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隣人を愛するということ


もしも、誰もが愛を感じることができたなら。

弱さ故の争いを断つことができるかも知れない。

この不滅とも言える茨の道への第一歩は、誰もを愛することから始まる。



えーこんにちは、あるいはこんばんは。ひかっちゃです。

今日はいつもと少し変わりまして、クリスチャンである私の感覚を絡めたお話ができたらなと思います。

私ひかっちゃですが、実は中学一年生のクリスマスの時期に信仰告白と言って神様を信じることを誓いました。こんな奴がと思う方も一定数おられるかと思います。そうなんです。こんな奴でもクリスチャン名乗っていいんですよ笑。

ちなみに、私は日本キリスト改革派というものに属しています。教会が気になる方はぜひ、一度調べてお近くの改革派教会に出向いてみてください。もしかしたら私に会えるかも知れませんし、私のことを知る兄弟姉妹たちに出会えるかも知れません。まぁ近くにあるとは限りませんが、、、笑。


前書きが長くなりすぎてもいけないので、早速本題に入りましょうか。

今回のテーマ「隣人を愛するということ」

この隣人を愛するという言葉なのですが、私めちゃくちゃ好きなんすよ笑。

急にどうしたって感じですかね笑。

これ、意味合いとしては全ての人を愛することに変わりはないのですが、隣人というのがまたいいなと思いませんか!?

ズバリ、私たちの何が違うかって、気に入った人を愛するのではなくて、愛するために人と関わり、知ろうとするところなんですよ。

私たちの信仰生活の大部分は、まさに、この隣人の拡張と言っても過言ではないかも知れませんね。

この意識を若くして持つことができたことは、私の人生において一番の宝です。これまでも、そしてこの先も、一番の宝であるということに変わりはないでしょう。

私たちは愛し愛される人間関係が広がり続けていくのですよ?

こんなの素晴らしいに決まってます。

好き嫌いや選択をする必要はないのです。とことん愛せ。ただそれだけ。

しかし、これはみんなに優しくすればいいということではありません。

その人のことを大切に思う。それゆえの衝突ももちろんあるでしょう。

でも目を背けない。それこそが本当の強さでもあるのです。


隣人を愛すること、皆さんも始めてみてください。


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hikaccha
これなんや