88歳の祖母との女子会が、一生忘れない時間になった話。
3月の初めの1週間を祖父母の住む田舎で過ごした。
兵庫県千種町千草。
高い山々とごうごうと流れる川に囲まれた町で、日常と離れてのんびりと過ごす。
やらなきゃいけないことはひとつもなく、何をしたいかを考える。
88歳の祖母からランチに誘われて、歩いて15分程のレストランで鶏南蛮定食をいただく。
普段はお漬物があれば十分と食の細い祖母が、エビフライ定食を即決して美味しそうに食べる姿が可愛らしく、可笑しかった。
2人きりでゆっくりおしゃべりなんて初めてかもしれない。
結婚して何年になるのだろうか。祖父と祖母の関係は、まさに私がイメージする昭和の夫婦。亭主関白で教育者の祖父は、床に穴が空くのでは?というほどとにかくずっと座っている。一方で祖母はせかせかと家事をして常に動き回っている。数年前に祖母が怪我をしたことをきっかけに、祖父も少しは家の事をするようになったようだが、(祖父が台所に立ってお皿を洗う姿におもわず写真を撮った)それでも教育論やら最近読んだ本の話やら、リビングはいつも祖父中心だった。
だから考えてみれば、祖母とゆっくり話す機会は今までほとんどなかった。1年に1度会えるかどうかの私たちにとってはなおさら貴重な時間だ。
若い頃に郵便局で電話交換手の仕事をしていたこと、時代と文明の変化でその仕事を辞めざるを得なかったこと、祖母の両親や兄弟のこと、大好きな畑仕事のこと…
普段控え目な祖母が、次々と出る私の質問に、昔を思い出しながら穏やかな表情で答えてくれる。
年を取って言葉が出にくくなったと言っていた祖母が、目をキラキラさせながら色々な話をしてくれる。
88歳と28歳。60歳差の私たちの女子会は、私が普段友人たちとするものとなにも変わらず、食後のコーヒーまでしっかりと楽しんだ。
帰り道、手押し車を押しながらおしゃべりを続ける祖母の隣で、私はなんともいえない幸福感に包まれた。
脈々と続く家族の歴史の中で私は生かされている。祖母の言葉が雨の音にかき消されないように一生懸命に耳を傾けながら、私は家族を想い、大切な人を想い、そして自分を想った。