意思決定のROIという考え方
こんにちは、樫田です。
ご存じの方もそうでない方もいると思いますが、この数年メルカリという会社でデータ分析という業務を通して意思決定に関わる仕事をしてきました。(知らない方は ⇨ 僕について)
ビジネスはいわば意思決定の塊で出来ています。事業と組織、そのすべてのことが何らかの意思決定を通して動いていると言っても過言ではないでしょう。
僕自身、仕事で分析を行う中でも「意思決定」という領域に対するフォーカスは強かった方だと自負しています。今振り返ってみると、メルカリ在籍時に受けたインタビューもそのスタンスがタイトルとして切り取られていることが多かったようです。
さて、意思決定について話す時に「良い意思決定とはなんだろう?」と問うと、一般的には「良い意思決定とは正しい決定である」というような答えが返ってくることが多いような気がしています。また、昨今のスタートアップに聞けば、意思決定は早いほど優れていると言うかもしれません。
しかし僕は、自身の仕事と体験を通して実際はそうではない(それだけではない)という気づきを得ました。「良い意思決定」は実は3つの大きな要素から成り立っています。
そしてさらに言えば、意思決定の良し悪しというのは正しさのような単一の指標ではなく、ROIという「効率」の概念で捉える必要があると考えています。この記事では企業(特にスタートアップ)を前提に「意思決定のROI」という考え方について自分なりに説明してみたいと思います。
事業の意思決定者や、意思決定を支援する立場の方々が、より良い決定を行うための多少なりヒントとなれば幸いです。
※ 「意思決定のROI」という言葉は完全に私自身の造語です。
このワーディングで概念の意図がうまく伝わっていることを祈ります。
前半では、「意思決定のROI」という概念の紹介をします。私が調べた範囲ですと、この概念と完全に同一のものはまだ世の中には存在しないようなので、少し丁寧に説明していきます。
そして後半では、「意思決定のROI」を高めるうえで重要な7つのファクターについてお話します。
以下が本文で、ここからは常体(だ、である調)で書きます。
少し長いですがよければお付き合いください。
■■意思決定関連でオススメできる本■■
・世界が動いた「決断」の物語 新・人類進化史
・ハーバード・ビジネス・レビュー 意思決定の教科書
・意思決定のための「分析の技術」
良い意思決定
● ビジネスの活動の中で最も重要な行為は「意思決定」にあると考える。良い意思決定の積み重ねによってのみ、より正しい場所により最小のリソースでたどり着ける。
● 良い意思決定とは、「a / 正しい」「b / 早い」「c / 納得感がある」の3つの要素で構成されると考える。
● すべての意思決定が3つの要素を100%の水準で満たしている必要はなく、またそれは原理的に不可能である。この3つは一種のトレードオフ関係にあり、それぞれの間で綱引きがある。
● 最も大事なことは、今しようとしている意思決定において、この3つのファクターのバランスをどう保つかである。
● 不可逆でない決定であれば、「多少の正しさを犠牲にして早さを重視する」こともあるだろう。「早さを犠牲にしても、正しくまた納得感のあること」が意味を成す意思決定もあるだろう。
●この見定めが極めて肝要と考える。意思決定をすることがひとつのスキルであるとすれば、それは「正しい意思決定をできる能力」ことではなく、「3つのファクターのあるべきバランスを瞬時に見分け、それに沿って決定を下す能力」であるはずだ。
● なお「正しさ」については意思決定時点においては確たる評価はできない。実行とそこからの時間経過の後に、意思決定が正しかったかどうかが明らかになる。
※ そのため、正しさというよりは「予測精度」などと呼称するのが適切かもしれないが、この記事ではわかりやすさのために「正しさ」と表記する。
スタートアップ
● ビジネスである以上、スタートアップにおいても意思決定が最重要イシューであることは変わらない。むしろスタートアップだからこそ、とも言える。
● スタートアップの意思決定では「b / 早さ」にその妙があると言える。小規模かつ初期フェーズのサービスにおいては「早さが命」と捉えられがちだ。(そこには異論はない)しかし、それは「時間をかけずに即決即断の意思決定をすることが常に正義」であることを意味するわけではない。
