どうせ、誰もいない。
 すぐに立ち上がったキキ。
「血ぃ、出てる~?」
 振り向いたバンキ。目の前の顔は少し土に汚れていたが、傷や血は見当たらない。
「出テネエ。さッさと帰ろーゼ」
 既に帰路に着いていた二人。今のところ成果なし。おそらくこの先もないだろう。
 折り返し地点に着いてすぐ、小動物の死体を見つけたが、特に不審死ではなかった。森の中ではただの装飾だ。
「死亡フラグデも立テテミるか?」
 終始ヘラヘラとしていたバンキは、今もヘラヘラと歩きながら言った。
「――死亡フラグ?」
「こレからなンか起こンなら、任意のタイミングの方が良インジャネエかと思ッテな」
「ん? 例えば?」
「……アー…………こレが終わッたらおレ、結婚するンだ」
「……バンキ、母国で結婚して子供もいるんじゃなかった?」
「……アア……」
「だめじゃん」
「……ジャ……。おレニ任セテ、先ニ行ケ!」
「任せるも何も……何もしてないし。ていうか、先に帰ったら『一人で帰ってくるな』って怒られるの私じゃん」
「…………やッたかッ⁉︎」
「何もしてないって……」
「……悪イがおレは、部屋ニ戻らセテもらう!」
「私もだよ。現に今戻ってるって」
 特に何もなかった。森の中で、二人の声だけが響く。
 ――どこかで、カラスが鳴いた。

 クフリとソウガがちょうど着替え終えたとき、メイロとシダレが帰ってきた。
 南奥展望台。
 日中に監視班のいた展望台には、待機班のアンテツとドンソウを筆頭に、グレンとガンケイ以外は、既に帰ってきていた。
「お、おかえり、なさい……」
 私服のドンソウが出迎える。
 が、メイロは神妙そうで、シダレは薄ら笑いを浮かべており、二人を見たドンソウは、困り眉をさらに顰め、続けて訊いた。
「な、何か……あったん、ですか……?」
 その言葉に、その場にいた全員が注視する。……進展?
 メイロは黙って、その手に持っていたそれを見せる。
 アンテツが三人――メイロとシダレとドンソウに近付き、その手にあるそれを見る。
「――どこで見つけた?
 アンテツが訊いたその声は、真剣で深刻なそれだった。
「道中。――茂みの奥。砂利近くの木の根元に落ちていた」
「褒めて崇めると良いわ」
 さも自分の手柄のように、胸を張るシダレ。
「……それはファンショに直接言ってくれ」
 アンテツは一度深呼吸してから、それを受け取る。

 流線形の刀身。小さな鍔と柄頭に薄い橙色の印。
 「苦無くない」のような短剣――――。

「それ……」
 顔を覗かせたのはキキ。その後ろにソウガが続いた。クフリとバンキも、全員がその短剣を囲む。
「――どうした?」
 メイロの背後で声がして、一行が振り向く。
 帰還したグレンとガンケイ――二人の視線は、全員の顔から絞られていき、アンテツの手にある短剣に。
 その表情が喜びでもなく、哀しみでもなく――何とも言い難いものになった。
「――中々、面倒なことになったと思わない?」
 シダレが何故か楽しそうに、そう言った。

 『四季の楔しきのくさびあき』――正式にはそう呼称すると、グレンが説明する。
「〈四宝ソレット〉が所有してる『共通武具』のようなものだ。私たちで言うところの、十字短剣のようなものだが、一応武具ではなく道具らしいが。……『秋の楔あきのくさび』とも言う」
 日付が回った頃。
 『ブロッサム・アーチ』のスウィート・ルムに戻ってきた一行。
 剣のヴァイサーの手の中で、『四季の楔・秋』――『秋の楔』がクルリと回る。
 刃は欠けていないが、野晒しで放置されていた分、全体的に薄い膜を張ったように汚れていた。土壌か樹液かを引きずったようだ。
「〈四宝ソレット〉は『心恵』頼りの者が多いが、ファンショの『心恵』はそれほど高くないし、今は春先で時期的に使えないのと同義だ。道具に頼ることがあってもおかしくはない」
 つまり――と、ベッドに寝そべったキキが訊く。
「道具に頼らないといけない状況に遭った、ってこと? やっぱ『人外』関係かな?」
「たまたま落としたとか? うっかり、なんてのもあるでしょ?」
 ローテーブルに足を乗せ、ソファでふんぞり返ったシダレ。近くで椅子に座っていたクフリが首を振った。
「〈四宝ソレット〉は世間に知られることをかなり恐れてるわ――うっかり落とし物、だなんて以ての外だし、仮にもヴァイサーが、その存在を示す証拠をたまたま落とすとは考えにくいでしょう」
「信用してるとこ悪いけど、その言葉覚えておいてね? 生きて秋太郎に会えたら、ちゃんと真偽を確かめておくから」
「信用じゃなくて可能性の話よ」
「さ、最後の、連絡があったのは……と、到着、でしたよね……? て、てことは……」
 クフリの向かいに座るドンソウに、バンキが続く。
「つまリ、秋のヴァイサーは針子村からの帰リニ、何かあッた。――村の外ニ出テたンなら、捜索場所は外ジャネエのか?」
 グレンは首を振った。
「そうだ、と断言できるほどの情報がない」
 針子村がただの集落なら、問題が発生しても対応の手数は広がる。だが『巡回対象』であるなら、村に隠れるというのは…………どうなのだろうか?
 思ったままのことを、ソウガも口にしてみる。
「村の中に異常があったから村を離れようとした、ってのは?」
 グレンは浅く頷く。
「その可能性もある」
「逆説。――異常なし。帰路に着く。その時点で問題発生」
「そのパターンも」
 ――――。
 情報が少ない。
 確定したのは、ファンショが針子村に来た――少なくともいたであろう、という事実のみ。
 それぞれがうんうんと頭を悩ませる中、
「――繋がった」
 一人パソコンに向かっていたガンケイが、向かいに座るアンテツにその画面を見せる。
「仕掛けてきた撮影機材。ちゃんと映ってるでしょ」
 『北の岩崖』の上から、ほぼ真っ暗の針子村全体を遠目から映し出したものが、パソコンの画面に現れていた。
 グレンとガンケイが目視したときと同じく、殆ど動きのない、ほぼ真っ暗で、静まり返った針子村。
「……画質が粗い。てか、マジで登ったの?」
 アンテツより先に、シダレが口を開いた。
「登ったよ。死にかけた。画質はこれが限界。即席で準備したものにしては、良い方だと思うけど?」
 職人気質のガンケイは、自分の仕事に文句を言われることを嫌う。シダレは「……フン」と鼻を鳴らしたが、アンテツはガンケイに頷いた。
「よくやったガンケイ」
「やッぱ、まだ続ケンのか?」
「事案。――一のみ。証拠が足りない」
 グレンは頷いた。
「嗚呼――明日も捜索に出る」
 グレンは『秋の楔』を、ローテーブルに置いた。
「私とアンテツはひとまず、春のヴァイサーに連絡を取る。他の者は、腹が空いたなら夜食でも食べて、あとは就寝に入って良い。明日も捜索だ。早く起こすことはないから、充分に休息を取るように」

 ――『捜索任務』の一日目が終わった。

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