
神様もマイキーになる時がある【神様の本氣補足】
昨日の記事で、神様たちの炎のような熱い想いを言葉にして表現しました。
それについて、ちょっと補足しておこうかなと思います。
今生きている実に多くの人が、自虐していて、それに氣付いていません。
歴史的背景とか、日本人の氣質とか、「原因」を探れば色々あるのかもしれないけれど、因果関係とかにフォーカスしたいんじゃないんです。
それすらも自分で選んだものだから、本質ではないんです。
「今」をまず見つめてほしい、という感じなんです。
今、あなたは存在していて、
今、あなたはあなたを傷つけている。
まずはそれに氣付いて、と。
昨日書いていて不思議というか、びっくりしたんです。
神様たちって、私たちが何をしても受け入れて見守ってくださる存在だと思ってたので、こんなにも強いお言葉を使われるのか〜!!と。
でも、想いを言葉にしながら、もっと奥底の感情もたくさん感じました。
「絶対に許しません」という言葉の背後に、「許す許さないの世界ではないことは分かっています」という氣が隠れています。
「やめて」という言葉の背後に、「どんなことをしているあなたも愛しています」という氣が隠れています。
それを感じて、ああ〜!!と分かったんです。
これは、お父ちゃんお母ちゃんからのケツ叩きだ!!と。
“本氣を見せる“ことで、“本氣で生きる人が増えてほしい”んだなと、そういうことですね。
私の父は、温厚で優しくて普段は全然怒らない人なんですが、これだけは絶対にしちゃいけないっていうことを私がした時は、「お尻を出しなさい!!」と怒鳴って、バーンとひとつ叩いてました。
それが一時的な感情でないことも、私を想ってやってくれていることも感じられて、「私のために本氣で怒ってくれているんだな」と思いました。
それにとても似ています。
ちなみに昨日の言葉を今風に言い換えると、神様たちからこう聞かれてるとも言えます。
「こん中にぃ〜!!
本来の自分閉じ込めながら、これからも自分いじめて生きたいですって奴いる!?
自然な自分をねじ曲げながら、苦しみ抜いて生きたいですって奴いる?
・・・いねえよなぁ!!?」
ってことですね。
マイキーです。
まろやかな言葉を使うと「あなたはどんな生き方を選びたいの?」、ですね。
さあ、選んでください。言葉は放たれました。
今回、私も発見が多くありました。
神様たちって、愛の存在だな〜って思うんですけど、「愛」単一の宇宙意識というより、もう一歩人間寄りの「潜在意識」の方に近いんだなって思います。
だからそれぞれの神様に個性があるし、想いも表現してくれる。
「愛」のみだったら、すべて統合されちゃってるので、それは起こりませんもんね。
そう考えたら、神様たちの存在が一層愛おしく感じられます。
なんか胸キュンで、涙出そうだな。

それでは、また次回。
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