● 昨今のビジネスにおいて「早さ」が重要視されているのは、3つのファクターが必ずしもトレードオフではなく依存関係を生むようになったからだ。
● 意思決定を早く済ませ実装を行えば、素早く仮説 ⇔ 検証のサイクルを回すことが可能であり、議論を重ねて決断を遅らせるよりも迅速に正しい結果にたどり着ける。また、机上で議論を尽くすよりもリリースしてユーザーの反応を見るほうが、圧倒的な納得感を生む、といったケースが存在する。
● しかし、「早さが命」は① Executionの効率を高める ②一部の可逆性の高い意思決定 の2点においてのみ当てはまるものであり、すべての場面において適用するのは拙攻と言えそうだ。不可逆な意思決定は時間をかけても正しさを取るべきであるし、執行メンバーを含むステークホルダーとの関係性によっては早さを犠牲にして納得感を重んじることもあるだろう。
●「早い意思決定」はあくまで、中長期の時間軸で見た時により大きいリターンを生むための戦術の一つであって、選択肢のひとつに過ぎない。「早い」こと自体が目的化することは意思決定を歪めるリスクが有る。常にバランスを念頭に置くべきだ。
● どのビジネス、またどのビジネスパーソンも「a / 正しい」「b / 早い」「c / 納得感がある」のどれかにバイアスをおいた思考回路を持っていることが多い。スタートアップは早さを、大企業は正しさを、政府機関は納得感を、それぞれ過度に求める。なにより重要なのはバランスと場面ごとでの取捨選択だ。
ROI
● この3つのファクターを統合した考え方を「ROI」に近い概念を用いて説明することができる。ROIとは、“Return on Investment”の略称 で、 投下した資本に対してどの程度のリターンがあったかを測ることでその効率を判断するための指標だ。
● 意思決定はその過程で人的リソースや時間といった資源を消費し、最終的にその決定に基づいたExecution(執行・実行)を通してビジネス上のなんらかのアウトカムを得る。
● 意思決定の「a / 早さ」は原則的にはInvestmentを低く抑える効果がある。決定のための検討に使用したリソースが少ないのみならず、意思決定の早さはExecutionのためのリソースを効率よく使えることに繋がるケースが多いからだ。
● 一方で「b / 正しい」「c / 納得感がある」はReturnを増大する効果がある。納得感はExecutionの効率を高め、正しさはExecutionを意味のあるアウトカムに変える効率の高さを担保する。(注:ただし、納得感とExecutionの効率の関係は組織によって違いそうだ。)
● a/b/cの3要素のバランスを見極め、ROIが最大となるような決定を心がけるべきだ。常に早さを追うだけでも正しさを追うだけでも十分ではない。「意思決定のROI」という概念を持つことが、良い意思決定の数を増やす一助になると考える。
● ROIは(金融の投資などもそうだが)瞬間的にみるものではなく、長期的な結果を見た上で評価することが多い。意思決定においても、決定の瞬間にはROIは確定せず、その後の実行の結果を待つことで初めてその結果が表出する。
「意思決定のROI」を高める
● これまでの自身の経験から、「意思決定のROI」を高めるための条件(因子)を6つ特定して書いている。
● ここでは、主にスタートアップを中心とした、ビジネス組織の意思決定を想定しているが、物事を決断するという行為一般において一定当てはまるものになっている。良い意思決定を志す場合、これらの6つをうまく組み合わせることによって行われるべきだ。
● 実際には「意思決定者の性格・胆力・覚悟」などの要素も多分に含まれるだろうが、それは個別事例の領域であり再現性がない。よってここでは扱わない。
● また、これら6つの外側にある因子として「Execution Excellence」も挙げておきたい。
1 / 知識(と権威)
正しさ・納得感・早さの全てを高める。
● 関連領域において既に経験・知識を持っている人物からのインプットを上手く活用すれば、「早さ」「正しさ」「納得感」の全てに対してプラスの効果をもたらすことができる。ゼロから情報を収集・分析せずとも、巨人の肩に乗った状態から議論を始めることができ、また情報の妥当性の検証プロセスを大胆にスキップできるからだ。
