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日々は〝まっさら〟でしかない

新年早々に大ミスをおかしてしまい、ものすごく気持ちが落ち込んだ。

それでなくても12月入ってから、私生活も仕事も色々と立て込んで余裕がなく、落ち着く目処が立っているのは3月頃……で、ずっと気持ちがソワソワしていた。

そこにきて重大なミスをおかしてしまったものだから、ソワソワと揺れていた心の中の弦だかなんだかがプツンと切れたような感覚になってしまった。


大きなやらかしの原因は、ほんの些細な間違い。

3つボタンがあって、1・2・3のうち、2を押さなくてはならないというところで「よし、2だな」と思いながら1を押した、みたいな。
そんな単純な間違いだけど、その間違いで結果は全く違うものになる。

1と2と3は全く別ルートを辿ることになるから、そこは絶対間違ってはいけない。
けど、気をつけることはシンプルで、ボタン一つ正しく押せばいいだけ。

……というところでボタンを押し間違えてしまったのだからどうしようもない。


私は昔からそんなミスが多くて「自分は単純なミスをする」という意識が強く、動画編集の仕事なんかは編集の中でそんなミスをしていないか注意深く見るようにしていた。
でも結局、こうやってふいにミスをおかす。


ミスそのものにも落ち込むけど

「なんで自分ってこうなんだろう」

という落ち込みも重なって、
どんどん気持ちが沈んでいく。


更に年始にこういうミスをしたということが、より気持ちを削ぐ要因になっていた。


出だしがうまくいかないと、なんだか全てがうまくいかないような気持ちになるのって、どうしてだろう。
私だけ…??


2025年の幸先が悪いような気がしてしまって、落ち込みに落ち込みが重なってドツボにハマってました。


そしてドツボにハマりながら何をやってたのかというと……







……ひたすらマイクラに勤しんでおりました。


去年のクリスマス、長男がサンタさんに頼んだ「マインクラフト」

「よくわかんないけど一緒にやってあげないとなぁ」と渋々な気持ちで始めたら、何これ、ずっとやってられるんですけど。


昔からRPGものにはあまりハマれず(人の見てるのはわりと好き)自由度の高い作業ゲーが好きな私は、マイクラの作業感にまんまとハマりこんでしまった。


かぼちゃ畑
焼肉中
平屋建てのマイホーム



ただ、ゲームをしている最中、ずっと頭の片隅に「この時間で編集できるのに」「家事ができるのに」という罪悪感があって、昔の私はゲームにハマっている時間を「最高に意味のある時間」くらいに思えていたのが、今はそう思えていない自分がいるのが悲しかった。


マイクラは落ち込んでいる時でも黙々とできて、黙々と木を切り続けたり岩を叩き破り続けたり。
ぼーっと現実逃避するのにいいけど、完全には逃避できてないどころか「あーもう1時間経った、(仕事も家事も)何もしてない」と罪悪感をしっかり背負ってしまう。



それでも「今は冬休み」。
家族4人、家でのんびりマイクラしたっていいじゃないかと、罪悪感を背負いつつも思いっきりだらけることにした。


ゲームに没頭してる間
「こんなことしてていいのか」
という気持ちは消えないけど、

そんな気持ちがあってもやめられないくらい
「ゲームを楽しい」
とも思えていて。

何かに夢中になれるって、それがいくら生産性のないことに思えても
「夢中になって取り組める」
というだけでいいんじゃないか。

人生に生産性のない楽しみが多少あったっていいんじゃないか。


……そもそも、人生自体が、死ぬまでの暇つぶしなんだった。


とはいえ私は大人で、二児の母で。

いつまでもやらなければいけないことから目を背けてマイクラに全ての時間を注ぎ込むわけにはいかないので、節度というのは持たなければいけないけど。


もうすぐお正月も終わる。
また通常運転の日常が始まる。


そしたら、そこから「やらなければいけないこと」と、乗り気じゃなくても凹んだ状態でも向き合うんだから。
そしたらまた、頑張ろう。

年始にやらかしたのがなんだ。

白紙のスケッチブックの1ページ目を盛大に汚したような気持ちになっていたけど、人生は今に始まったものじゃない。

毎日が〝まっさら〟から始まって。
一日終わる頃に大作が生まれようが、駄作が出来ようが、日々は繰り返す。


凹んでる時こそ、淡々と過ごそう。

そのうちまた〝まっさら〟を、想像力の働く限りに埋めたい!と、やる気になる時がくる。


それまでは

「ぼちぼち」

くらいの感じで、やっていこう。


好きなことしながらマイペースにがんばる。


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ひかげ
動画編集、note記事作成などのクリエイト中に飲むおうちドリンク代にあてさせていただきます☕️