【note創作大賞2024オールカテゴリ部門】 眠らない男 短編小説 5653文字
ぐうぐう 轟々といびきをたてて眠る男の口は大きく開いて、小ぶりな優子の握り拳ぐらいなら入りそうだった。
男は白目をむいて瞼をぴくぴくとさせ、コメディアンのような古典的なポーズをとってベッドの上に転がって胸板を上下させている。
ホテル備え付けの浴衣がはだけて汗の浮いた胸板がはだけているのが見えた。
時折、ガッと窒息しそうに喉で呼吸をとめるのだが眠りから覚める気配はない。
未明まで激しく抱き合っていたのが嘘のような有様に、優子はおのれの情熱が冷めてゆくのを感じながらSNSの画面をスマートフォンで開いた。
「もう連絡してこないでください さよなら。」
ラブホテルのキングサイズのベッドに横たわる相手をブロックリストに追加すると、
優子は浴衣を脱ぎ優雅にシャワーを浴び始めた。
この調子で起きることは到底ないと踏んだのだ。
長身でスマートな言動をするところが好きだったスタイルのいい男の人。
過酷なお仕事で疲れていたのかな。
「またそれで蛙化して振ったの?!かーっ優子って名前のやつは文字に反して大抵やさしくないんだよ!」
「あみ、なにその謎のハラスメントやめてよね!
そりゃ一気に百年の恋も覚めるわ!
なんなのあのやることやってから安心し切った姿は!こちとらリスパ飲んだって眠れやしないんだよ」
その日寝不足のまま繁華街のカフェテラスで優子は親友の亜弥と合流すると不満をぶちまけた。
声のボリュームに何人かの大通りを歩く通行人がびっくりした顔で二人を振り返っている。
「うーんまぁ………確かに優子はそんな超絶不眠症なのに先にぐうすか寝られたら腹が立つかも?」
「でしょ?やることやったら はい、自分だけ寝ますぅなんてどうゆう了見してんのよ」
「でも初対面の なに、アプリで知り合った相手はさ、優子の それ 不眠症自体を知らなかったんでしょう?」
「ん………?まあね」
優子がテーブルに置かれたグラスに口をつけた。
口を離すとベリー色のグロスがコップに色移りしたので人差し指で拭った。
優子は色がとても白いのでこの色がとてもよく映える。
髪色もオフィスの御局様に注意されない程度のダークラズベリー。
栗色の天然パーマにつけまつげの亜弥はファニーフェイスをそっと歪めるとこう優子に向かって警告をした。
「あのさぁ 事情を知らないのに置いていかれるのは きっと 相手はいい気しないよ」
そう言ってカフェ・オ・レを一気に飲み干した亜弥はどこか憂鬱そうだった。
二月のテラス席で黒のロングコートを肩掛けする親友はとてもスタイリッシュで一瞬見惚れてしまうほどの風景だった。
二人ともひざにはお店サービスのブランケットがかけられている。
そして物憂げにティーカップを触る亜弥が気になったが。
優子は「そうかもね」とうわべだけの返事をした。
親友からせっかくのありがたい警告をもらった優子だった。
しかし、温くなってきたカフェミストを飲み。
飲みながらこんなことを考える。
眠らない男はいないかな。
永遠に眠らない男と寝たい。
暗い深海に
朝日がのぼって、抱き合って、いつのまにか長い眠りに落ちて目が覚めたら男が笑ってわたしを抱いている。
そんな夢のような夜明けが来たらどんなにいいだろう。
優子は知らず知らずのうちに微笑んでいた。
そしてそれを探し、実現させることに決めていた。
優子がよからぬことを企むような微笑みを陶器のカップの下に隠してるのを亜弥はめざとく見つけ。
亜弥は自分の出した警告が無効になる未来を予想しため息をついた。
カフェから望む近くの都立公園のおおきな花時計。デージーや季節の花々がぎっしりと求心的に咲いている。
時計の針はまもなく昼の三時を指そうとしていた。
ー今日の男もダメだったなー
優子は徹夜明けで訪れた睡眠科外来でそう振り返った。
昨夜、亜弥と解散したあと繁華街のバーで知り合った男。
スマートに会計を済ませてくれたが。やはりモーテルで優子より先に眠りについてしまった。
シーツに枕に囲まれながら優子に背中を向けて。
優子も睡眠を試みたが睡眠薬一式がちょうど切れていることに気がついた。
そしてモーテルを出て今日朝一番、都内駅近くのクリニックの外来診察に並ぶことにしたのだ。
優子は待合室の飴色のソファーにダイビングをきめようとした。
が、遠慮がちにカバンを抱きかかえて前方へ丸めた身体をどすりと置くにとどめた。
優子の特技は仮眠だ。
そこが今日みたいな病院のソファであっても、自宅の玄関のフローリングであっても、
勤務先のオフィスの廊下であろうとどこであっても眠れる。
問題は本格的な睡眠がとれないということと。
自宅のベッドのうえでは到底眠れないということだった。
ゆきずりの男との行為の後であっても。
そして昨夜も夜の街をさまよった。
ーフカイウミノソコ………ー
優子が寝息を立てはじめると、優子の手元のアナログ式お薬手帳がクリニックの通路に落ちた。
