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共感力というやさしさ


会ったことのない後輩から、何かの縁で“どうやって営業職から異動できたのか”相談をうけることがある。相談をしてくれる人たちの抱えてる悩みと不安はかつての自分そのものだ。

“不規則な生活がいやだ”
“営業しなきゃいけないけど、お客さんにどう思われてるか気になって営業できない”
“異動するには結局数字で成果をあげないといけないの?”
“結婚、出産のこと考えたら営業としての働き方は無理”
“なんとなくいまの職種以外も経験したい”


わかる、わかるよ…と思いながらも、「だいぶわたしも今の職種にそまってしまったなぁ」と感じていた。
異動したばかりの頃は、おそらく彼女たちの抱える悩みをありありと感じ、苦しいと眉間にしわをつくるほどに感情移入できただろう。自分のこととして感じて心をいためていたと思う。

でも、今は心のどこかで先輩面してしまっている自分がいることに気づいた。わかる、わかる…の相槌も軽いというか。下手したら過去の自分がもっていたであろう疑問や心配について、理解できなくなっていたこともあった。


「せっかく相談してきているのに、こんなんじゃなにも力になれてないよなぁ…」


かつての自分の悩みさえも、離れてしまったところにくると、人はどうして忘れてしまうのだろう?
いまの環境に慣れるとどうして、過去の自分を置いてきてしまうのだろう?


そう、どこかのタイミングで過去の自分を過去のどこかの時点に置いてきてしまう感覚。

あの時の痛みや悩みも、気がついたら過去の出来事としてつきはなして見ていた自分に気づく時。あの感覚はなんだろう?


ずーっと何年も悩んでいたことがあって、物理的な環境がかわってもしばらくはその時の気持ちやその時の自分が引き出しの一番上とか二番目くらいにいた。すぐ見ては思い出せた。
そのことは、わたしにとって“重要事項”、“貴重な経験”、“大きなショック”であり続けると思っているんだ、この時点では。


でも、いつの間にか引き出しの上の方には別の出来事が入っていっていたみたい。


悩みから解放されていくことは喜ぶべきことだ。今まで背負ってきた自分、頑張ったね、って感じ。
でも、そのこととは別に、そういう気持ちを必要な時に引き出し全開で他人の話を聞けることが、他人への共感につながるのかなぁって思う。

経験のない、引き出しに入ってないことは他人の話をきくことで少しずつ埋めていく。そうすると、「この人はまったく別の方向をみて悩んでるのだなぁ」という新鮮さがある。


共感力

優しさのなかでわたしが一番好きな優しさだ。優しいひとになりたいと思い続けてきたわたしは、少しでもそうなれてるのだろうか?

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