歩くことでトラウマが減る件について
どうも、私一人で編集している「生きづらさんのための生き方研究マガジン」聖論(せいろん)の編集長、聖~HIJIRI~です。
今日は、生きづらさんの参考になりそうなトラウマケアについて、シンプルなケア方法をシェアしたいと思って、書きます。
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トラウマが格納されている場所はどこ?
そもそも、前提として、トラウマはどこに存在していると思いますか?
ほとんどの方は、トラウマの所在地なんて考えたこともないと思います。しかし、実は、トラウマが肉体に存在しているという説が1980年代からあります。これを今回は「トラウマ筋肉保存説」としましょう。つまり、ショックを受けることがあると、そのショックが体の一部分に残っていて、その後の行動に影響を与えるというものです。
実際に、体のどの部分に、どんなトラウマが残るのかは、未解明ではあるのですが、金銭の恐怖が腰に入り、腰痛を引き起こしやすかったりする例はあるように思います。
もしくは、恐怖時の体の硬直を脳が覚えていて、脳がその体を硬直させている、という考え方もあるかもしれません。こちらの考えを「トラウマ脳細胞保存説」としましょうか。
今回は、そのうちの筋肉保存説の方を中心に話しましょう。
実は脳細胞以外にも情報を保存する細胞があるようです。えっと、情報を保存するのが脳細胞という考えをするならば、頭部以外にも脳細胞がある、という言い方になるでしょうか。
例えば、心臓移植手術における例ですが、提供者(ドナー)の心臓に、ドナーの記憶が残っていたようで、心臓を受け取った方が、ドナーの家に迷わずたどり着いて、家族と抱擁を交わすというような話がアメリカでありました。しかも、ドナーの趣味であるバイクを欲しがるようになったり。
この例からすると、心臓にも記憶細胞がある、ということになります。
心臓は最も大切な部位のひとつですから、記憶という人間の個性として大切な情報が大切な場所に保存されるのは、もしかしたら、生物学上、理にかなった情報管理なのかもしれません。
しかし、本当に、追加の記憶細胞があるのは、心臓だけなのでしょうか。
記憶細胞=脳細胞はまちがい?
先程の心臓移植の例では、家や家族などの情報が、心臓にあると思われる記憶細胞に保持されていたと考えられます。しかし、もっと単純な生命に関する記憶なら、他の部位に記憶されていてもおかしくないと私は考えています。
たとえば、火砕流に危うく巻き込まれそうになった経験がある人には、熱さに対するトラウマが生まれることでしょう。そうなったとき、その記憶は脳と心臓に収納するだけで事足りるでしょうか?
全身の筋肉細胞に「めちゃ熱い=危険」という記憶を保持するということは考えられないでしょうか。もしそれが可能なら、「めちゃ熱い」状況に再び出くわしたとき、脳と心臓だけの場合よりも遥かに早い反応速度で、「めちゃ熱い」状況から逃げられるのではないでしょうか?
