組織の中で起業家のように働く、新しい専門職としてのあり方を考える - データ分析職種の場合
ここ数年、曲りなりにデータ分析の専門職種としてやってきたが、常々この仕事には困難さがつきまとうなと感じる。その事について、その理由、そしてその困難さとどう戦っていくかについての考察を記してみたい。
気まぐれな雑記のうえ、だいぶ長くなってしまったが時間がある方はお付き合い願いたい。感想の一つでも貰えれば幸いです。
困難さ
仕事をしていて苦労することはよくあるわけだが、とりわけデータ系の仕事をしているとおおよそ以下のような面倒さを背負い込んでいることに気づく。
普通にしているとあまり良い仕事が回ってこない
周囲に任せていると細かい本質的ではない仕事に埋もれてしまう
組織の上層の戦略やリテラシに依存するところが異様に大きい
自分たちの成果がどうにもわかりづらい
短期的な都合に押し負かされて自分たちの仕事の優先度を下げられる
などなど。これは自分個人の体験だけにとどまらず、他の会社でもデータ分析チームについて似たような話を訊くので、一種の普遍性をもった問題なのだと捉えている。
さらに言えば、データ分析職種にとどまらず、いくつかの専門職種では同じような問題を抱えているようだ。前職メルカリの経験でいえば、@r1ccha(広報), @yoshikawanori(政策企画), @mihozono(UXリサーチ), @kimuras(AI/ML) などといった、一線級の専門職たちと近い話をした記憶がある。またセキュリティなども同じかもしれない。
これらの職種に共通するのは、間接的な部門であるということ、また、長期的には間違いなく重要だと言われるものの短期では、実態としては軽視されがちなことが多い。ゆえに、必要だと思って採用したものの、要件がざっくりしており、採用した側もうまく使いこなせないことが、組織によってはしばしば発生してそうだ。
全てについてそうかはわからないが、データ系職種について言えば、積極的に採用したものの、その後社内でうまく役割を見いだせずに採用した側・された側の双方から怨嗟の声がよく訊かれる気はしている。悲しいことだ。
さて、これらの問題にどうアプローチするか、というのがこの記事の主題だが、それは次の言葉に集約されると思っている。
自分たちでマーケットメイクをしていく気概を持つこと
そのために、起業家のように振る舞う必要があるということ
これらがどういうことかといえば、「自分たちのやるべきこと、振る舞うべきあり方を自分自身たちで規定し、それと組織の調和点をうまく見つけていく」ということだ。自分たちの仕事、つまり自分が存在するマーケットを自分たち自身で作っていくということだ(これを最大限かっこよくいってみると「マーケットメイク」という言葉になる)。
そのことについて書いていく。
マーケットメイク・バイ・ユアセルフ
例えばわかりやすく、データ分析の例で話を進めよう。データ関連の求人はこの世に腐るほどあるが、正直な話、よほど成熟した組織でない限りは、大体がろくな仕事じゃない。やりたいことの解像度はびっくりするくらい低いし、入ってからちゃんと面倒を見てくれる人もいないなどはザラだろう。
既にある程度データ分析チームとして、固まっているような組織に入る場合はこの限りではない。そういったところを見つけて入るのもひとつの重要な戦略だろう。今回はそうではない、データ分析について解像度は低いが、やりたいという意識は高い、Wanna Be系の組織について話している(例えば僕が入った頃のデジタル庁とか)。
こういった会社に入って、なすがままにまかせていると、起こることはだいたい悲惨だ。存在する仕事は、抽象度がやたら高く具体性のない上司からの指示か、逆に異常に具体的だが意味があるのか怪しい、他チームの現場からの要請など。こういった仕事の環境で、データ分析の仕事に抱いていた幻想を打ち砕かれて、会社に対して怨嗟を覚えている人たちも少なくないのかと思う。
これを打ち破るには、自分自身で主体的・能動的に良い仕事を作り出す(=マーケットメイクをする)しかないということ。言葉でいうほど簡単ではない。というか、正直メチャクチャに面倒くさい。しかしこれが長期的には自分を救う。
