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あとがき ムーン・ノア
SF小説には憧れがありました。
でも、そのように分類されるものを読んだ記憶があまりないのです。
自分の勉強してきた“理科“という分野と、趣味の“文学“を一緒くたにしたくなかっただけかもしれません。
学生時代から温めていた、この物語。5、6年くらいでしょうか。
この物語の終わり方はこれでいいのだろうかとずっと考えていましたが、悩んだ時間は無駄でした。
やはり、この終わり方にしないと、私の伝えたいことが1割も伝わらないと思ってしまったのです。
学生時代の先輩の小説が、現代文の問題になっておりました。
その問題を見て、先輩はこう言っていました。
「こんな深いこと考えて書いていないよ!(笑)」
私から見れば、問題文に使われるような小説を書いているだけでもすごくて。
とても面白く感じたことを覚えています。
書いたもの全てが伝わると思ってはいけないと言われました。
せいぜい伝わっても2割だと言われました。
2割伝わったらいい方だと言われました。
今回の小説に関しては、あとがきを書かない方がいいのではないか、全部を伝えない方がいいのではないかと思いました。
読んだ人それぞれの感覚を大事にしてもらいたいと思ったのです。
そのため、これから私が書くことは、この物語を創るためのメモだと思って目を通して貰えると幸いです。
絵を見て、そこで終わりにしてくださった方が良いのかもしれません。
どうか、初めて読んだときの考えや印象が、上書きされないことを祈っています。
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ムーン・ノア メモ
新しいものを造った人はそれを観察するために、最初は実験・観察をするものです。
実験して、失敗して、やり直して、成功して、繰り返し。
ムーン・ノアの前に試作された星はいくつあったのでしょうか。
これは、失敗だった?
意図的だった?
旧約聖書のノアの方舟。
“正しいこと“の正解ってなんだろう。
生きているということだけが“助かった“という認識の全てなのだろうか。
ムーン・ノアに行くことだけが、彼らを助ける方法だった?
何が正しくて、何が幸せなのだろう。
あの光る流れ星。あれはただの流星群でしょうか。
強く光輝く火球だったに違いないと、私は思います。
いつもと違うことが起きた時ほど、それを上回る出来事があると感じています。
身の回りにいる人たちとの別れ、それはどんなふうに訪れるのだろう。
居場所を超えてやり取りをできる現世。繋がりってなんだろう。
切れてしまったら、どうなるのだろう。
音沙汰がなくなってしまったら、確認のしようもない。
そんな世界を生きている。
このようなことを考えながら、執筆しました。