HSS-HSPにまつわる話

注1:
今回の記事は短時間・校正ゼロで書いた & 自分の話なので文体が適当かつ粗いです。普段の僕の文章を期待した方はゴメンナサイ。

注2:
いわゆる自分語り的なものも含まれます。嫌いな人は閉じてください。


性格診断が嫌い

いきなりなんですが、小さい頃からあれがめっちゃ嫌でした。いわゆる、「あなたはどちらに当てはまりますか?」という質問を延々と応えさせられるやつ。あれめっちゃ理不尽じゃないですか?

「慎重な方だ ⇔ 大胆な方だ」 「人と話すのが好きだ ⇔ 一人でいるのが好きだ」こういった質問が延々と並ぶのですが、いくつかの選択肢には心の底から苦慮させられました。

「慎重な方だ ⇔ 大胆な方だ」

私はこの質問に対して、自信を持ってどちらも"Yes"なんですよ。極めて慎重でもあり、極めて大胆でもあるわけですどちらかを選ぶことができないし、どちらも自然な自分自身の一部だと感じる。

  • ふたつの矛盾が自分の中には特に考える余地もなく同居していて、この二項対立の構造のどちらかをラベリングとして選択しなければならないことに、いつも忸怩たる思いがありました。ずっと。

  • 「人と話すのが好きだ ⇔ 一人でいるのが好きだ」 :これも同じです。基本的には一人でいる時間が好きだし、そういった時間が自分には絶対的に必要ですが、同じくらい人と話すのも好きです。また、周囲の人からは人と話すのが上手いね、と言われることが少なくない。そういう場合にはどうしたらいいの?

  • これは何なのだろう、と長いあいだ疑問を持っていました。他の人はどうやって答えてるんだろう?人の特性とはそんなに簡単に二項の片一方だけに分類することが出来るものなのだろうか?と。

人生の中で長い間抱えてきたこの疑問に、ある言葉の存在が突然答えを出してくれました。それがタイトルにもあるHSS-HSPという用語でした。
ある時、「HSS-HSP」というパーソナリティに関する概念を知り、自分の人生の疑問の一端に解を見た気持ちになっています。この記事ではそのお話を少しさせていただこうと思っています。

パーソナリティ

私は自分がこの「HSS-HSP」に当てはまるということを30代の半ばになって知りました。

HSS-HSPがなにか、という話なのですが、これは一種の「パーソナリティ特性」だと理解しています。パーソナリティ特性とは、「個人の思考や感情、行動などに広く影響を与える個人の内部にある傾向・パターン」のことです。この特性が社会生活に悪影響を与えるほどに偏ったものである場合は「パーソナリティ障害」と呼ばれることがあります。

HSS-HSPは「パーソナリティ障害」ではないのですが、僕の実感ですと社会生活において、一定困難さをもたらすことも多少ある気がしています。が、いずれにせよ医学的には障害と呼ばれるものではないそうです。

さて、HSS-HSPがなにか、ということなのですが、まずベースとして「HSP」という特性を持っている人が世の中には広く存在しています。

HSP(Highly Sensitive Person)

HSPはHighly Sensitive Personの略称で、すげー単純化してしまうと言葉通り、敏感さがめっちゃ高い人、と定義できるでしょう。

世間一般の水準を大きく超えて敏感性が高く、周囲からの刺激(視聴嗅覚などの五感や、他人の言葉など)に強く反応し、深く感受してしまうために、疲れたり傷ついたりすることが多い、というのが特徴です。

一般的には

考え方が複雑で、深く考えてから行動する(Depth of processing)
刺激に敏感で疲れやすい(Overstimulation)
人の気持ちに振り回されやすく、共感しやすい(Empathy and emotional responsiveness)
あらゆる感覚がするどい(Sensitivity to subtleties)

といった特徴があると言われています。

参考
https://www.shinagawa-mental.com/column/psychosomatic/hsp/
http://www.madreclinic.jp/pm-top/pm-symptom/pm-symptom-22/

一を聞いて、十のことを想像し、考えられる能力がある。
物事を始めるまでにあれこれ考え、時間がかかる。

その場限りの快楽よりも、生き方や哲学的なものごとに興味があり、浅い人間や話が嫌い。友達との時間は楽しいものの、気疲れしやすく帰宅すると、どっと疲労している。

映画や音楽、テレビ番組、本などの芸術作品に感動して泣く。
人の些細な言葉に傷つき、いつまでも忘れられない。
人が怒られていると自分のことのように感じ、傷ついたり、お腹が痛くなったりする。人のちょっとした仕草、目線、声音などに敏感で、機嫌や思っていることがわかる。

