desty3 長編小説 BL R15 9511文字
ー desty 人形、身八つ口ー
『父さん、もうすぐで回診の時間だよ』
佑磨はシワの深いネルシャツをベット柵に巻き付けるようにして、
父、佑吾の閉じた瞼に話しかけた。
電動ベッドのリモコンを探して、リクライニング機能ボタンを押す。
ナースステーションのモニターと連動した心電図が一際高い電子音を立てて目覚めを知らせる。
自由に触ることもままならない顔をぐしゃぐしゃに動かした後、
佑吾は佑磨にいつもの質問をした。
彼の指先に感覚は残っているのだろうか。
『外は……』
『少し曇ってる。最高気温は22度くらい。』
『そうか………』
主治医や担当医などのチーム回診が来るまでの僅かな時間、
父の身支度を整えながら毎朝泊まり込みの病院でこんな会話をしていた。
ー父さんはきっと知りたかったのだ。
自分がもう出られないであろう外の世界の季節の移り変わりを。
そして、きっと父さんはそれらを運命として既に受け入れていたのだ。
ー 一体運命とは何なのだろうかー
佑磨さんの肌は落ち着く。
コンポーザーの地崎夏樹は路田旅館事務室のセミダブルの仮眠ベッドで窮屈に身を屈めてそう思った。
サラサラとした粉を放つ百合の花びらのように、不思議な光沢を放つ。
そして体温と共に俺の皮膚の中に深く沈んでゆく。
肩までのバラバラに切られた髪は、別々の方向にシーツの上を踊って俺の髪と縺れて解ける。
鷲鼻、薄い唇に細い顎を結ぶ線に夏樹は目を止める。
ーずっと見ていてぇな………ー
昨晩の佑磨は激しかった。
何とか事務所のソファーに移動して勤んだが、そのまま床でこうして朝を迎えてもおかしくなかったかもしれない。
横で眠っているのは路田旅館十代目当主、路田佑磨。
夏樹の恋人に昨晩なったばかり。
そう、夏樹の提言で恋人になったのだ………。
「佑磨さんが、俺の………」
昨晩の艶やかな佑磨が思い浮かび、夏樹は少女漫画のようにベッドの上を転げ回る。
平和な睡眠をとっていた佑磨は夏樹の寝起き攻撃を喰らい、
両生類のような鳴き声を上げる。
「あっ、ゆーまさんおはようございます」
「お前、平仮名呼びな!」
「距離縮めたいからゆーまでいい」
「謝罪してない上に、タメ語に………なった………」
二人で身支度を整えて軽い朝食を食べた後、
3階建ての離れに移動した。
離れまでは、本館の3階までなら渡り廊下を繋いで連結してある。
本館から見えないように、竹林で目隠ししてある。
この部分だけでなく、旅館の四方は適度に背の伸びた竹でほぼ隙間を埋められている。
「うわ、すげぇ、茶室がある」
旅館の廊下を移動するときに夏樹は縁取りのない窓から離れの数寄屋を見つけた。
「あの茶室はさすがに改築してないな。
あと、たまにどうしてもあの茶室が良いといってお点前の練習しにくる幼馴染がいるんだ」
「へぇ!