● 知識を持った人物がその知見によって「権威」を獲得している場合、決定に際する「早さと納得性」を増す効果が期待できる。いわゆる「あの人が言っているなら」という思考に該当する。
● 留意する必要があるのは、「知識がないのになぜか権威を持っている」タイプからのインプットは「早さ」を増すことはあるがそれ以外を損なうというケースだ。重要な意思決定において、単に声がでかいだけの人物の意見に依存することはリスクだが、早さのみが重要なケースにおいては一役買ってもらうのもよいだろう。
2 / 暗黙知
正しさ・早さを高めうるが、納得感を損ないがち。
● 経験からくる知識のうち、周囲に説明可能な形で共有されることが不可能で、属人的な要素を持つものは「暗黙知」と呼ばれる。より身近な表現としては「勘」や「センス」と呼ばれることもあるかもしれない。
● 1 / 知識 との違いは、本人以外に説明可能な状態でアウトプットされることが期待できないため、第三者から見たときに「納得感」を大きく欠くリスクが高い点である。言語化できないからこそ、より高度で即時性が求められる判断においては特に活きる可能性があるが、暗黙知のみに頼った意思決定の頻度が増えると組織としての不透明度が増しかねない。
3 / 分析
効用:正しさ・納得感を高め、早さを損なう。
● 人間の知覚が利用不可能な情報を、利用可能なように意味のある方法で圧縮する行為を「分析」と呼ぶ。
● 情報の利用を阻む一つの例として「情報のサイズ」の問題がある。俗に言う「データ分析」はこれを解決する手法として機能する。何千・何万というレコードの大量の情報を「合計値」や「平均値」「月ごとの推移」など、人間にも知覚しやすいレベルの情報量に圧縮することで、意思判断に利用することが可能になる。
● また、単に「情報が存在しない」や「解釈が困難」といったケースも利用不可能な情報の一例だ。UXリサーチは系統的に存在していない情報を収集することから始め、また一定の解釈を試みることで、情報の可用度をあげる手法といえる。
● これらの分析を適切に用いれば、意思決定の「正しさ」や「納得性」を増すことにつながる。分析のリードタイムという意味では「早さ」を失うが、議論に費やす時間を短縮してくれるメリットもある。
4 / 情報の統合
正しさ・納得感・早さの全てを高める。
● 意思決定には多くの情報が必要(かつ基本的には多くのさまざまな情報によって精度は増す)だが、それぞれが離散したままだと良い結果を生むことが少ない。1〜3で得たものがすべて有益な情報であるとしても、それだけでは不十分である。
● 「必要な情報は揃っている」が、それらが統合的に可視化されてないゆえに、非生産的な議論しか行えないケースが散見される。人間の脳は分散した情報をうまく扱えず、また複数の人間による議論の場合、各自が自身の脳のメモリに展開している情報が統一されていない状況が常だ。
● 情報の統合は、「早さ・正しさ・納得感」の全てに寄与する。
● 意思決定に必要な情報は統合/整理され、可視化されているべきだ。具体的には「目的」「論点」「選択肢」「判断材料」など。こちらの記事にそのヒントを書いた。
5 / プロセス
効用:納得感(+正しさ)を高め、早さを損なう。
● ある個人の頭の中で瞬時に行われる意思決定もあれば、多くの人間がその決定の過程に関わることもあるだろう。ビジネスにおいては一般的に後者のパターンが少なくない。
● 意思決定において、それがどのようなプロセスを経たか、は明確に重要であると考える。より具体的に言えば、「組織の誰とどのように話した上で最終的な決定を下したのか」というイシューになるだろう。その理由は「納得性」そして「正しさ」にある。
● 「自己関与の有無」は納得感において一つの重要な因子であると言われている。組織において、特にその後に自分に影響を及ぼす可能性のある意思決定については、自身が関わるチャンスが有ったかどうかで決定に対する納得感は大きく変わり、またそれはその後のExecutionの効率に影響を及ぼす可能性がある。
● また多様な意見、多種のインプットに晒されたほうがより「正しさ」を増すことができる種類の意思決定が間違いなく存在する。(世界が動いた決断の物語 に詳しい)