なるほど、こういった特徴、痛いほどによく分かるーって感じ。

HSPという言葉はさほど世間一般では普及していないと思われますが(恥ずかしながら私もいい歳になるまで聴いたことがありませんでした)、実は世の中には割と多く存在しており、人類の20%程度がHSP特性を持っていると言われていて、

かくいう私もHSPに該当するわけです。

該当します、と書きましたが、疾患や障害などの類いではないため、正式に診断などがされるものではありません。が、簡易なチェックシートの結果や、事例などの特徴を読んでいて間違いなさそうです。

繊細で、周囲の人間や環境について反応しやすく、他人をケアしようとする意識が強かったり他人の感情に同調しやすいがために、人といる時間が長すぎると疲れてしまうという特性が大きくあるように思えます。私もこの点はかなり当てはまります。日々疲れる。

HSP = 繊細。

でも。私のことを知っている、もしくはなんとなくSNS上で見ている方の中には、私がそういった繊細なタイプの人間には見えない、という方も一定いるのではないかと思っています。

これがまたややこしい。

「HSS型」

ここがややこしいところで、私はそのHSPの中でもさらに一部だけが該当する、「HSS型」のHSPのようです(HPSの3割程度、人口の5%と言われています)。

HSSは「Highly Sensation Seeking」の略で「刺激を積極的に求める」とでも訳せばよいでしょうか。 比較的飽きっぽく、新しいことが好きで、仕事や人生において、刺激を求めて果敢にリスクやチャレンジに足を突っ込み、そのために外交的に振る舞うことにも優れている、いう特性です。

これは自分にも見に覚えがあって、まさに自分のことだなあという感想です。また、このHSSの人間像は、おそらく周囲から見た僕の像にもよく当てはまるのでは無いのではないかと思います。

繊細と刺激の同棲生活

ここまでは良いのですが、問題は「HSS」かつ「HSP」であるという点です。HSPは基本的に広い社交や強い挑戦にはあまり向いていない性格だと思っています。他人を慮る力があるがゆえに社交は苦手ではないでしょうが、自分自身が疲れてしまいます。過度な新しいことへの挑戦なども刺激が多いため疲弊してしまうことがよくあるでしょう。

一方でHSSは刺激や挑戦を積極的に求めまる性質です。 刺激に弱いのに刺激を自分から取りに行くって、大きく矛盾していますよね。胃が弱いのに激辛の料理を好むようなもので、一種の自傷行為に思えます。しかしHSS-HSPの人はその両方を当たり前に自分の中に併存させて生きているようで、自分もまさにそのとおりだと思います。

HSS-HSPは「ブレーキとアクセルを常に両方踏んでいるようなもの」と表現されますが、これは言い得て妙だなと思っています。自分の人生には常にそのような矛盾した感覚がありました。

・周囲からは社交的と思われていて人を紹介されることも多いが、実は極度に人見知りで初対面の相手と話すとHPが殆どなくなってしまう。しかし人と話すことは実際苦手ではなく、そつなくこなせる。

・人前で話す機会などを多くもらうが、聴衆が何を聴きたいか考えたり、抜け漏れが無いように過度に慎重に準備するのにひどく疲れ、また自分に自信が無いので発表の直前にはとんでもなく鬱になる。でも大抵プレゼンはうまくいく

・転職などには積極的だが新しい環境になれるまで毎日がギリギリの綱渡りのように感じる。やがて環境にも馴染み成果も発揮できるが、すぐに飽きる
・新しく大胆なアイディアがたくさん出している傍ら、「もっと慎重に考えたほうが良い」とアイディアをすぐに否定する自分がすぐとなりにいる

・前例や慣習、定説を打ち破るのが好きだが、その一方でそのせいで誰かが嫌な思いをしたのではいないかと気になってあとからぐるぐる考える

・挑戦をくぐってきたので自分の能力には自信があるが、他人が自信満々だとその人たちのほうが凄いと思って自分が卑小に思えてしまう。すぐに自信をなくす

こういった事がよく起こり、自分自身の感情を振り回されることが多かった。これは何なんだろうなあ、とか他の人はなんで何事もなさそうに上手くやれているのかなあ、とかそういうことを思うことがよくありました。

