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原点回帰。

お久しぶりです。でっぱです。

まずは今年の5月、突然職場から別れ話(リストラではないので別れではないですが)を切り出され、喪失感に苛まれたわたしの記事を読んでくださった皆様ありがとうございます。

ちょこちょこ更新しますとお伝えしてから半年もの月日が経ってしまいました。やるやる詐欺はわたしの常習手口です。(直せ)


今日は等々力で久々に生観戦をした話を書こうと思います。綺麗な文章にしようとすると、結局更新しなそうなので今回は自分の思いや感じたことをそのまま書こうと思います。

冷めかけていた?フロンターレ愛。

言葉を濁さずストレートに表現すると、
フロンターレ愛、冷めかけていたと思います。

もちろんサッカー観戦やクラブを嫌いになったわけではありません。

選手のSNSや試合のハイライト、皆さんのツイートを見れば〝等々力に行きたい!〟と思ったり〝行こうと思えば行けた。行けばよかった〟と後悔することもありました。

ただ、社会人になってからというもの平日休みが多くなり、試合がある日に仕事をすることに慣れてしまったこと。

また5月の記事にも書きましたが1、2年目とデスクワークもこなしながら週末には力仕事をする日々が続きました。


自分では元気なつもりでも、体力的にも精神的にも疲労がかなり溜まるようで、お休みの日はお家から出る気になれない。試合がある日よりも自分のタイミングでお休みをとりたい。

〝試合に行くのが当たり前〟だった学生の頃はというと、授業が午前中で終われば午後には麻生の練習場に行き、試合の日にバイトのシフトを間違えて入れてしまえば代わりを必死に探し、時にはズル休みをしたこともありました。←

前日に現地観戦を決め、ジリ貧の鈍行電車・夜行バスの硬い椅子でお尻を痛めてまで、アウェイの旅に出る応援の熱量はどこへやら。

試合に行く頻度が2試合に1回、3試合に1回、月に1回と間隔が開くことに抵抗がなくなり、

DAZNも90分1試合見るのではなく、飛ばし飛ばしで見て眠りにつく日々。

加えて今シーズンについては、驚異的な強さをもち当たり前のように複数得点を決める我が軍。

驕ってはいけないとわかっていつつも試合前に〝きっと勝つだろう〟と心のどこかで思ってしまう回数も増え、ついには得点シーンや結果だけ確認するだけの試合も多くなっていました。

そんな折に緊急事態宣言が明け、有観客の試合が復活した5月ぶり、今季2回目の生観戦の試合が、11月18日の〝神奈川ダービー〟。

横浜F・マリノス戦でした。



わたしにとっても特別な〝神奈川ダービー〟

同じ神奈川のチーム、繰り広げられる試合の内容、過去の因縁....。

お互いのクラブ関係者、選手そしてサポーター同士とても気持ちが入る〝神奈川ダービー〟はわたしにとっても、例外なくとても思い入れの強い対戦カードのひとつです。

その理由として一つ挙げるとすると、わたしがまだサポーターになる前に、川崎フロンターレを初めてテレビで〝見かけた〟試合。

2013年12月7日ーーー。

シーズン最終節。勝てばクラブとして9年ぶりの優勝決めることができたマリノスを、1-0でフロンターレが下した試合。

(引用:サッカーキング)

試合終了を告げる笛が鳴り響き、ガクッとピッチに座り込む中村俊輔選手の姿はサッカーを知らないわたしにとっても、忘れられないほど目に焼きつく光景で。


一方『よしっ、よしっ。』と深く、勝利を噛み締める〝もう一人の中村〟ーー。

水色のユニフォームまとう、中村憲剛選手

画面が切り替わったタイミングで映りこんだその表情も中村俊輔選手の姿と同じくらい脳裏に焼き付く姿で。

リーグ優勝だとか、天皇杯優勝だとか、一体なんのタイトルがあって、どのカテゴリーの優勝をかけた試合かもよくわからずに見ていたわたし。

そんなわたしでさえも、今でもはっきりと思い出すことのできるほどの衝撃を感じさせた〝神奈川ダービー〟が、わたしにとって初めてリアルタイムでJリーグを見た試合でした。

