親友の結婚式

平成が終わってしまった。

そして令和の時代がやってきたのだ。

平成の思い出に浸る間もなく、令和に入っていく。

ただ僕の人生にとって、年号の区切りは何ら影響を与えない。

たかだか、書類の日付欄に書く日付の煩わしさが増えるだけだ。


そんな年号なんか気にしない僕が、年号の話から書き始めたには理由がある。

平成の最後の思い出が、最高の思い出となってしまったからだ。


そう、平成の最後の思い出は、親友の結婚式だった。

思った以上に感情の揺れ動きがあった。


感じる気持ちは虚無感でした

20代中間地点の僕にとって、友人の結婚式に行く機会は、今後これからも増え続けるだろう。

ただ一つ言えるのは、親友の結婚式というものは、これからも増え続けるものではなく、「一つ、また一つ」となくなっていくものであるということだ。

なぜなら、親友という存在は少ない存在であるからだ。

そんな事実を知っていながら、親友の結婚式に出席し、祝福の言葉を投げかけ、涙を流し、感動し、帰路につく。

そして夜11時の丸ノ内線に乗って感じるのだ。

圧倒的な虚無感を。

せめて具体的に言い表すなら、中高の文化祭後の、空っぽになった教室で、「疲れた」という言葉を吐露する、あの気持ちに似ている。

充実感がありながらも、何か大事なものを失ってしまい、これからどのように生きていこうか悩むような感覚である。

なのに少し、心が満たされているような感覚だ。

(この気持ちを、虚無感という言葉以外に、適切に言い表す言葉を探して早10年経つ。)


親友の結婚式だからこそ、とても嬉しいのだ。

ただ、嬉しさを感じると同時に、数少ない人生の大イベント「親友の結婚式」というものが終わってしまい、非常に虚しい気持ちにもなってしまうのだ。

それが、僕がいう虚無感を感じる理由の正体だと思う。


電話が僕を救ってくれた

親友が僕にくれた思い出は、たくさんあった。

・初めての成田への映画

・ハンゲームでチェスをやったこと

・受験勉強を一緒に頑張ったこと

・教室で食べるお弁当

・放課後、餃子を食べに行ったこと

・初日の出を見に行ったこと

・河口湖で野宿したこと

・インドの砂漠で野宿したこと

・インドで、エアコンの温度がきっかけで喧嘩になったこと

本当にたくさんの思い出があった。


ただ、親友が僕にくれたものの中で、1番僕の中に残っているものは、数ヶ月に1回の電話だった。

お互いの次の日の用事があろうとも、朝の6時ごろまでの電話。

一見、バカな行為に見えることかもしれない。

しかし、こういう何も考えずとも会話できる親友との電話に、僕は何度も救われたのだ。

気負わない相手との会話ほど、落ち着くものはない。

その落ち着きを与えてくれた電話だからこそ、どこどこに行ったなどの思い出より、深く、心に刻み込まれ、自然に、その数々の電話に感謝しているのだ。


今、僕が東京で、公認会計士を生業として、勤めていることができる大きな理由に彼との電話が入るはずだ。

公認会計士試験の3ヶ月前に、僕は当時の彼女から振られた経験がある。

当時の彼女の決断に、僕がとやかく言うことはできないが、想像を絶するほどに、きつい時期を迎えることとなった。

本番までたった数ヶ月で、これから追い込みをかけて勉強しなければいけないそんな時期に、その時の僕の支えであった彼女に振られたのだから、それはそれは、とてもつらい時期だった。

ただ、そんな僕を支えてくれたのは、親友との電話だったのだ。

彼は、慰めてくれた。

他愛もない話もしてくれた。

彼には、特にそれ以上の感情はないと思うが、彼とする電話に、僕は、本当に救われたのだ。

感謝の仕様が無いほど、感謝しているのだ。


これから僕ができること

親友の結婚により、僕と彼の関係は確実に変わっていくと思う。

今まで、彼との関係は、お互いに大事な親友だったと思う。

しかし、結婚を機に、彼は守るべきものを新しく手に入れたように感じた。

「守るべきもの」って言葉は使い古されているが、結婚式を見て、僕は心からそう思ったのだ。

親友は、奥さんを今後必死に守って、人生を歩んでいくのだろうと。

彼の性格だ。守るべきものを手に入れてしまったら、それが第一優先になってしまうと思う。

奥さんに、子供、新たな家庭を築くと同時に、ご両親とも新しい関係性を築いていくんだと思う。

そういう意味で、僕なんかより優先すべきものができたから、僕と彼との関係性は少しだけ変わったしまうような気がする。


ただ、僕はいつまで経っても、彼の声に、耳を傾けようと思う。

僕には、彼と会って、話をすることしかできないかもしれない。

しかし、親友同士なら、会話をすることだけで、お互いを助け合う関係が作れるはずだと僕は思っている。

僕自身、彼の電話には本当に救われたからだ。


これからも、受話器を通した彼の声に耳を傾け、たまには、自分の耳で肉声を聴き、彼のつらい時期の手助けができたらなと強く思う。

それと同時に、このような感情が湧き上がる彼と出会えたことに、心から感謝する。


出会えてよかった。

本当におめでとう。

令和でもよろしく。


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