ラベルという救い

HSS-HSPという性質の存在を知り、自分がそれにあてはまると気づいた時に、自分が抱いていた大きな謎のピースが綺麗にハマった感覚があり、肩の力が抜けたような気がしました。

自分が感じていた矛盾・自分自身の人生に感じていた違和感の根本原因はこれだったのか、と。

まず、周りの多くの人は自分とは違う感じ方をしている、ということが理解できた点。HSS-HSPは人口の5%しかいないので、HSS-HSP特有の込み入った、矛盾したような複雑な物事の感じ方を共有できる人は多くありません。周囲に理解されないことが多いなあ、と寂しい思いをしていたことも、そもそもの特性が人と大きく違い、かつあまり人口含有率が多くない、ということが理解できれば、仕方のないことだと納得がつくようになりました。

また、これは自分自身の一部でこれからも付き合っていくしか無いということに、その一種の諦めに逆に安堵しました。そういうものだと受け入れるしか無いんだ、と考える逆に気持ちは楽になります。

ラベリングって良くない言葉のように感じられますが、時にはラベルを付けて売りに出されたほうが楽になることもあるもんですよね。

面倒くせえ

私は人生の大部分において、こういった話を他人にすることはありません。面倒くさいからです。自分も面倒くさいし、された他人も面倒くさいでしょう。

僕が「自分は繊細さんです」というと、100人中95人が「またまた〜何いってんの!」という反応をします。それはそのはずで、普段自分はHSSを多く露出させ、HSP(繊細さ)を隠して社会生活をしていますからね。

多分なんですが、HSSタイプのHSPは社会にうまく紛れ込むのがうまいのだと思います。後ほど書きますが、繊細部分の能力を使って、周囲の望むものを察知し、その場に適した振る舞いをして生きていますから。それでいて、傷ついたときは自分の部屋にこもって人に会わない(僕はこれを「修道院モード」と呼んでいます)。

ので、人にこういう話ししても理解されづらいです。それもこれも自分の振る舞いのせいであり、当然のことだと分かっています。のでわざわざ言うつもりにもならないというのが本音のところです。

本当かわかりませんが、HSS-HSPに該当する有名人をまとめたサイトを見ました。比較的、社会でうまくやっているひとたちには見えますが、彼らも家では修道院にこもっているんじゃないですかね。しらんけど。
https://ikedamasumi.com/hss-hsp-famous/

ならばなんでわざわざ

こんなnoteを書いているのか。
そもそも僕のような性格の人間はこういった類の自分語りがあまり得意ではありません。

周囲の感じ方が気になり、またそのつもりはなくても思考が勝手に一歩も二歩も先に行くため、「こんな自分語りキモいんじゃないか」「自分は人と違うアピールのように取られて周囲と溝ができるんじゃないか」などの考えた自動的に頭を埋めてくるからです。また、もともと他人に自分自身を理解してもらおう、という行為自体に期待値が薄く、またそれを不遜な行為だと捉えているフシがあります。

ときには自分語りもよかろうて

しかし、そういった勝手な自己完結、諦めこそが自分の人生に対する困難さを招いているのでは、と思うようになってきたというのがあるかもしれません。あんまり細かく書くのもめんどいので書きませんが、割とこうやって自分のことを周囲に述懐するのも、時にはいい帰結を生むんやなーと思えたことが何度かあったからなんでしょうね。感謝。

30代なかばでこの自分の特性を理解して以来、より自分の中のHSP君およびHSS君を意識するようになりました。そのせいか、ここ数年は意外にも自分の中のガラス細工だったハートがちょっとづつ、分厚くなるようにコントロールを出来ているような気がします。

まあ、いつも一緒にいてくれる妻のおかげだったり、いろんな環境要因はあるのだと思っていますが、自分自身の一部として認め・自認し・引き受ける、っていうスタンスで日々生きることは一定大事なんじゃないかと思ったりしています。

なんで、わざわざ大勢が見ている可能性もあるインターネッツ上でこんなことを書くというのも良いリハビリの一貫なんじゃないですかね。もしくはこういう事ができるくらいにはツラの皮が厚くなったということを試したいだけなのかも。