僕自身はこれからの専門職にはこのあり方が求められていると強く確信している。周りから自動的に振ってくる仕事に流されるのではなく、自分自身で然るべき場所に能動的に仕事を作っていくという、その態度と行動。いままでもこれからも、この動き方ができる専門職は価値が高く、更にこの能力があるリーダーの存在がその後の、社内での専門職の地位や、チームの規模を決めていく。
僕は勝手にこういった動きのできる専門職をアントレプロフェッショナルと呼ぶことにしている。起業家(アントレプレナー)の心を持った専門職(プロフェッショナル)の意で、適当な造語です。自分自身で仕事を作る、となると、これは一種起業家と同じマインドセットが求められるのかもしれない。実際、起業の文脈で出てくるマインドやツールキットが役に立つな、と思うことは多い。
自分で仕事を作るということ
さて、再びデータ分析職種に話を戻そう。
まず最初に何をすべきか。自分の時間を2つに分ける。
50%の時間で小さくてもいいので頼まれた仕事をこなし、残りの50%の時間で自分が描くような仕事(マーケット)を社内で創造するために動く。
これは起業家が受託開発で稼ぐことに少し似ている。起業では資金が非常に重要で、資金が多いほどその後長い活動が担保され、また大胆な打ち手を検討することが可能になる。社内では、資金に当たるものは「信頼残高」だ。ランニングの仕事で細々とした信頼を稼ぎつつ、自分で新しく作り出した仕事をテコに都度大きめの信頼残高を調達する。非常に起業家に似ている。
また、仮に組織内に既に大きな庇護者(データに投資することに理解がある役員)がいた場合、しばらくは具体的な成果を出さずとも許される猶予期間が与えられることもありうる。これは起業家にとってVCがいる状態に似ている。何も成果がない状態で自分を信頼してくれ、将来のリターンのためにRunway(資金が尽きるまでの猶予期間)を提供してくれる後ろ盾。信頼残高調達のプレシリーズAといったところか。
まあそういったケースは非常に稀か、理解あるはずだった庇護者がいなくなったり社内の立場の都合などで態度が豹変するリスクも十分にある、ゆえに、通常ルートにおいては細かく信頼残高を貯められる仕事をこなすことは忘れず、そうしている間に、その裏でなるべく将来的にもレバレッジが掛かるような仕事を創出することに力を傾けることが求められる。
データ分析職種に取って特に良い仕事の定義は「一度創出すればその後も半永久的に続くであろう仕事」「会社全体の方向性の舵取りに近い場所に関われる仕事」がそれに該当する。
この定義には2つの意味合いがある。
まず第一に、これらが組織全体に対して非常に意味を持つということ。詳しくは後述の例で説明したほうがわかりやすいとおもうのでそうするが、より全体の上部構造に関われるほど、また自動的に動くメカニズムに乗るほど、データは価値を持つ。
第二にチームのスケールが安定感を持ってできること。上部構造を正しくグリップできれば、そこから派生する「正しく意味のある仕事」を量産することが容易になる。これはチームに対するリソースの需要を安定させ、思い切ったチームのスケールアップがしやすくなる。逆にいえば、上部構造に入り込んでいないと、組織全体として乱雑で質が低く、統制の取れていないデータ分析ニーズが野良犬のごとく氾濫する。良心を持ったリーダーからすれば、この状態では非常に採用がやりづらい。
一種の普遍的な事実として、データ分析は組織内で常に大きな一つの敵と戦うことを義務付けられている。それは「短期的な利得」だ。
前述の広報やユーザリサーチなどもそうだが、これらの職種の機能はが仮に存在しなかったとしても短期的に事業の存続や成否に関わるようなパーツではない事が多い。これは全ての職種の中でも比較的特異な立ち位置といえる。
一方でPMやSalesやCS、ソフトウェアエンジニア、経理などはそうではない。これらの職種がなければ事業や会社は立ち行かないだろう。データ分析は「喫緊の必要度」においてはこれらのファンクションに明確に劣後する。
この観点に立てば、上述したふたつのファクターを満たすことは、意味のある仕事の連続的な創出において、要諦であることがわかる。
専門職のProduct Market Fit
将来的にもレバレッジが掛かるような仕事、それはどんな仕事だろうか。それを考えるのが、アントレプロフェッショナルの仕事だ。つまり「自分たちの仕事として、どういうマーケットを狙うべきか」について、深い洞察を持つこと。これについては、個々それぞれで思想が合ってよいだろう。それは起業家が自社がエントリーするマーケット選定について、多様な考えを持っているようなものだ。
