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萩(山口)②

萩続き

萩藩校明倫館跡地はその後明倫小学校へ。そして閉校後、
現在は明倫学舎にリニューアルしている。

本館、2号館と資料の展示があり、特に2号館は「明治日本の産業革命遺産」に関するインフォメーションや幕末〜維新期の歴史・科学技術史の実物資料が豊富でかなり見応えがあります。

長崎海岸の図。

下関在住の収集家の方から寄贈されたというコレクション。
国産の科学技術資料や軍事関係、天文関係の資料...ここまで貴重なものが揃っているところは他にないのでは。

顕微鏡、時計、眼鏡。

伊能忠敬が使用したものと同じ形の象限機。

鎖国時期から明治維新、異常な速さで近代化された日本。世界からも「19世紀後半の奇跡」と称賛されていたらしい。

世界遺産ビジターセンターでは8県23の資産を一つの集合体として見ることで近代化の軌跡を学ぶことができます。残念ながら写真がないのだけど松下村塾、工学教育に果たした先駆的役割などが分かりやすい展示によって説明されていてとても面白かった。

外に出ると同じ敷地内に萩藩校の剣術場、槍術場である有備館が。
元あった場所から移転したと伝えられている。

藩士の練武はもちろん他国からの修行者も多かったそう。

土佐藩、坂本龍馬も訪れていたという記録があります。
柱には刀の傷跡がたくさん。

ガイドの方がいらっしゃって説明してくれました。 
ちなみに明倫学舎でもガイドの方が常駐しているようで、詳細を説明してくださりとても勉強になりました。

車で15分ほど移動し反射炉へ。

ナビ通りに向かうとコンビニでちょっとびっくり。
セブンイレブン萩反射炉前店の敷地から上がります。

反射炉は西洋で開発された金属溶解炉です。
江戸時代末期、軍事力強化のため良質な鉄が必要でした。

現在残っているのは煙突部分。
スケッチのみで建設された反射炉。これは試作で結局完成はしなかったそう。

関ヶ原の戦いで敗れ、領地を移動、減らされたりと冷遇されていた外様大名。
密かに軍事力を付けながら徳川への復讐の機会を窺っていた各藩と世界を見据えていた若い志士たちの想いが明治維新へと繋がっていきました。

今は静かな萩の街。
幕末時期は動乱の舞台の一つとして情熱を持った人々が駆け抜けていったんだなあ。

初めての萩でしたが資料館や史跡が充実していてとてもよかったです。

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