今回、久しぶりにフロンターレの試合を見に行くことが決まり、そして〝神奈川ダービー〟を生観戦するにあたって何かしらnoteを更新しようとは思っていたので、

試合前にわたしの中の一番古い〝神奈川ダービー〟の記憶を思い返しながら、18日は等々力競技場に向かいました。

(当時の試合は祖父の入院する病院で見ていまた。帰ってきて試合についてツイートしましたが、周りにマリノスファンが多くお葬式のようなタイムラインにビビって急いでツイ消ししたのを覚えています)


とはいえ2013年のマリノスの優勝を阻止した試合がきっかけで、川崎フロンターレを好きになったわけではなく、わたしが等々力陸上競技場に通うようになったのはもう少し後の話。

仮にこの試合を見てJリーグにものすごく興味をもったとして、ゆくゆくどちらかのサポーターになる確率があるとすれば五分五分とも言える状態で、

住んでいる地区、戦績やメディア露出を含めても圧倒的にマリノスを好きになる環境のほうが整っていたのではないかなあと思います。

ただこの初めての〝神奈川ダービー〟のことを思い出すうちに、それ以前からもまだ知名度も戦績も今より低かったであろう〝川崎フロンターレ〟というチームに間接的に触れる機会が何度もあったことも思い出しました。

(長くなるのでその話はまた別の機会に書ければと思います)


色々なことを思い返してみるとちょっとクサい言葉ですが、

わたしが〝川崎フロンターレ〟を好きになることは偶然ではなく必然だったのかもしれない。』

そんなふうに、フロンターレとの思い出や好きになった当初の気持ちを思い出しながら、2020年の〝神奈川ダービー〟が行われる会場へと足を踏み入れました。



試合結果以上に嬉しかったこと

試合結果は、3-1で無事フロンターレの勝利。


前半を0-0折りかえし、

後半に入った序盤に、三笘選手が先制点を決めるも、すぐに追いつかれてしまいます。

もどかしい時間が長く続く中、90分を迎えたタイミングでジェジェウ選手がヘディングで勝ち越しゴール。

さらに試合終了間近に多くのサッカーファンを賑わせた三笘選手のあのドリブルから、小林悠選手のダメ押しゴールが決まり、勝点3を掴み取りました。

試合最中の選手同士のトラブルやキーパーの退場といったダービーらしい?波瀾万丈?な出来事は起きながらも例年であれば勝点1で終わらせてしまいそうな試合も、複数得点で勝ち切ることができたこと。

『今年はやっぱり例年とは違う』
『負けない』
『強すぎる』
『別格』

そう話題になるチーム情勢を見事に体現するような試合だったのではないかなと思います。

そんな試合の途中、水沼宏太選手がマッチアップしていた倒してしまった登里選手の頭をよしよしとするシーンがありました。

〝水沼選手ってノボリより年上の選手だっけ〟

調べてみると、水沼選手も登里選手も今年で30歳の同い年とわかり納得すると共に、

『ノボリももう30歳。わたしがノボリを知った頃はまだ25歳。マリノスの優勝を止めた年は、23歳.....まだフロンターレで戦ってくれているんだ

そもそもあの試合(2013年12月7日)に出ていた選手で、今日もこのピッチ立っている選手は何人いるんだろう』

ということが気になり、ハーフタイムに調べてみました。

こちらが2013年のメンバー


こちらが2020年のメンバー


〝川崎のバンディエラ〟として活躍し続け、今季で引退を発表した中村憲剛選手をはじめ、

登里選手、大島選手、小林悠選手
そして当時は敵として戦っていた齋藤学選手。

7年前のあの日の試合を経験した5人の選手を現役選手として、さらには同じチーム同士の対戦の場で戦っている姿を見られることは当たり前ではないということ。

そして当時テレビの画面上で見ていた、名前も知らない水色の戦士を、今目の前でめいいっぱい応援できているということ。


後半にベンチに入っていた大島選手、小林悠選手が続々と交代で入り、

最後に中村憲剛選手の交代アナウンスが流れたところで思わず涙が溢れ出てきてしまいタオルマフラーに顔を疼くめました。

ああやっぱりわたしは、川崎フロンターレが大好きなんだ。

このチームに出会って良かった。

と心の底から感じる90分でした。


とんでもなく長たらしい文章になりましたがここに、【フロンターレ愛が冷めかけていた】という発言を撤回させてください。


本日の大分戦。
残念ながら現地で見届けることはできませんが、Jリーグ最速優勝を目指して、神奈川から熱く応援させていただきます。

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