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CINK SOCIAL~小林耕平選手キャリアインタビュー&FC HAMBREの活動について~

2021/10/15:日本時間21:30~

オンラインにてソーシャルフットボール界で活躍されている小林耕平選手によるトークセッションを開催していただいた。

ソーシャルフットボールとは何ぞや、と思う人もいるだろう。

日本サッカー協会によるとその定義は、

「ソーシャルフットボール」の名称は、イタリアで行われているcalciosociale(英訳 social football)に由来します。年齢・性別・人種・貧困・家庭環境・障がいなど、あらゆる違いを超えて社会連帯を目指したフットボール文化です。

となっている。

小林さんは自閉症スペクトラム、学習障がい、PTSD、うつの症状を患っている中、
①選手として
②発達障がいの子供たちへの居場所を提供するスクール活動をして
活躍されている。

小林さんのこれまでの人生を振り返りながら現在行われている活動について話していただいた。

--小林さんの人生--

~サッカーとの出会い~

サッカーを始めたのは小学校4年生のころ、親の影響だった。水泳やボーイスカウトも親に勧められ始めたが本人は行きたくなくて抵抗していたという。

上記したように小林さんは障がいによってルールの覚えの悪さや運動のぎこちなさが幼少期から見られていた。
ただ、当時”発達障がい”という言葉も世に広まっていなかったため本人も親も”障がいである”という認識に至ることはなかった。

当時の小林さんはフォワードとして強烈なシュートを打っていた。しかし、オフサイドのルールを何度監督に言われても覚えることができず泣いてベンチに帰ったこともあった。

~障がいの自覚の芽生えと学生生活~

中学校に進学すると、学校生活で障がいの自覚が生まれてきた。授業の板書で苦労したり、クラス内の空気を読めていないと思うことが多々あったという。クラス内の振る舞い方が分からず学校を休むこともあった。部活でもチームとしては好成績を残していたが個人としてはベンチ外で、選手をサポートする側に回っていた。

高校に進学すると、自身でフットサルチームを作成し、キャプテンとしてチームを率いた。設立当初は全く勝つことができなかったチームも、卒業する前には大阪大会を勝ち抜き関西大会に進む功績を残した。

大学生活では、1ヶ月間スペインへのフットサル留学を経験。
フットサルの技術を身に着けるために留学したが1試合目から試合に出ることはできなかった。さらにはチームメイトから無視されることもあった。
しかし、その逆境に負けずに自身の中で努力を怠らなかった。その結果、仲間からの信頼を勝ち取り3試合目にして試合に出場することができた。フットサルの技術だけでなく、自分の努力で何かを勝ち取ることを学んだスペイン留学だった。

~ソーシャルフットボールの活動~

帰国するとすぐソーシャルフットボールに本格的に携わり始めた。スペイン留学前から携わっていたが本腰を入れたのは留学後だった。というのも留学後、自身のうつ症状がよくならなかったため、周囲に同じような思いをしている当事者がいる環境へ身を置くことを決めたのだ。
そして大阪でのフットサルの大会後にソーシャルフットボール日本代表の声をかけてもらった。2018年のローマ大会に出場、全体の7位という結果を残した。小林さん本人の中では国を背負うことの責任の重さを含め実力不足を感じる大会となり、不完全燃焼で悔しい思いをした。

~2度目の海外挑戦と挫折~

その後、再度スペインへ渡ることを決める。スペイン5部のカテゴリーでフットサルをプレーしていた。もともとの予定では1年間留学する予定だったが2~3か月で体調を崩してしまい帰国せざるを得なくなった。フットサルのチーム内では何の問題もなかった。フットサルを通して友達と呼べる存在は多くできたしその中でも未だに連絡を取る人はいる。では何が問題だったのだろうか。