ゆーまの幼馴染!?紹介してよ」
「………良いけど………ほんと、自分ちの立派な茶室あるんだからそこでやれよな………」
「そうなんだ………よっぽど、ここのお茶室が気に入ってるんだね………」
無言になった二人が従業員専用の離れに着き、三階は佑磨の部屋になっているようだったので夏樹の部屋も同じにした。
1組布団を持ってきて大雑把に和室に広げる。
ボストンバッグの中身を部屋に適当に広げて一階の洗面所にスペースを作る。
佑磨は、夏樹はどれぐらいの化粧品を持ち込むのか見当がつかなかった。
きっと、洋服やアクセサリー、鞄の量も多いだろう。
ー何だか、彼女が出来たみたいだー
佑磨は、そう思うと昨晩の夏樹を思い出した。
佑磨の誘惑に戸惑いを見せながらも、
乾いた肌に蜜を塗りこめる幼い女神。
その女神は、時に悪魔のような仕打ちをして佑磨を絶頂へと導く。
事後の触れ合いで、当たった胸板や肩の骨の広さで男性に抱かれていたと実感する。
ーそう、抱かれていたー
佑磨は下肢に熱を感じると慌てて書類のファイルを探し出し、提案する。
「………っ事務所にもお前のデスク作るぞ」
渡り廊下を戻り、本館2階の事務所に戻ってきた。
ドアを開けて中央に応接間のソファーが置いてあり、佑磨は目をそらした。
向かいの窓際のデスクにはパソコンが二台。
うち一台は稼働していない。
入り口横の資料がまばらに詰まった本棚のすぐ横のパソコンはフル稼働していて、スクリーンセーバーを縦横に動かしている。
そこで、佑磨はふと手持ち無沙汰になった。
「ナツキ、昨晩のことだけど、俺たちはこれから何をどうして集客をしてゆけば良いんだ」
ペンションを開業する準備は整ってきてはいたものの、
受け入れる客層や趣旨などがまるで変わってしまった。
フォーマットやマニュアルが書類化されていれば楽な事この上ないのだが、
存在すればそれはそれで怖い気もすると佑磨は思った。
「んーカタカナ呼びかぁ。あんまり甘くないけど悪くねぇな。
なっちゃん、とか呼んで欲しかったけど。
最初は佑磨さんの周辺の方から声をかけてゆくことにするよ。ご友人、知人の皆さん幅広くね」
ー何がなっちゃんだー
佑磨がどんよりと海藻のように顔をしかめた時にスマートフォンに着信が入った。
ギャラリー
"みぞれ"のオーナー、田宮燿一からだった。
佑磨は夏樹を見て、逡巡してから応答する。
「何だ、ようやん」
スピーカー越しの声はピカピカの声だった。どうやらギャラリーの展示物の検品と棚卸し、メンテナンスを終えたばかりらしい。
「何だ、じゃねーよ佑磨。既読なのに返事来ないから心配心配。
今から来いよ、展示物変わったから
もうこれから忙しい、とか無しな」
「………わかった」
佑磨が通話を切り、二人は鱗粉を塗したかのような視線を合わせると
燿一に会うまでの短い30分間だけの快楽をソファーの上で貪りあった。
ギャラリー"みぞれ"は海岸沿いの道をあるいてから内陸部の市街地を行くとすぐそこにある長屋を思わせる建物だ。
ここの建物の周りだけ、燻んだモノクロームの風車が建物のあちこちに刺さって風を海辺へ吹き流している。
三件ぶち抜きになっている造りで、うち中央の建物の地下は二階まで潜っている。
この日は、どこかの無名アーティストのワンマンライヴがあるようで地下二階の音響スペースはスタッフらしき人物がセッティングしていた。
透明なガラスが歪んだ引き戸は開け放されて二人を迎えた。
床の土間はくすみ色のカラフルな敷石で照明を弾いている。
絵画達はスタッズのついた額縁で一直線で並べられていて異国情緒が日本家屋にはめ殺しされたような風情だ。
奥から、夏樹よりも密度の濃い刺青の入った腕を揺らして燿一が出てくる。
ドイツ製のオーダーメイドの眼鏡越しに眠たそうな目つきで夏樹を厚底のエンジニアブーツからクロッシェの先々まで見た。
「佑磨、しばらく見ないと思ったら新しいダチか。
どこのバンドのメンバーだ?
今日のメンバーさんじゃないみたいだけど」
佑磨が解せない表情の横で夏樹が一歩前に出て自己紹介をした。
一瞬動いただけでピアスやネックレスなどの絡み合う音が奏でられる。
「地崎夏樹、今日から佑磨さんのところでお世話になります。
ただの売れないコンポーザーです。
佑磨さんのお友達ですよね?