ひとりのアントレプロフェッショナルとして、僕自身が特に重視しているのは先述したとおり、「一度創出すればその後も半永久的に続くであろう仕事」「会社全体の方向性の舵取りに近い場所に関われる仕事」のふたつだ。この2つを満たさない仕事は、本質的な意味で組織全体のデータドリブン化を促進するには弱いと思っている。ただし、これはどこどこまでも個人の体験と思想に基づくもので、絶対唯一の解があるわけでもないと想っている。参考になればとは思っているが、万人に同じ考えを強要するものではない。
さて、データ分析の専門職が組織内で果たす役割と考えたときに、上記2点の定義を満たす仕事(=マーケット)は果たしてどんなものなのか。僕は過去の経験から、4つの重要なマーケットのタイプを見つけている。僕が新しい組織に入り、データ分析の専門職として振る舞う場合、まずこの4つのマーケットを社内で顕在化させ、そこに仕事を作ることを第一に考える。
これはいわゆる、データ分析という製品(プロダクト)にとって、事業会社という場所においてPMF(Product Market Fit)しやすいマーケット領域ということになる。
1.ガバナンス・監理・プレッシャー
例として一番わかり易いのは事業計画。事業計画というのは説明責任の塊であり、事業部は経営から、経営は投資家から、投資家はファンドプールから、それぞれ計画の正当性を説明するというガバナンスを受ける。
同時に事業計画というのは数値とデータの塊であり、ここがデータ分析の仕事にとって大きなチャンスとなる。
2.正当化
一番わかり易いのはマーケティング投資に対してROIを計算したり、機能実装について効果を計算するもの。インプットに対してアウトプットが本当に見合っていたのか、という点についての説明責任(正当化)を果たすのはヒリつくシーンであり、分析によるサポートが欲されることも多い
事後に行われることが多いが、レベルが高い組織だと事前に行われることも。大きくは1の類型だが、1ほど構造的に起こることではなく、最初は散発的に起こることが多い。
1に比べると会社や担当者の体質に依存する要素が大きい
4との違いは、本人たちが本位で目的の達成・ROIの良化を心から祈っているわけではなく、あくまで正当化的な要素が強いということ。(これが定着すれば PDCAプロセスの常態化 になる → 4.神チームへ)
3.パフォーマンス連動
わかりやすいのは、業績に連動する報酬体系の担当者が本気で効率のよい施策を検討する、など営業組織や経営者などが想像しやすい
4.フィードバックの渇望(神チーム)
担当者達本人たちが利用者のフィードバックを見て、施策を立てたいと個人の嗜好や倫理観から、そう思っているケース。エンジニアやデザイナーなどが多い。
心情的には最も望ましいケースだが、小さなチームに閉じた営みになりやすく、より大きな組織帯へのスケールアウトが難しいことが多い。
起業家のツールキットから学ぶこと
ではどのようにこれらのマーケットを社内で掘り起こしていくのか。
このあたり文章中で、何度か私が「起業家のように」という表現をしているが、その伏線を回収しておきたい。起業についてのバイブルは世に数多と存在するかもしれないが、私が好きなのは 10xなプロダクトを作る - 無二の友人でもある @yamotty3の作だ。とても良い内容なので、読んだことがない人はぜひ読んでみてほしい。
多くの学びが書いてあり、気軽に要約するのは気が引けるものの、友人という気軽さで雑にサマらせてもらうと「1.前提となる大きな構造を知る」「2.真に必要とされるものを理解する」「3.探索的に作る」「4.ディストリビューションに気を払う」「5.チームを作る」といったことが要諦として書きだされている。
これらが、アントレプロフェッショナルのマーケットメイクにもほぼそのまま当てはまる。ここまでで論じてきたことは主に「1.前提となる大きな構造を知る」に該当する考え方だ。
そして、残りの2-5についても、ほぼその考え方がそのまま活きる。