それに気が付いた待合室隣の男性が優子を起こさないように手帳の冊子をソファに置こうとしたとき、優子が目をさました。
「あっ すみません起こしてしまいました」
「んっ………?え………」
「お薬手帳床に落としてたんでここに置いときますね」
「あっ!すみません ありがとうございます」
優子はバツが悪かった。メイク済みとはいえ寝起き 寝不足の顔を美青年に見られようやくお礼をいった。
そのあと病院のロビーのモニターと受付表を交互に見た。病院から発行されたものだ。
ー待ち時間残り一時間ほどかー
優子が仮眠を始める前にいなかったこの青年ーキャップをかぶっており詰襟コート、スキニーパンツにスニ―カー。オールブラックコーデ。
同年代で顎がとがっておりミディアムレングスの黒髪ー
彼もまた待ち時間に退屈しているクチかもしれないと思い、思い切って話しかけてみることにした。
優子が改めてお礼をいい、まだ待ち時間があるなら待合室の自販機で時間をつぶさないかという提案に青年は受付表を優子に見せながら二つ返事で引き受けた。
やはり彼も診察までの長い待ち時間に退屈していたようだった。
優子がお礼にご馳走させてくださいというと青年はスマートにことわり。
どれがいいです?と黒の長財布をゴス調の黒のリュックサックから取り出しながら逆に訊いてきた。
優子は恐縮しながらあたたか~いと書かれた紅茶のボタンを押した。
青年は同じボタンを押すと、取り出し口から二つの缶を取り出し一つを優子に渡した。
缶のプルタブを引き、一口飲むとこちらにずらっと背を向けて座り順番待ちをしている老若男女様々な診察待ちの患者の方を向いた。
そして優子に名乗った。言わずもがな、彼もまた不眠症である事も。
「優斗っていうお名前なんですね、名前に優しいって字が入っていると やさしくないとか言われません」
「あはは よく言われる」
「わたし昨日も親友にそれ言われて!名前負けしてます」
「でもね 優子さんは優しいひとで間違いないよ」
「そうかなぁ」
「うん 優しい」
そういって間近で微笑む青年ー優斗というそうだーとセミダブルのベッドの上でともに泳ぎ回るようにして会話を交わした。
シャンパン色の間接照明のせいか微笑みが妙に艶かしく、抱き合った後なのに心拍数がまた跳ね上がってゆくのを感じてしまう。
あの後、すっかり自販機の前で意気投合し、二人とも診察と薬局が終わり。
優斗が優子を食事に誘った。
こじんまりとした木造の小さなカフェで、二人は更に会話を重ねる。
そして駅に向かう途中、どちらからともなく手を繋いだ。
そして今現在、繁華街のホテルで同じベッドに裸でいる優子と優斗だった。
白と木彫を基礎にした清潔感と温かみのある部屋だ。
間接照明はそこに良いアクセントを添えている。
冷蔵庫で怪しげな商品が売られている以外は、本当に普通のホテルの一室といった感じに見えた。
またひとしきり愛し合ったのち、優斗はホテル備え付けのティーカップとケトルを使って二つ分のお茶を作った。
お茶はとても美味しくて、優子の眠りを誘う。
ノンカフェインの今時のお茶なのだ。
優子はいつの間にか眠っていた。
優子はベッドのマットレスの中で横になり優斗に抱き支えられながら夢を見ていた。
私たちの住む街が暗いくらい深海に沈んだ。
大きな高いビルがたくさんの大小の車がいくつもの歩道橋が遠い水面に向かって朝日を求めて揺らいでいる。
ここから遠い、空の代わりをした水の表面。
そのはるか向こう側を超えて小さなちいさな丸い点の灯。
ブルーのスクリーンを突き抜けて差し込むまばゆい希望の光。
街全体が人ひとりいない無人で、青く淀んで、息苦しい。
優子も絹のスリップ一枚の姿で街を泳ぐように街を素足で走り回る。
裾のレースのはためきが深海魚の動きのそれを思わせる。
長い髪が海の中で海藻のように上下左右にスローモーションのように羽ばたく。
建物のある曲がり角を曲がって、
車の走らない幹線道路の遠くに民族衣装のようなまっ白い服を着た優斗が現れる。
街一つをおおいつくすほどの巨大な太陽が、光が現れるのだ。
何百メートルという長さの二人分の長さの影が道にできる。
やがて街は光全体にに包まれ、ホワイトアウトして
優子はそこで切迫して大きく目を開けた。
「ぐっもにん」
少し眠たそうな優斗がバスローブ姿で優子の横で寝そべり、ドアップのアングルで朝を告げた。
夜明け
街の夜明け
そんな運命的な眠りを今優子は今体験したのだった。
繁華街のカフェのテラス席には亜弥が先に席をとっていたので優子は後から注文を済ませたトレーをテーブルに置いた。
今日も寒い一日なのでブランケットは必須だ。
そして、席に座り優子が二言三言亜弥に報告すると
亜弥は目を大きく開いて口元に両手を塞ぎ、明らかに驚いて見せた。今日のネイルはキャロットベージュだ。
「えっあの………さ優子、あんたに彼氏ができたのはいいけど………要はその人不眠症でしょう?
