自由なる男(古賀コン7応募作品)
「ふぅ、なんとか間に合った」
そう言った男は、幼稚園のホールに入っていく。
彼は幼稚園に似つかわしくない格好で、よれたスーツにシワだらけのワイシャツを着ており、折角の整った顔立ちにもうっすらとヒゲが生えていた。おまけに昨日しこたま飲んだのか酒の臭いもプンプンする。
周りの大人たちは彼のことなんか気にしてない風を装いつつ距離を取ろうとするが、彼は避けられていることに全く気付かずにズカズカと集団の中に入る。
「なんだ。意外と最前列まで行けるもんだな。みんな自分の子どもが可愛くないのかな?幼い我が子を写真に収めたくないのかね」
後数分で年長組のお遊戯会が始まる。
「チッ、リョーコのやつ、先に待ってるっていったのにどこにいるんだよ」
舌打ちの後、彼はいきなり大声を出す。
「おーい!リョーコここだぞ!ここ!!」
両手を振って保護者席を見渡す。他の親たちはもちろん知らぬ振りだ。
「なんだよ、遅刻かよあのバカ。帰ったら説教だな。まぁ、俺だけサーちゃんの可愛い姿を拝むか」
数分後、園長によるあいさつが始まった。男は園長が話し出す前からつまらなそうにしていたものの、3分ほど経った時に我慢出来ず声を上げる
「あぁ、もう園長さん分かってないね。俺たちは子どもの可愛い姿を見に来てんの。ねぇ皆さん。」
ここで言葉を切って親たちに同意を求める。全員が全員、首を縦に振っているのか横に振っているのか分からない角度で動かす。
「ほらね。他のパパさんママさんもこう言ってるんだ。あんたのために言っとくけど、早いとこ話を辞めて座りな。大恥かくよ?」
あまりにもな男の言動に最初は気圧された園長だったが、そこは園を背負う者、毅然と言い返した。
「ご不快になられたのなら申し訳ございません。私共も普段とは違う子どもたちのハレの場を成功させたいと思っています。なのであと数個だけご注意頂きたいことを説明させて下さい」
言い返されることが想定外だったのか、男は一瞬呆気にとられたような表情を浮かべた。ただ、その驚きはすぐに怒りに変換されたようで、青筋を立てて彼は怒鳴り散らした。
「やかましい!こっちはお客様なんだよ。しょうもない言い訳はいらないから、とっとと引っ込め!!」
園長は頭を下げつつ、注意点をササッと言ってから座った。男は担任の先生に謝られている。
「まあ、シノちゃんが言うんなら、今回は多めに見るけどね、あのジジイは良くないよ。だから俺の会社で働きなって言ってるのに。そうだ今度飲みに行こうよ、会社について色々教えて上げる。」
園内きっての美人で、男の子どもであるサーちゃんの担任の先生、ゆり組のタカヤマシノ先生に怒りをぶつけつつ、彼女を見る目は下心そのものだ。
「私この仕事が好きなので……」
やんわり断るタカヤマ先生に男が食い下がる。
「何言ってんの、儲からないでしょこの仕事。その点、俺の会社は国の仕事もやってるし、大分儲かるぜ。何より会社のエースの俺が口聞いてやるんだ、後悔はさせないよ」
「私子どもたちが好きなんです」
「うんうん母性に溢れているところもシノちゃんの可愛いところだよね。今度飲みに連れて行ってあげるからね。」
どこまでもタカヤマ先生の言葉を自分の都合の良いようにとらえる彼は、誘いを断られていることを理解できない。
「じゃあ決まり!来週あたり行こうね。」
そして一方的に話を切り上げた。
ホール内に案内が流れる。
「それではまずはキク組さんのお歌からです」
可愛らしい子どもたちがステージにたって童謡を歌っていく。すると「グゴー、グゴー」という音が保護者席に響き渡った。いやその音は大き過ぎでホール全体に響き渡る。もちろん音は男のいびきだ。
ヒソヒソ声で「あきれた」「あれが噂のサーちゃんパパよ」と言葉を交わす保護者たち。とばっちりを恐れて誰も起こそうとしない。
さすがにこれはお遊戯会の邪魔だからと、先生たちも声をかけるが、全然起きない。
男は夢を見ていた。
「なぁリョーコお願いだから、あと五万円だけ貸してって、お義父さんに頼んでくれないか?」
頭を下げる男。
「もうムリよ。この間の十万円だって返してないでしょう」
奥さんは背が小さくて、ショートカットの可愛らしい見た目の人だ。ただ今は怒りと疲れで顔が暗い。
「今回だけだよ。明日の競輪で倍にして返すから」
「サキエのためにギャンブルを辞めるって言ったじゃないの!お酒ももっと控えて、お願いだから」
泣き出す奥さん。そんな彼女に男は言った。
「仕事してたらストレスがあるんだよ。お前にはどうせ分からないだろうけどな」
心底見下したような嘲笑を浮かべながら男は続ける。
「この家だって俺の金で買ったんだ。今はちょっと仕事の調子が悪いけど、いずれ必ず上手くいく。それまでの旦那の息抜きも許せないもんかね?あーあ。そんなんなら出ていってくれていいんだぞ」
更に泣く奥さんを見て、彼は嗜虐的に笑った。
「次はゆり組さんです」
アナウンスの声で目覚めた男。
「ふぁー。昨日は本当にムカついたな、いい加減あいつも自分の立場を理解しろよな」
あくび混じりに愚痴をこぼす。
「ん?」
目をこする彼。見間違いではない。なんとサーちゃんがいないではないか。
「先生!俺の娘がいないんだけど!」
タカヤマ先生に声をかけるも、先生は知らないと言う感じで首を振る。
ブーブーブー。その時ポケットのスマホが鳴った。リョーコからだ。メッセージはたった一行。
「私たちはもう二度と帰りませんさようなら」
「え?そんな」
見下し、甘えていた妻からのいきなりの拒絶に、男はガクッと膝から崩れ落ちる。
雑音のようにアナウンスが耳を通り抜ける。
「それではダンスをご覧下さい」