よいマーケットを見極めること自体も簡単ではないが、それを掘り起こして需要を作る作業はそれに輪をかけて困難を極める。マーケットメイクするためには、ある種の全人格的なアプローチが求められる。敢えてはっきり言ってしまうと、自分の持っている専門性自体は、ひとつの武器にしかならない。事業開発をする起業家・資金調達に奔走する起業家のように、関係する人たちとのコミュニケーションや情報収集が最優先課題となる。例えば、前述の4類型の中で「1.ガバナンス・監理・プレッシャー」のマーケットで仕事を創出しようとした場合、事業責任者や経営陣との関係性構築、事業に関する解像度を上げるための情報収集が必要になる。( = 2.真に必要とされるものを理解する)
これはデータ分析の専門家としての適性の外にあるのは事実だが、ゼロからマーケットメイクを仕掛けに行くためには絶対に避けて通れない工程だ。
その過程において、プロダクト開発におけるMVP的な発想は非常に役に立つ。手ぶらの状態で情報収集をしたりディスカッションをしても、お互いの理解が擦り合わず空中戦になることが多い。一定の情報収集が済んだら、最低限のレベルで良いのでMVP的なアウトプットをもとに議論を始めるのが良いだろう。(=3.探索的に作る)
例えばデータ分析だったら、ExcelやPowerPointでのモックでもいいので、ダッシュボード的なものでKPIの一覧を描いてみるとか。定義が不確実性に満ちている仕事ほど、MVPのような中間アウトプットベースの仕事が有効に働く。 余談だが、僕が途中段階のアウトプットを元にして仕事をすすめるようになったのは、この働き方の影響があると思われる。仔細に興味がある方はリンク元の記事を読んでほしい。
また、僕がメルカリ時代に常に意識していたのが、アウトプットを届けるためのメディアとチャネルだ。これは一定のクリエイティブさが求められると常々思っている。自分のアウトプット 、例えば分析の結果、 というのは、流通のチャネルを適切に選ぶことでメディアとして有効に機能し、(=4.ディストリビューションに気を払う) その分析内容に興味を持っている人を引き寄せたり仲間を作ったり、小さなフィードバックを多く得ることができる。 限られた対象だけに絞って届けることもできるが、それはもったいない。Slackに貼るときでも、どのような画像を添付するか、どのような注記をつけて投稿するか、だけで大きく反応は変わる。
と、起業家のツールキットになぞらえていくつか例示をしてみたが、実際には他にも考えるべきこと、取るべき作戦は多く存在する(例えば、組織内の意思決定構造や会議体を把握する、権限の強いキーパーソンと仲良くなる、など)。そしてもちろん、自分自身の専門領域での作業に集中する時間も必要になる...例えばsqlを書いて分析をするとか。
アントレプロフェッショナルの是非
こう書くと実に全人格的なスキルが必要とされる印象を持つだろうが、まさにそのとおりだ。信じられないほど幅の広い、ハードからソフトに至る、森羅万象のスキルが求められる。「起業家のように」というのはその言葉通りというところだろう。
おそらく、こういった専門職の像のあり方に抵抗を持つ人も一定いるだろうことは想像に難くない。そんな超人的なスキルを求めるのは非現実的だが、とか、専門職に対人スキルや専門領域での能力発揮の時間を使わせるなんて間違っている、といった声が聴こえてきそうだ。
実際のところ、全ての専門職人材がここで記述されているようなアントレプロフェッショナルになる必要はまったくない。
ただし、その職種における社内1−2人目のひとや、リーダー的なポジションを担う人物たちはこの役割として振る舞えれるかどうか、がその組織における当該専門職のチームのスケールやプレゼンスを大きく左右することになるだろう。アントレプロフェッショナルがいる組織では、その専門職分野に対する知名度や信頼や期待は高くなり、その分大きな裁量や採用の権限が与えられ、チームは隆盛し成果をあげる。
その逆の場合 - アントレプロフェッショナルたる人材が全くいない専門職チームでは、日々決まりきった定型業務や、振られた仕事をこなすことが中心で、主体性を剥奪された地位に甘んじることになるリスクを抱える。もちろんそれは一つのあり方で、それが悪いと言うつもりもない。
ただ、もし自分の専門性を活かして、組織の中でやりたいことや成し遂げたいことがあるなら、そしてそのために必要な仕事が、黙っているだけだと自分には与えられないとしたら?