よろしくおねがいします。
今日はどこのバンドのライヴですか」
夏樹がシルバーのリングを重ねづけした細い腕を差し出すと、
夏樹よりも幾分骨のしっかりしたタトゥーの多い腕がそれを受け止めた。
「俺は田宮 燿一。ギャラリー"みぞれ"のオーナーだ。
佑磨とは高校時代のツレだよ。
こちらこそよろしく。
今日は[Nuecht]の地方公演だよ。知ってるかよ。このバンド」
ーヌアシュト………ー
夏樹がそう唇を動かすと、地下から真っ黒な衣装を纏った銀色のメイクの男たち四人がこちらに登ってきた。
ラバーソールやエンジニアブーツの靴底が響く。
そして、こちら三人の姿を見ると囲い目を見開いて驚く。
正確には、夏樹の姿に。
ギタリストだという髪の長い男が黒い口紅を動かして夏樹に問いかけた。
「月さんじゃないですか」
佑磨と燿一は怪訝な目をして夏樹を見やる。
六人の男に注目を浴びた夏樹は、明々後日の方向を見ながらナチュラルメイクの載った顔をワザとらしく変形させている。
「ま、まぁ…。そうだけど…。
き、君たちは…」
その態度を見て[Nuecht]のメンバーは一同破顔する。
「あはは、今さら」
「まさかのしらばっくれ」
「月さんらしい」
和やかな談笑に包まれるアートギャラリーに残されたオーナーとその親友は取り残されたまま、
その状況を見守っていたが燿一が問いただすことにした。
「なぁ、お前たち知り合いなのか」
[Nuecht]の短髪のベースが手を振って言う。
袖のフリルが揺れた。
「知り合いっていうよりは、俺たちが一方的に尊敬しているんです。
月さんは様々な有名ミュージシャンのスタジオに入る事もあるプレーヤーで、
コンポーザーとしてもとても多岐にわたってご活躍されている方ですから
俺たちのワンマンの時にゲストで出演して下さった時もありましたしすげーお世話になってます」
横から真っ赤なソバージュヘアーのドラムがスマートフォンの画面を差し出してきた。
画面には、国民的人気歌手
ー誰でも知っていて、最近コミケに出展したー
の横で7弦ギターを構える夏樹の姿だ。
楽器も、ヘアメイクも、衣装もボタニカルで統一してある。
オーナーとその親友が今度は呆然としていると、夏樹が手をグーに拳を作りブンブンと振りながらそのスマートフォンを取り上げた。
「やーめろよぉ!恥ずかしいだろぉ!キミ達、ふつーに夏樹って呼びなさいよぉ」
佑磨が恐る恐る蚊帳の外から聞いた。
「その、ツキっていうのがナツキのステージネームなのか?」
夏樹は面映そうに唇を擦り合わせて目を伏せる。
まつげを伏せると、瞳全体がゼリー菓子の様に光沢のある宝石になる。
「………うん、俺は作曲だけじゃなくて編曲、音のプログラミング…
それからそいつらが言ったみたいに奏者になったりもするから
たまにステージに立つ事もあって、別の活動名があるんだよ」
「知らなかった………」
佑磨はそう言って息を吐く。
佑磨は何だか胸のあたりがチクリと痛んだ気がした。
「あの大林空子についてるなんて、佑磨のツレはすごいなぁ」
明るい茶色の肩下の髪をラフに纏めた燿一はまるで美術品を観るかのように顎に手をやりしげしげと夏樹を眺めていた。
「そうだ!忘れていたよ燿一さん!
お願いがあるんです。名刺、フライヤー、ホームページの作成依頼に来ました」
そう言って夏樹は封筒に入った依頼書を燿一に提出する。
「俺に仕事の依頼? 期間は? 音楽のことか」
燿一が封筒にハサミで切り口を入れようとしたとき
ガタン!
