短編小説 シュトーレンとギター1,758文字 ご協力 りっかさま
シュトーレンとギター
音楽は悲しみを癒すもの。
夢から目覚めて
虎ノ門のマンションの窓からは粉雪の降りそうな曇り空。
作曲家を生業として何十年となるが、いまだに悪夢を見ることがある。
人々の争いや悲しい事件や事故や災害のこと。
追われる締め切りのこと。プライベートのこと。
スマートフォンの履歴にはレコード会社の担当のものから着信がいくつかあったので折り返した。
クライアントからはイメージする曲のニュアンスのようなものはざっくりと聞き取りはしているが、ほぼ男にお任せするといわれた。
そして通話を切ると真っ白な譜面を振り返った。
完成物になる段階の前のプリプロまでもってゆくデモ音源が必要だ。
男は部屋の隅にあるクラシックギターを抱え、一つ一つコードとメロディを確認して当てはめてゆく。
定番のコード進行から、少し変わったパターンのコード進行まで様々なものを試してはメロをなぞってゆく。
それからコーヒーを飲んで一息ついた。
豆から挽いたコーヒーで酸味がある。
そして
戦後間もない人々が聴いていた古のレコードをLP台にセットした。
音割れから始まる哀愁漂う歌謡曲。
誰もが知っている、うた。
音楽があれば、希望があれば人はどんな悲しみからも立ち上がることができる。
それが音楽のちからだ。
メロディが群衆に与えるエネルギーを強くイメージした。
そしてギターのネックを抱えたがやはり旋律は空回り。
現代に自分自身のミュージックを届ける作業を一度諦めてシャワーを浴びることにする。
男は脱衣所で上下デニムの服を脱いでバスタブに入り、シャワーヘッドの蛇口を捻った。
シャワーヘッドはシルバーの厚みのある円形で、放射状に穴が空いている。
そこから透明な液体がこちらのほうに向かってビニールテープのように飛び出してくる。
LED電球の白熱灯色を弾き返し、水滴が浴室で点滅する。
そしてジュエリーのように光り空中を舞ったかと思えばオフホワイトのバスタブの中へ消えてゆくさまを眺めた。
lalalalalala………
メロディが解き放たれた。
あんなに頭の中で捻ってもひねってもでてこなかった歌メロ。
アロマシャンプーとボディスクラブを終え、Tシャツにスウェットに着替えると男はバスタオルで髪をタオルドライしながら歯ブラシにユーカリの歯磨き粉をつけた。
またしてもメロディとリズムが絶妙に生まれ出てくることに驚きつつ、このアイデアが時とともに流れ出てしまわないかふと不安になる。
ドライヤーをかけてレモングラスのハーブミストを髪にプッシュして脱衣所を出る。
停滞した今までとは打って変わった流れるような香りに満ちた優雅なバスタイム。
音が残っている。
タブ譜を書きおこし、フレーズをギターの弦で鳴らした。
頭の中でイメージが膨らみ、理想像が生まれ
それを形作るようにコードトーンを鳴らしていった。
そして男はマルサ進行で曲にコードを当てはめると
すべての楽器での録音を終えてしまい
楽曲の骨組みを大まかに完成させてしまった。
デモ音源のデータをレコード会社へ送る。
そしてスマートフォンでレコード会社の担当のものを探して呼び出す。
「ききました!よかったです これで余裕で来年の収録に間に合いますね
いやー全く浮かばないっていうから少し肝が冷えましたよ
今度プレーヤーや上層部含めて品評会でもしましょう」
「ごめんごめん! シャワーに入ってたらアタリがついてさ
同期音の入ったプリプロはもう少しで完成するから」
それから業務連絡をし少し談笑してからスマートフォンを切った。
多分この曲の微調整が出来るのはすぐだろう。
少しの安堵の後、空腹を感じた男はテーブルにあった大きなシュトーレンに気がついた。
近所のパン屋でワンホール買ってまだ半分も食べていないドイツ発のフルーツケーキをスライサーでカットすると、一切れつまみ食いした。
ドライフルーツと洋酒の味がブレッドに染み込んでおり、指に粉砂糖がついた。
今日は世間ではクリスマスだ。
ワインをデキャンタに注いでクリームチーズの用意をした男はテレビのリモコンをとった。
テレビでは、どこかの遠い国の戦争のニュースが報道されている。
テレビを見つめながら祈るともなく祈った。
自分の描いた音楽が、誰かの新しい悲しみを癒せるように。
merry Xmas
end
SPECIAL THANKS・・・りっかさま
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