自分自身でその機会を作り出すしか無いんじゃないだろうか。そのためには組織を、ひとを、自分の仕事の仕方を変える必要がある。僕らは自分の専門分野の小さな殻から抜け出して、そこに挑むべきなんじゃないだろうか?
硬直的な専門職、融和的な専門職
そういうわけで、今後の専門職領域ではアントレプロフェッショナルな人材が強く求められ、そういった人物の市場価値が高く評価されるであろうと予想する(と言うまでもなく既にそうなっているフシはある。)マインドセットと振る舞いの問題なので、履歴書や経歴上から見分けがつくわけではないが、彼ら彼女らは社内で重用され、またチームを拡大し、率いていく存在としてプレゼンスを発揮していくだろう。
アントレプロフェッショナルは、専門スキルの発揮ではなく、専門スキルで成し遂げられる成果にこだわりを持つ、「コトに向かっている人材」だ。これまで見てきた通り、全人格的な仕事を全うしようと努力し、また必然的に他のチームや職能に対して融和的に振る舞う。
僕はこの「融和的である」ということが非常に重要であると考えている。なぜなら、それはある一点における状態を指すのではなく、それ自体が強化されるフィードバックループを生み出し得るから。融和的である、ということが周囲とのコラボレーションの中で成果に繋がりやすい環境を生み出し、成果を出すことが周囲の信頼や新しい仕事の依頼などを再創造し、より融和的な状況を作り上げていく。
残念ながら、この逆を行く「硬直的な」専門職のチームを何度となく見たことがある。
閉鎖的に振る舞う専門職はとっつきづらい印象を与えるため、彼ら彼女らの専門領域に当たる物事に対しても、相談などをされずに社内でスキップをされてしまうことが発生する。
そうすると、自分の庭だと思っていた領域で自分たちをスキップしたことに癇癪を起こし、専門用語や正論を並べ立てて、自分たちをスキップするべきではなかったと、周囲を強くなじる。その結果、「あの専門チームはできれば関わりを最小限にしたい」という印象を強くする。そうして負の強化ループに入っていく。
北風と太陽の逸話というのはよくできている。
専門職というのは、その手に強い武器を持っている。
それは太陽のように使うべきなのだ。北風ではなく。
以前、過去にいた会社での自分の戦績を振り返るnoteを書いたことがある。
僕は過去に自分で書いた文章を忘れてしまう性質だ。
久しぶりにこの記事を読み返したとき、しっかりと内容を失念していた。
その文章の最後にはこうあった。
ホントそのとおりだよな、忘れるなよ。
アントレプロフェッショナルとどう付き合うか
※ 追記
最後に、アントレプロフェッショナルという人材とどう付き合うか、について考えてみる。大きく分けて、3つの立場について書く必要があるだろう。アントレプロフェッショナルである彼ら彼女ら自身、彼らを採用する側の人間、そしてそうでは無い専門職人材について。
採用する側
もしあなたが自身の会社である専門職の1人目を採用する場合。仮に社内にその分野について、専門ではないが明るい(=やってほしい仕事の定義がそれなりにきちんできる程度に)人がいる場合は別だが、その自信が無いのであれば、アントレプロフェッショナル人材を採用することを薦めたい。
専門分野のスキルが高いから、や当該分野での経験が長いから、有名な会社で専門職のチームに在籍していたから、などの理由で採用するのは危険だ。もちろん後々のことまでを考えると、当然スキルの高い人間は歓迎すべきだが、採用の順序が(ときには誰を雇うかそのものよりも)極めて重要だ。
アントレプロフェッショナルを履歴書だけから見抜くのは難しい。最も良いのは、実際に働いたことのある人からリファレンスが取れることだろう。比較的、社内で知名度も高く、別の職種からの評判が良いことが多い。そして専門スキルについてではなく、なし得た成果や作った文化、周囲に与えた影響などについて評価されていることが多いと思う。