タコの話をしましょう。
タコの足は、独立した脳細胞を持っているようで、それぞれの足が、それぞれの意思で動いているようなのです。おそらく中央の脳細胞から、食欲などに関する情報は共有されていると思いますが、基本的に、自分でもどこに向かうかわからないのかもしれません。
そうなると、記憶細胞=脳細胞という我々の思い込みは捨てないといけないのかもしれません。人間は体のあちこちに少量ながら、記憶細胞があると思ってもよいのではないでしょうか。
筋肉をほぐすことによる効果
その、各部位の記憶細胞に、危機管理情報としてトラウマが残っているのではないかと私は考えているのです。実際に、同様のアプローチで開発されたのが、デヴィッド・バーセリ氏のTRE(トラウマ・リリース・エクササイズ)です。戦争後遺症の人々に大きな効果があったようです。
実は、数年前に、本を買って、試したことがあります。
たしかに、体がプルプル震えました。空気椅子トレーニングの厳しさそのものです。プルプル震えるこの体操によって、記憶細胞から、トラウマが解き放たれるという仕組みです。しかし、私のトラウマはそこまで強いものではなかったので、実際のところ、効果はわかりませんでした。
トラウマの程度にもよるのかもしれませんが、軽度のトラウマなら、もっと簡単な方法でなんとかならないか。なにしろ、空気椅子トレーニングは、きついのデス。そう考えていたときに思い出しました。
「ラマナ・マハルシは歩くことを推奨していなかったか?」
やっぱり故ラマナ・マハルシに聞けば間違いない
知らない方のために説明しますが、ラマナ・マハルシはインドのヨガ行者です。生涯2つのことを人々に推奨しました。ひとつは「私とは何か?」と自らに問い続けること。もう一つはアルナーチャラ山を歩くことでした。
ラマナ・マハルシは死の体験の果てに、真我の境地に至りました。本当の自分に気がついた、という意味です。実は、私の主催する「聖論塾」でも、目的は一緒です。沢山の人に、本当の自分に気がついてほしいと思うのです。私自身、まだ道の途中ですが、そこに光があると考えています。
なぜ、これほどシンプルな本当の自分にたどり着いたラマナ・マハルシが、山歩きを推奨したのでしょうか?「私とは何か?」と問い続けるだけでは足りなくて、どんな意味で山歩きに活路を見出したのでしょうか?
山歩き、面倒ですよね。私はいまは登山好きなので、そこまで嫌いじゃないのですが、過去の私だったら、面倒臭がってそんなことしません。
でも、もしかしたら、ラマナ・マハルシはその効果を肌で知っていたのかもしれません。
ラマナ・マハルシの死の体験のトラウマを和らげたものは何だったのでしょうか? これは私の推測に過ぎないのですが、山を歩くことで、全身運動になり、筋肉が程よくほぐれ、筋肉に保存された恐怖記憶が解きほぐされたのではないでしょうか?
歩いて自分の中の余計な感情を減らす仕組みは、昔からある
実は、私の妻も大きな死の恐怖にとらわれた2019年、とにかく歩かずにはいられなかったようでした。その距離は1ヶ月で単純計算で400km以上になります。本能的に、恐怖を取り除く方法を実践していたのではないでしょうか?
また、日本でも、自分を振り返るのにお遍路さんに挑むことがありますよね。そして、お遍路さん同様の仕組みが、海外にもあります。カミーノ・デ・サンティアゴの巡礼です。距離としてもやはり400km以上あります。
こうして、人々は、「歩く」という行為の中に色々な利点を見出してきたのです。
我々も歩こう
結局の所、全ては仮説に過ぎません。しかし、これだけの実例があると、少し気になってきませんか?
先程のバーセリさんのTREは短時間で大きなものをリリースできるかもしれません。しかし、本当に歩くことに匹敵する全身運動効果が得られるでしょうか? 小さな筋肉に入り込んだ小さなトラウマまで、手が届くのでしょうか? それなら、まとめて全身運動でゆっくり解きほぐしていくほうが、安全性も高く、気分も良いような気がしてきます。
もちろん、大きなトラウマを、今この瞬間にも小さくできるならなんでもいい、そう考える方は、TREが良いと思います。ただ、長引いて困っているなにかがあるなら、歩くのも一つの方法です。
400kmという長さにも意味があると私は考えています。それだけ歩けば、大抵のトラウマはリリースされ、新たに蓄積されるまでは、自分らしくいられるのではないか。ついそんなふうに考えてしまいます。
最後に
我々も余裕があるときは、歩きましょう。山歩きみたいなガチなやつじゃなくても、散歩レベルでいいと思います。続けていけば、400kmにだって、いつかは到達しますし。
日頃のストレスがトラウマレベルだったとしても、散歩で少しでも減らせるなら、すっごくいいと思いませんか?