聖論の創刊にあたって
はじめまして。
月刊「聖論」をご購入いただきまして、ありがとうございます。
聖論塾主宰の、聖~HIJIRI~と申します。
「聖論」とは
「聖論」は他では学べないロジカル&スピリチュアルな生き方をお届けする「生きづらさんのための生き方研究マガジン」です。
私には夢があります。
自ら社会を良くしようとする自立型人財で溢れた社会を作ることです。
そのために、私は、自立型人材を育成することを活動の主軸にしています。
その活動の一環として、自立につながる生き方を追求して、シェアしようと「聖論」を創刊いたしました。
人間にはそれぞれ、「変容のとき」というのが設定されています。とくに私が「生きづらさん」と呼んでいる生きづらさを抱えた人たちは、その「変容のとき」の衝撃が凄まじく、とても強い自立型人間に変わることがあります(個人のアセンションと言い換えてもいいでしょう)。生まれ変わるような体験ですから、大きな痛みを伴うこともあります。そうした方に向け、痛みが少しでも和らぐような愛と叡智を毎月お届けできたら、ほんとうに嬉しいです。
令和の生きづらさはそれまでと違う
令和の生きづらさはそれまでと違っています。比較のために、昭和と平成の生きづらさを一言で例えると、昭和は「過労」、平成は「依存」だと、私は感じます。(これは皆さん、それぞれ考えて例えてみてほしいです。ご自身の考えを持ってもらうことも「自立」的なのです)
昭和は、出自が悪くとも、働けば物質的豊かさがそれなりに回ってくる時代でした。だから、猛烈に働く人が多かったのです。しかし、平成に入り、バブル経済以降、働かずに収入を得る不労所得がまかり通るようになりました。そして、それは依存的人間を増やし、労働者自ら努力・工夫する自立的流れを弱らせました。その結果、天下りを始めとした既得権益の塊が生まれ、スタートが悪いと人生は逆転できないという支配構造が拡大しました。つまり、過労の生きづらさの昭和と、働く意味を見出しにくい生きづらさの平成という構図です。
令和でも、平成的な労働の意味の欠乏が続いているところはあります。一方で、真の労働価値を目指す人が増えました。「もっと人の役に立つ仕事がしたい」。平成の絶望の果てに、平成の終わり頃から令和のいまでは、自立を目指す流れが強くなってきたのです。これがまた新たな生きづらさを生んでいるのです。
これは一言で言えば、「分断」と言っていいでしょう。いわゆるスピリチュアルな文脈における「二極化」と近い概念かもしれません。早い段階から「令和的自立」を目指してきた人も、大変な苦労の上で、自立していると思います。でも、それはまだまだ少数派です。そして、多くの人は、大企業の一般社員やアルバイトであり、いわゆる昭和的・平成的なエッセンシャルワーカーだったりするのです。どちらが良い悪いという話ではないのですが、エッセンシャルワークにしあわせを見出している多くの人にしてみれば、大志を抱く人は、全く相容れない存在です。そして、大志を抱く強く優しく面白い、令和的な人ほど、マイノリティとして毛嫌いされて孤立します。それが、生きづらさの理由の一つです。
月刊誌「聖論」は、そうした生きづらい方「生きづらさん」の味方です。そうした令和だからこその生きづらさにも目を向け、寄り添いながら、新たな令和的生き方の研究を続けてまいります。
どうか、皆様の、新しい生き方のお供として、読み続けていただきたいと思う所存です。
2021年9月14日 聖~HIJIRI~