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「つまらない」を喜ぶ

みなさん、おやっとさあです。
かおりです。


気づけば北海道もたくさんのお花たちで賑わっています。

わ〜い春だあと思ってうっかり軽装で出かけると、びっくりするくらい気温が低かったりして、まだまだ冬物がしまえずにいます。


道端で、クローバーが生えているところに通りかかりました。

二荒山神社にあったたくさんの四ツ葉さんを思い出して、ちょっくら四ツ葉のクローバーを探してみたりしました。

見つからないなと思って数分で止めてしまったんですが、そういえば子供の頃、四ツ葉が見つかるまで探し続けていたことを思い出しました。
それこそ空が暗くなるまで探していたこともあったなあ。


私は小学生の時、岐阜県の各務原市というところに住んでいました。
市の花がツツジなのですが、学校から家までの道のり、たくさんのツツジが咲いていました。
帰り道、ツツジの花をプチっと摘んで、蜜を吸ってポイっと捨てて、というのを繰り返しながらよく歩いていました。
今考えると、お花さんには申し訳ないことなんですけどね。

出現したトカゲを、そっち行ったぞ!とか言ってみんなで協力して捕まえたり。

一つの石コロを家に着くまでずっと蹴って帰れるかゲームをしたり。

雲の形が何に見えるか言い合いっこしたり。

いつからそういう事をしなくなったんだろう。
四ツ葉のクローバー探しも、石コロ蹴るゲームも。
帰り道すら冒険だったあの頃の感性は、今も私の中に残っているだろうか。
心のどこかで、その冒険を無駄な事だと決めつけてはいないだろうか。


駄作や駄洒落にある様に「」という字には、「つまらない・ねうちがない」という意味があるけれど、「無駄」は「駄が無い」と書く。

どうしてその漢字が使われているのかは分からないけれど、本質的に「駄なことなんて無い」と昔の人は知っていたのかもしれない、と思ったりする。


祖父は私が生まれる前に他界しましたが、父が時々、祖父の口癖を教えてくれることがあります。
そのひとつを思い出しました。

つまらない」事を喜べない時、人生が「つまる」んだ。
どんなつまらない事も喜べたら、人生がつまる事はない。
この世に無駄はひとつも無いぞ。


じいちゃん。
私は、100歳になっても真剣に四ツ葉のクローバーを探す人でいたいなって思うよ。



それでは、また次回。



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