面接では、仕事の進め方や時間の使い方について訊くとよいだろう。机に座って自分の専門スキルで作業をしている時間ではなく、人と話したり、情報を収集している時間などについて教えてくれるはずだ。そしてその結果として「自分のチームは何をなすべきか、それはなぜか」についての解像度が高い。
また「誰とよく一緒に仕事をしたか」といった質問も良いと思う。アントレプロフェッショナルは、自分と同じ専門職種ではなく、別の職種や経営に近いレイヤーの人間と過ごす時間が長いはずだ。
アントレプロフェッショナルではない専門職
ひとつだけ書いておきたいのが、通常の専門職がアントレプロフェッショナルに対して抵抗感や反感を持つケースがそれなりに存在するのではないか、ということ、そしてそんなことをする必要はまったくないということだ。
抵抗感や反感を持たれる理由はいくつかありそうだが、自分の知っている範囲でまとめると主として次のようなことだと理解している。
アントレプロフェッショナルが目立ちすぎると、その職種について間違ったイメージが伝わってしまう。その結果として、求められるものが高くなりすぎたり、組織にとっての金の弾丸のように捉えられたり、何でもする便利な人たちのように思われたりしてしまう。
専門職におけるハードスキル部分が軽んじられているように感じる、ないし軽んじられる原因になることが懸念される。結局は専門スキルよりも大事なことは社内政治や調整能力、という帰結になるのは不本意である。
これらは至極まっとうな懸念だと思う。
まあ、これらの懸念を理由に、抵抗感や反感を示そうが、事業体などの組織というものはそういうものだ、と一刀両断にしてしまうこともできなくはないが、当事者にとっても組織にとっても、そんなに簡単な問題でもないだろう。
とはいえ、専門職の当人がこれらを背景にアントレプロフェッショナルに対して批判的になったり、抵抗を示すのは間違いなく自分たちの首を絞める。
アントレプロフェッショナルは、ひとつの組織のおいても、業界全体においても、専門職の地位を高め成果を引き出すことに貢献こそはすれ、地位を下げたり、専門スキルを軽んじたりすることは早々ない筈だ。(もちろんそういうタイプの人の一定はいるだろうが)
前述の通り、全員がアントレプロフェッショナルを目指す必要は全くない。それは専門職種の上位職種というわけではなく、あくまで役割の一部であり、当然のことながら専門スキルにひたすら特化した人材と一緒に働くことでこそ真価を発揮する。ひとはそれぞれ、得意なこととやりたいことを自分の中でかけ合わせ、その才能を個々の合った場所で発揮すればいい、というだけの話で、それはここで敢えて声高に言うことでもないかもしれない。
アントレプロフェッショナル自身
最後に。
アントレプロフェッショナルとして働いている人たち、それを目指そうとしている人たち。
既に言われるまでもなく気付いていると思うが、この働き方は大体においてしんどい。気づかなければ幸せだったことに気付いてしまい、やっかいな場所に足を突っ込んでしまったという気持ちに囚われることも少なくないはずだ。(少なくとも僕は常日頃そう感じている)
だがこれは大事な仕事であり、誰かがやらないといけない。
しんどいけど、「自分の専門分野について、全く無知の誰かに生殺与奪の権利を握られたり、そのせいで自分のチームのみんなを守れなかったり、自分たちの専門性が発揮できなかったりする」ほうがよっぽど辛いと、そう思ってやっている、そんな人が多いんじゃないでしょうか?と、勝手に推察している。
(おそらくそうだとして)大丈夫、その気持ちはきっと報わる。
アントレプロフェッショナルとして目覚めた貴方の情熱と日々のしんどさが、あなたの組織とあなたの専門分野を少しづつ、間違いなく良いものにしていく。
信じて頑張ろ。