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適塾(緒方洪庵旧宅)(大阪)
1泊大阪旅。
朝1の飛行機で伊丹空港へ。
午後からの予定まで時間があったので行ってみたかった適塾(緒方洪庵旧宅)に行くことに。
伊丹空港は初めて使ったのですが街中に出るまで意外とかかるんですね。
京阪本線淀屋橋駅で降りて少し歩きます。
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オフィス街の中にひっそりと。
隣接するのは適塾史跡公園。
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適塾は蘭医学研究の第一人者とされる緒方洪庵が開いたもの。
西洋医学の研究をはじめとして、種痘やコレラ治療など、大きな医学史上の業績が生まれました。
福沢諭吉、大村益次郎などもこの塾出身。
またこの塾(病院)が大阪帝国大学、そして現在の大阪大学となっています。
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中に入ると玄関に受付。
ロッカーがあります。
2階がとても暑いので荷物置いてた方が良いですよとアドバイス頂き、ロッカーをお借りすることに。団扇も貸してくれました。
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町屋建築になっていて中庭もあります。
中にはたくさんの資料が展示されていて見応えがあります。
2階に登る階段が急で驚きました。
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2階は塾生が寝泊まりした大部屋とヅーフ部屋があります。
適塾では学級を設けて蘭学教育を行い、各自の努力によって実力を養うことを方針としていました。塾頭の下、塾生は学力に応じて8ないし9級に分けられ、初学者はまずオランダ語の文法「ガランマチカ」、次いで文章論「セインタキス」を学んだ後に原書の会読に加わります。会読の予習のため、塾生は塾に一揃えしかないヅーフの蘭和辞書を奪い合うようにして勉強しました。会読の成績により上級へと進み、上席者から順に席次が決まるため、塾生同士の競い合いは熾烈なものでした。
このヅーフは長崎のオランダ商館長のヘンドリック・ドゥーフ。
1808年のフェートン号事件はドゥーフ在任期間中だった。
大部屋は畳の広い部屋だが1人1畳(!)が各々のスペースだったらしい。
中央の柱には刀の傷が。熱くなり刀を振り回すこともあったそう。
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緒方洪庵は蘭学を翻訳し学びことでまだ日本にない治療方法や医学の知識をいち早く取り入れた人物。そして牛痘種痘法を始めとして多くの技術、知識を無償で全国から訪れるものに教え社会に貢献しました。
富や名声を求めないこと、貧富や身分によって患者を差別しないことを医療に携わる者の心得とした緒方洪庵の志と自由で厳しい指導により入塾希望者は後を絶たなかったといわれています。
日本中から訪れた医師がこの場所で競い合いながら多くを学び、またそれぞれの地方に戻り医学を発展させる。
緒方洪庵がいなかったら、どんな日本になっていただろうか。
とても勉強になりました。
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