と音がして背中に衝撃が走り佑磨が前のめりにふらつく。
階段に対して後ろ向きに立っていたので、入り口につんのめりそうになるのをオペラシューズのグリップを効かせて堪える前に夏樹が二の腕を掴んで立たせる。
ここまで僅か3秒とかかっていないが、コマ送りの一枚撮りかのごとく夏樹には感じられた。
夏樹が腕を引き寄せて背中を摩る。
「大丈夫?痛くない?怪我してない」
燿一もカウンターの封筒を置いて駆け寄ってくる。
「ケガはねぇな。多分スタッフだと思うけど」
入り口付近には[Nuecht]メンバーに囲まれた一人の青年がいる。
「匠!またお前か…月さんのお連れ様が怪我なさったらどうするんだ」
「機材運ぶだけのことでお客様…しかもお得意先のお連れ様怪我させるとこだったんだぞ」
パイプ椅子と一緒に床に崩れ落ちているのは二十歳そこそこの外ハネミディアムヘアーのスタッフTシャツを着た男だった。
混血なのか彫りが深く、肌が白い。
まだ[Nuecht]の働き手として日が浅い印象を佑磨は受けた。
「俺は怪我してないからいいよ。
俺も不注意だったし。それよりメンバーさん、ライヴを楽しみにしてるよ」
佑磨が大きな声で言うと、[Nuecht]のメンバーは渋々床に座った混血の男から一歩離れた。
「お連れ様に失礼をしました。お怪我がなくて良かったです。
この後のライヴ、良かったらお連れ様と最前のお席をご案内致しますので」
赤いソバージュのリーダーだと言う男が深々と頭を下げたところで、
燿一の呑気な声が後方から聞こえる。
「おーう、あみちゃん」
入り口の引き戸をサンダルブーツで跨いで呼ばれた人物は入ってきた。
黒地にカーキ色のニュアンス光りする髪は面長な輪郭をカバーする様にカットしてある。
グリース柄のチュニックシャツにタイパンツというスタイリングはその人物の体の細さを、
ナチュラルテイストは沈美な顔のパーツを際立たせるツールだった。
「お取り込み中だった」
"あみ"と呼ばれたその男は全く悪びれずそうこのアトリエの主人に問う。
まるで童謡でも歌っているような口ぶりに周囲に緊張感が走る。
「まいど。
あみちゃんが展示見にきてくれると気が締まるよ。
………いや、あの、取り込んではいないけど」
歯切れの悪い燿一を無視して座り込んだ勇に向かってその男は歩いて行く。
「キミ、大丈夫か。
皆さん、なんで誰も人が倒れているのに助けないんですか?!
気分が悪いのかもしれませんよ」
そう投げかけて“みぞれ”の常連は床に倒れこんだ匠、というハーフの男に近づくために土間にしゃがみ込んだ。
ペットボトルとリネンのタオルを差し出し、匠の青い口元に近づけた。
「キミ、眩暈はない?吐き気は?睡眠は取れたの?食事は?」
青ざめた男は、遠慮がちにペットボトルを受取りながら答えた。
「すまねぇ、今日たまたま自分のバンドの練習があって寝ないまま来てそれで
ふらついちまった。メンバーさんと月さん、お連れ様には本当に申し訳ないことをして…なんと言ってお詫びしていいか………」
横から佑磨が口を挟む。
「だから俺は良いって。[Nuecht]のメンバーさん、そのお兄さんの言う通り具合悪いようだからスタッフさんを帰してあげることはできますか」
ソバージュの男と髪の長い男が見つめあって、それぞれ赤と黒の口を歪めた。
すると、そこまで黙っていた夏樹が突然切り出した。
「そこのスタッフの方とお客のお兄さん。お名前は」
床の青ざめたハーフは意表を突かれた表情のあと、答えた。
よく見ると、目の下にクマがハッキリある。
「勇です。佐高勇」
もう一人の常連のナチュラル服の男は全く動じずに顔だけ夏樹に向けて答えている。
まだ勇から離れようとしない。
「俺は甘原匠」
夏樹は二人の名乗りを聞くと笑顔になり、悪巧みの表情をしたので佑磨は嫌な予感がした。
そしてその予感は的中することになる。
「佐高勇さん、甘原匠さん。うちの旅館で働いてくれませんか。
手厚い待遇もしますし、楽しい職場です。
今現在働いていらっしゃる職場にもこうして話をつけましょう。
俺の上司であり旅館の当主である佑磨さんは具合の悪い部下をそんな風に扱ったりせず、
甘原さんのように他人を助けたりする社員を望んでいます
また、具合が悪くても言い訳せず働く事の出来る社員も然りです」
[Nuecht]のメンバーが全員下を向いた。
倒れているスタッフと、見知らぬ土地の客人がすぐ横にいるだろう。
夏樹はピアスを弄りながら続ける。
「メンバーちゃんたち、そういうことなんだけど、この子もらっていいかな?
