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なりたい自分になることが幸せなわけじゃない
わたしの人生、大いなる目標は、“他人と比べないこと”である。
他人と比べて不必要に落ち込んだり、焦ってしまうから、あまりしたくない。じぶんの足りないところばかり目にいってしまうから。
『歳取ったら周りなんて気にならなくなるよ!』って聞くけど、それは他人が目につく機会が減るだけであって、なにかのタイミングで誰かと比べてしまう人の本質はかわらない気がするんです。
っていうくらい、ほんと“歳取ったら…論”にたいして懐疑的。青いな、自分。
しかし、しかし、たしかに外出して人とむやみやたらに会うことが減った一年、とても気が楽だったとも思うわけです。
することも無いし、悩んで悩んだわたしが自分なりにじぶんと向き合って、最近ひとつの悟りを開いた。
それは「なりたい自分になれたところで幸せにはならない」ということ。
なりたい自分になること=幸せになる、というわけじゃないな、と思ったのは
①なりたい自分像が、“憧れのだれか”だった場合、一生憧れのようにはなれない。だって他人だから。
②①だったとしても、じぶんの変化をじぶんが気づいて認めてあげられなければ、永遠に変われたという実感をもてない。
③まずそもそもなんで変わりたいの?出発点に“〜べき論”、“〜した方がいい論”が含まれてませんか?
“優しくなりたい”と思い続けてきたじぶんは、願い続ければそういう風に行動しようと努力するからか、おそらくこの10年間で他人にたいする思いやりを前よりも持てるようになったと思う。
『優しい』と言われることがふえた。
仮にこれを言ってくれたひとが本心だと仮定して、優しい人間に前よりなれていると思ったとする。
それでも、優しくなったことで幸せを実感することはない。なぜなら、その優しさは大切な人を支えるためには全然足りなかったからだ。
優しさはだれかのために役に立てることができて初めて認められると思う。
「なりたい自分になれたところで幸せにはならない」っていうのは、憧れや理想をもって、目標をかかげて努力することをやめるわけじゃない。
でも、大切なのはどんな状態の自分であっても、自分をゆるす、受容れることだと気づいた。
足りないところに目を向けて『もっと〜しないと!』と思うのではなく。
理想に向かって変わろうと頑張るよりも、意識のもちかたとして、“どうしたらわたしにとって心地いい環境で、心地いい生き方ができるだろう”という視点で、選びとっていきたい。
いまのわたしにとっての最適解な考え方。