● プロセスを重んじることによって「早さ」が犠牲にされうることは明白である。「早さ」をある程度生贄に捧げてでも「納得感」と「正しさ」が重要だと判断できるときのみ、決定プロセスに時間をかけるべきだ。
●「最終的に誰が決めるのか」は常に事前に明確にしておきたい。不明確にしておくと、組織の中で議論が堂々廻りになり「早さ」「納得感」「正しさ」の全てを大きく損ないかねない。
● スタートアップやIT業界では「早さ」に対するこだわりのあまり、意思決定に必要となるプロセスから目を背けているケースが多いかもしれない。繰り返しになるが、早さを目的とするのではなく「意思決定のROI」という全体視点から判断することが肝要だ。
6 / ミッション
効用:早さを高める。正しさは担保しない。
● ビジネス上では、取りうる選択肢は無限に存在する。よって企業はその活動の大上段において、自分たちの「Do / Do Not」を予め決めておくことで、選択肢の領域を意図的に狭めるという発明をした。それは「ミッション」という呼称で企業に実装される。
● 原則的には、ミッションはある種の意思決定において瞬時に結論をもたらすことができるツールのはずだ。つまり「早さ」を、そしてミッションに共感した人のみが組織に属しているはずだという強い仮定を置けば「納得感」を担保するはずだ。
● 逆に、ミッションに照らし合わせた決定が「正しさ」を保証するかといえばそれは非であるが、その質問は本質的に意味をなさない。ミッションは企業が作る「一番最初の」「一番強い」仮説であり、現実の世界において正しいのか否かが検証できていない、かつ短期では検証が難しいものであることがほとんどのはずだ。
0 / Execution Excellence
効用:意思決定の結果が「正しかった」ことにする。
● Execution Excellence(優れた実行)は「決定されたことが最大限効果をもたらすにような実行過程」を指しており、定義的には意思決定の外にある。しかし、いわゆる「決めたことを正解にする努力」が現実世界では非常に重要であることは言うまでもない。
● 「意思決定のROI」という観点では決定事項からのリターンを最大化することが重要であり、それは意思決定の時点では明確にゼロである。良い意思決定に、良いExecutionが伴って始めて “いい意思決定だったことに“ なる。
● 実行段階のミスによって結果が伴わなかった時「しかし、意思決定単体だけで見れば良いものだった」と振り返られることは現実世界ではあまり多くない。理想論だけで言えば意思決定と実行はそれぞれ分離して評価されるべきだが、ビジネスの世界では下手な理想は現実の前に駆逐される。
● 意思決定をROIで考える、というのはExecutionにも強い眼差しを向けることも意味する。決定を下した後も、決定がベストだった「ことにする」ためのExecutionを心がけるべきだ。また現実問題として、Executionも接近してみれば小さな意思決定の連続で成り立っているはずだ。
● また、前段の「スタートアップ」で先述したとおり、昨今ではExecutionを行うことで意思決定の精度を増すことができるようになってきている。多くを議論に時間を割くよりも、実際の施策実行を通してより多くの生の情報を素早く得ることで意思決定に必要となる良質なインプットを増やすことができるはずだ。
文末
長い文書にここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
新しい概念を考えるのは簡単ですが、それを周囲にわかる形で言語化して、発信していくことは常に困難です。
この考え方が周囲に受け入れられ、新たなミームとなりうるのかはわかりませんが、少なくとも自分の考えをきちんと体系化して吐き出しておけたという意味では、この記事は大きな意味を持ちます。これは自分が今後、意思決定という分野に関わる上でのスタンスの啓示、一種の決意表明でもあります。
この文章については、公開前に僕の尊敬する人たちに査読してもらい感想をいただきました。矢本さん(10X CEO)、山田進太郎さん(メルカリ CEO)、山代さん、ありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょう!
■■意思決定関連でオススメできる本■■