大丈夫なの」
「大丈夫もなにも!やっと現れたんだよ さっさとやるだけやってぐうすか寝ないひと!
もうこれはレアすぎて普通に考えて逃す訳にはいかないっしょ」
「そう、なんだ??なんか個人的には不安しかないんだけど」
「しかもちょっと彼謎のある感じのイケメンなんだよ きゃーっ かっこいい」
「(だめだこいつ)」
亜弥は良かったね、と優子にぼんやりと言いつつ複雑そうな顔をする
ーまたその男が先に眠ってしまえば優子は蛙化するのでは?ー
それから、優子と優斗は数えきれないほどデートをしたりベッドを共にしたりしなかったりした。
正確にいえば、一緒に必ず睡眠はとったが性体験があったりなかったりした。
相変わらず、優子にとって優斗との眠りの時間はドラマティックな体験の連続であり、
それは優子にとって嬉しい出来事に間違いはないことだ。
亜弥の心配をよそに、優斗が先に優子より先に眠りにつくことはなかった。
優子は優斗に夢中になった。いつもすこしだけ目の下にクマがある、それが優斗のミステリアスな美しさを引き立てているようで…………。
ある夏の日だった。
いかにも寝苦しそうな日で、
優子と優斗はすでに一緒に都心のマンションに住んでいた。
この頃の習慣として、一緒に眠る前の薬を飲んでから眠ることにしていた。
キッチンには行きつけの薬局の親切で渡してくれたお薬カレンダーが二つ分。
製薬会社のロゴが右下にやや大きく半透明にプリントされてあるので、少しインパクトがある。
普通のカレンダーより大きめで、結構場所をとってしまう。しかし飲み忘れようがないので助かっている。
キッチンの色合いと同じ、アイボリー色をしている。
今月は七月。
今日の日付から銀のプラスチックを取り出す。
優斗の分はそうでもないが、優子のそれは結構な量だった。
「お腹いっぱいになっちゃうなぁ」
たまにいう台詞を今日も優斗の前で溢しながらコップ一杯の水で錠剤を飲む。
優斗もそれに続いて自分の分を飲む。
優斗の分も負けず劣らずたくさんの量がある。
キッチンの窓から網戸越しの生ぬるい風が、室内のエアコンの空気とぶつかり、優斗はそろそろ換気をおしまいにしようと窓を閉めた。
夏のちょっとしたルーティンだ。
引っ越して来てからは、5階なので花火が見えるとの噂もご近所から聞いた。
「飲みましたっ」
優子が元気よく宣言すると毎日のこの儀式は終了する。
木製のシングルベッドを二つくっつけたダブルベッドのある寝室へ向かう。
照明を消してから二人でマットレスに潜り込む。
先ほど二人でシャワーを浴びたばかりなので二人別々のシャンプーの香りがする。
ふたりで横になってしばらくして、
優子が口を開く。
「ゆうくん、もうすぐで花火大会があるらしいよ 5階の奥さんが言ってたけどあっちの窓から花火見えるんだって」
「まじで ビール買って来てさ見ようよ あんまり酒は薬によくないけどね 誰か呼ぶ」
「わたしはやっぱ亜弥くらいしか思いつかないわー ゆうくんは」
「おれも親友でも呼ぼうかなこの間紹介したやつ」
優斗に負けず劣らず美青年、そして好青年な親友と紹介された谷中さんという男性を優子は思い出した。
背が高くてメガネが似合う知的なタイプの男性で亜弥は恋に落ちてしまうかもしれない。
そんなことを一人で勝手に考えていると、優子は気がついた。優子に覆い被さるようにして後ろから抱きついている姿勢の優斗が寝息を立てていることに。
優子は初めてのことに驚いたが、優斗のことを注意深く観察することにした。
周りに誰もいないかのような無防備な寝顔。
呼吸するたびに上下するとがった肩。
ブランケットに包まれてる曲げられた膝。
生乾きのミディアムレングスの髪は柔らかくて、
その下の長いまつ毛に影を落としていた。
優子は、この人を万劫末代失いたくないと思い、自らの息を殺してそっと見つめ続けた。
夏は、この佳麗な恋人の一番好きな季節なのだ。
優子は愛おしい優斗の眠りを証明し額に労りのキスをした。
そしてまるまった躯体にずれたブランケットをかけなおした。
おやすみ
わたしの眠りに、あの暗いくらい深海がやってくることはもうないのだ。
end
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