代わりのスタッフは俺が責任持って探しとくから。
今日のバクステも後で差し入れ持ってくね」
赤いソバージュが夏樹の前に立ち、頭を下げた。
「申し訳ございませんでした。ありがとうございます。
よろしければライヴは最後までお楽しみください」
夏樹はゴールドのグロスの唇で笑って床の二人を指し示した。
「それは、あの二人にも言ってあげて」
そして全員で匠を助け起こし、談笑が起こってその場は解散した。
立ち上がった二人はリクルートされた旅館について路田旅館の名前を出されると、
特に大きな疑問を抱いている様子は無かった。
夏樹と佑磨はケータリングのお弁当とお菓子を買いに行き、"みぞれ"に戻ると
既に沢山の地元客がいた。
県外からも[Nuecht]を観に来たゴスロリ服の女性もいた。
休憩を経ていつも通りチケットを捌く顔色の戻った勇、
ギャラリーで普段絵画を観ない客を案内する耀一、
自由にライヴの時まで時間を過ごす匠の姿がそこにはあった。
定刻より20分ほど遅れて[Nuecht]のライヴは始まった。
重低音が黒煙のうねりを上げる中にギターが劈くような雷雨を散らし、
ドラムが噴火の刻みを研いで行く中、歌い手は恨みのある日本人形のように歌い上げた。
夏樹は最前列のど真ん中でヘッドバンギングをしたり飛んだり跳ねたりして佑磨に身体をぶつけた。
佑磨も仕返しにぶつけ返して笑った。
匠は一番後ろの方で甘酒を飲んでずっと見守っていた。
勇はスタッフの仕事をしながら、客の様子も見守っていた。
耀一はさらにそれらをギャラリーの階段を行ったり来たりして見守っていた。
佑磨と夏樹は打ち上げにもメンバーから誘われたが断り、
勇と匠と連絡先の交換をした。
[Nuecht]のメンバーの私物に夏樹がサインをし、
耀一に案件を確認してから佑磨と夏樹は"みぞれ"を後にした。
初夏の夜はTシャツとほろ酔いがとても似合う。
[Nuecht]のロゴが入ったスタッフTシャツはお土産だ。
いつもの、雑木林と看板と電線が伸びた幹線道路の歩道。
ヘヴィメタルの爆音が余韻だと気分がいい。
街灯を頼りに海沿いを目指して二人で旅館への道を歩く。
風車が夏の海風を旋回させて空へ手扇する。
茅場旅館のロータリーへ向かう和装の人影が二つ、見えた。
茅場旅館九代目当主の茅場総司と十代目になるであろう総士が竹刀の入ったケースを持って並んで歩いていた。
親子二人とも長身なのでとても夜影に目立つ。
青のコットンの単衣に紺色の襦袢を着た紳士の総司が気配に気づいて二人を振り返る。
遅れて総士も振り返り、眉をひそめて二人を見比べる。
「おや、佑磨くん。久しぶりだね。
…新しいお友達かな?」
夏樹は一歩前に進み出た。
やはりピアスの効果音が鳴るようだ。
「地崎夏樹です。 路田旅館で働くことになりました。 よろしくお願いします」
ーなんだか自己紹介の多い一日だなー
佑磨が微笑ましく思っていると、
総士が竹刀の入ったケースをロータリーの門に置いて夏樹に至近距離で歩み寄った。
ガン付けに詰め寄った、という方が正しい表現の迫力に佑磨は怒号を上げたが全員が無視した。
「総士、お友達とは仲良くしなさい」
総司が笑いじわのある顔をしかめさせて呆れたように言う。
そして、ため息をつきながら竹刀ケースを一度アスファルトに下ろしている。
夏樹と総士の顔はくちづけ出来そうなくらい近いが二人ともまったく笑ってはいない。
夜風に乗った総士の癖っ毛が夏樹の白い頬を叩いた。
緊迫感と不穏な空気が流れる中、佑磨は無性に腹が立って叫んだ。
「総士、何だよ、俺のスタッフで友達だって。お前には関係ないだろ」
佑磨の叫びを聞いた瞬きに、総士は夏樹から視線を地面に落とし呟いた。
敵意の炎の目から光が消え、くすぶる煙が潮風の夜空へと消え去ってゆく。
「関係ない………か………」
艶のある癖っ毛が夜風になびいてアイボリーの縞模様の単衣を着た総士の表情を消していった。
夏樹から二、三歩離れると竹刀ケースのあるロータリーの門まで力なく歩いていった。
生地と揃いの草履の底がアスファルトの石粒を捻る音が残響する音が大きく響く。
風車の音がずっと回り、街灯の光を七月の暑いだけの暗い海空へ送り返している。
そのまま総士が旅館へ戻って行く姿を見ると、総司は骨太で華奢な身体を残りの二人に向けた。
「うちの総士がすまない。
きっと佑磨くんに新しいお友達…そして従業員の方が付くことになって寂しがっているだけだ。
今までお父さんの佑吾さんにはたくさんの従業員や部下はいても佑磨くんには初めてだからね。
俺で良ければ新しいペンション、旅館のことは何でも協力するからー
今回のことは許してやってくれないか」
オールバックにした総司の髪が潮風を含んで時々揺れる。
佑磨は笑い皺はたくさんあるのに困りじわは全くない皮膚に貫禄を感じていると、
夏樹が真横から飛び出してきた。
佑磨は嫌な予感がした。
「 な ん で も? 」
夏樹はシルバーの義眼リングのついた両拳を口元で握りしめ、上目遣いで茅場旅館九代目当主を伺っている。
爬虫類の夏樹にロックオンされた総司は子供を諭すように柔和に笑った。
佑磨は昔からこの強く優しい、誰かを自発的に動かせる笑顔に憧れていた。
「何でも出来るとは言えないさ。
でも、出来る限りの事は協力したいなと思うよ。
佑吾さんの時には何も出来なかったからね。
だから、何でもする気持ちだよ。これからはね」
ー父さんー
「ありがとうございます」
「………佑磨くん、俺余計な事言ったね」
「いえ、とんでもないです。こいつ…ナツキとミーティングがあるのでお先に失礼致します」
「ちょっ、ゆーま!