10年前の自分に届けたい。

あとは。
意外にこういう話ってオープンにする人が少ない?せいか、僕も長いこと知らなかったというのが不思議でもあるんですよね。初めて知ったときは、誰彼もっと大きな声でこのパーソナリティの存在を騒いでくれればいいのにって思ってました。(いや僕が情弱なだけかもですが)

なんでそういう人にでも届けばいいなって。

それと、最近HSS-HSPの人と飲んだけど、楽しかったですよ。僕の身近にも(そうでなくても)実は自分も!って人がいるかもしれない。ぜひ声かけてください。

いいこともあるんだ

とはいえ、悲観ばかりしているわけでもありません。

この特性は実際のところ、他の人には無いものが自分の中に内包されているということ、しかも通常であれば同居し得ないような両極端の能力(といっていいかは微妙ですが、ちゃんと使えれば能力でしょうね)を同時に持っているということです。メラとヒャドでメドローア。

出典:Pixiv

仕事の場合

僕の場合は、仕事の上で結構ユニークな個性の活かし方をしているという実感があります。データ系の仕事をしているのですが、作業に集中しているときにはHSPが発露するので、非常に細かいデータの例外や前提・定義の食い違い、などによく気が付きます。また、分析結果などで自分の意図が相手に正しく伝わらない可能性を100パターンくらい瞬時に考えつくので、誰から見ても見やすいグラフや文章、パワーポイントなどを作るのが得意です。(むしろ大雑把な人から見たら偏執狂的に感じるかもしれない)

なのですが、一人の修道院から外に出るときは、また別の顔が出てきます。基本的には前例を壊すのが好きで、新しいことが好きで、そのためなら意思決定者などの偉い人に突っ込んでいくのも辞さない。

どちらか一方であればよくいるビジネスマンだと思いますが、データ系だと後者の要素を兼ね備えた人が少ないようで、そのせいか組織内では比較的重宝されます(みんながやりたがらないことをやらされているだけとも言える)

プレゼンの資料は考え抜いて丁寧に繊細に作るけど、登壇時にはいきなりその場のノリで大きな事を言ったりするので、それがそれで面白がられたりします。

コンテンツは繊細に × アウトプットの仕方は大胆に、という組み合わせは意外と取り合わせがよく、かつ一定以上のレベルで両立しているケースが少ないんだと思います。その組み合わせを活かせる領域はめちゃ得意で、本質的に目立ちやがりでは全くないのだが(むしろ嫌いだと思う)、メディアだったり登壇だったり、Podcastだったりをやるのは苦手ではないのはそういうところなのだろう。

あと、ベースがHSPなので、能力が高くやっていることも素晴らしいのに、組織内でもあまり目立てないタイプの繊細さんとも、うまく仲良くなれます(ただ、人の前にいるときはHSSの気質が強く出るので過度な引っ込み思案の人とはそこまでうまくやれないときも…気持ちはめっちゃわかるんだけどね。)。

そしてそういった人の取り組みを、自分のやっていることに巻き込んで、取り組みにより光があたるようにしてあげたりも出来たりする。多分。

キャリアについては、割りと新しいことにガリッと挑戦しちゃいますね。スタートアップに行ったり、なぜか全く未経験の政府の仕事に飛び込んでみたり。飛び込むのは大胆だけど、入ったあとは比較的慎重に色々と考えつつ、ところどころHSSモードでやるので、それが今のところうまく行っている気はします。

HSPだと、組織内の人間関係とか、構造的な欠陥、とかに気づきやすいのは、新しい環境でもうまく生き残れる力に直結している気がする。あと、細かい仕事は好きなので、転職とかの初期は、人と違うこまけー作業しつつ、組織内の構造を観察しつつ、必要なときに大きいレバーをガツンと引くっていうのがやれてますね。それが下記のnoteのような処世術に繋がったのかもしれんです。


プライベートの場合

私的領域でこのパーソナリティが役立つこと。
は、、

あったかなあ。わかんねぇ。まあ人付き合いで苦労することは多いですね、外面ばっかり良くて、内心臆病で人から逃げてばっかりではあるので。でもなんかいいことあるよきっと。しらんけど。

結局何が言いたかったのか

特に無いです。書きたくなっただけです。
でも、世の中にいるHSPとかHSS-HSPの同士には届けーって気持ちはちょっとあります。そんだけ。

筆者:https://twitter.com/hik0107

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樫田光 | Hikaru Kashida
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