それは私生活だった。特に共同生活では人とコミュニケーションをとるときに苦痛を感じた。皿洗いのタイミング、相手が洗ってほしい時にその雰囲気を察知できない。中学校の時にも感じていた、”空気を読む”ということができずにミスコミュニケーションからストレスを感じていた。語学面でも、学習障がいの影響からスペイン語をスムーズに習得することができなかった。数多と友達はいるのに文法は理解できない。他の人は文法がすぐ理解できるくせに友達が全然いない。なんだかもどかしい気持ちになった。

--現在の活動--

現在に繋がる活動として、去年から関東圏でソーシャルフットボール界での活動を始めた。横浜FCとの単発のイベントに参加しながら、大阪で定期的にフットサルスクールを開き発達障がいの子供たちにボールを蹴る楽しさを伝えている。
また、子供たちだけだはなく、その親御さんたちにも発達障がいを抱える人の大人像を見せる役割も小林さんは果たしている。発達障がいの子供たちを育てるのは他ならないその親御さんたちであるからこそ、スクールを開催するときは極力親子参加型のイベントになるようにしている。

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小林さんが願っていることは大きく2つ。

1つは発達障がいを抱える子供たちが居場所を見つけること。
それが小林さんにとってはサッカー・フットサルであったからこれらを通して子供たちに楽しみを提供したい。いち個人として普及できる範囲は限られているし全国での活動に足を運ぶことはできない。ただ、様々な場所でスクールとして協力者や賛同者、親御さんとイベントを行うことで少しでも認知であったり小林さん以外にも活動を起こそうとイニシアティブを発揮してきてくれる人が出てくることが彼にとっての最終的なゴールだ。

2つ目は”障がい者を巻き込むことが正義”であるというような価値観を社会から極力無くすこと。例えば"インクルーシブ"という言葉は、包括的といった意味を持ち、現代社会ではマイノリティのインクルージョンといったような「少数派の存在を無下にしない」といった使われ方をする。ただ、小林さん曰くサッカーをしている上ではそんな考え方はいらないのだ。ただ好きでサッカーをしていることに健常者と障がい者の違いはない。競技として考えるとそこにカテゴリーや区別は生まれるが。

----個人として今回のセッションで感じたこと----
現代社会であらゆる分野で取り上げられている「マイノリティ」。
性的マイノリティや社会的マイノリティ。社会では、個人や企業関係なく「マイノリティを救おう・助けよう」という言葉が飛び交っている。
その「救う」「助ける」などの言葉で多数派と少数派の間で上下関係を生み出す。(多数派、少数派、マイノリティといった表現も上下関係を想像させてしまうかもしれないがここでは分かりやすくするために使用する。)
これらの言葉は少数派の方が特別扱いされているニュアンスを含むため好ましくない。彼らは少数派として特別取り上げてほしいわけではなく、「対等」を求めている。

まず世の中で一番存在してはいけないのはマイノリティに対する差別・ディスリスペクトであり、現在はその段階を抜け出してきたのではないかと感じる。
今は多数派・少数派が一緒に存在する「共存」の段階にはあるが、「共生」の段階では未だないのではないかと思う。なぜなら今は「救う・助ける」といった言葉が使われていて多数派が少数派を「理解」しようという段階だから。
私は「共生社会」という言葉を上下関係がなくなりお互いの存在を受け入れる価値観が浸透している社会と定義する。そうすると今は彼らをテーマに取り上げ、彼らを救おう・理解しようといった慈善活動も多く行われているため共生とは呼べない。無意識に少数派の方を「理解」しようとしている姿勢は「共存」のフェーズで起きることでこれが浸透していけば「共生」を迎えることができるのではないかと思う。

今回のセッションで自分も小林さんのお話を聞いた参加者としてソーシャルフットボールや発達障がいの子や親御さんに希望を与えるといったコンセプトを広めたいと思った。それは健常者として支援したいという気持ちやボランティア精神からくるものではなく、少しでも多くの人とサッカーを通して繋がりたいから。

スポーツとして、ビジネスとして、サッカーをこれまで見てきたことはあったが、今回はとても新鮮で、サッカーを今までとは違う観点から見つめるきっかけとなった。





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