…失礼します」
茅場旅館九代目当主は小走りで去って行く二人をしばらく見つめ、ゆっくりと竹刀ケースを肩に担ぎ正門から総士と同じ方向 ロータリーへ歩いていった。
ー父さんは毎朝病室で外へ行けない事を知りながら俺に天気を聞いてきたー
ーまるでそれが自分自身に待ち受ける運命であるかのようにー
ー 一体運命とは何なのだ?ー
茅場旅館のロータリーから路田旅館の正門まではほんの1〜2分なのだろうが、
佑磨には長く感じられた。
辺りに街灯、旅館の照明はあるが夏の夜でも自分の腕がぼやけて見える。
後ろから夏樹が何か叫んでるのが聞こえたが、黙ってキーケースを取り出して旅館の正門と入り口の鍵を開けようといつもの動作に入る。
すると、正門の真横に見慣れたオフホワイトの本革ボストンバッグとキャリーケースが置いてある事に気がついて佑磨は立ち止まる。
足元に温かく柔らかい感触がして、佑磨は驚いて飛び跳ねて声を上げる。
「うわあっ」
そして黒い人影が足元で毛布とレジャーシートから動き出し、佑磨に向かって話し出す。
「んあー…佑磨…」
パニックで口をパクパクさせている佑磨だったが、
夏樹が冷静にスマートフォンの懐中電灯機能で人影の顔を照らすと
佑磨は沸騰したお湯が常温の水に戻ったかの如く冷静になった。
「…………兄さん、出ていったんじゃ」
「ごめん、佑磨 やっぱ 約束通り戻ってきた」
しばらくの沈黙が流れた。
色々な音が佑磨と佑斗の間を流れた。
漁船の音、近くの酒場の談笑、温泉街からの下駄の響き、国道を走る緊急車両のサイレン音、夏樹のアクセサリーの響き。
夏樹が口火を切った。
「お兄さん、初めまして。路田旅館の新しい従業員 地崎夏樹 です」
国産のメガネをかけた佑斗が夏樹を見上げる。
白髪もやつれもだいぶ良くなったが、まだひどいと佑磨は思った。
「これから私たちは路田旅館にて 新旅館 『desty(ダスティー)』を開始します。
従業員は他に二名おります。
これからフォーマットやマニュアルを作成致しまして、研修などを始めて。
そしてスポンサーを獲得してオープンしたいと思っております。
お兄様のお力が必要です」
「お、お前何勝手に………!」
旅館の持ち主である佑磨は当然慌てた。しかし、何故か夏樹の蒼い瞳に瞳孔一杯見開いた瞳で睨まれる。
路田旅館九代目の長男は、毛布とレジャーシートから立ち上がり、十代目当主へ歩み寄る。
「じゃあ、僕、ここにいてもいいの………」
佑磨はため息をつきながら笑顔で舌を出した夏樹を睨みつけながら兄の佑斗の肩を抱き寄せ、
「…………いいよ。その代わりもう二度と逃げないでね」
と力なく呟いた。
夏樹が正門先でびょんびょんプラットフォームシューズで跳ねているのを見て、佑磨は夜風に吹かれながら軽い目眩を覚えた。
ーつづくー
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