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読書ノート『切支丹の里』(遠藤周作)


◆はじめに

 今回は、遠藤周作の紀行・作品集である『切支丹の里』の読書ノートを書いてみようと思う。

 しっかりした読書ノートを書くのは、1年以上ぶりのことである。かねてより「読んだ本のまとめや感想をちゃんと書かないとなあ」という思いはあった。だが、いざ書こうとする度、いつまでも書き切れないんじゃないかという不安に襲われ、躊躇してしまっていた(僕は元々文章が長いうえ、読書ノートをつける時にはある程度本を見返すので、どうしても時間がかかるのだ)。

 ところが最近になって、「やっぱり手応えのあるものを書きたい」という思いが強くなってきた。短い日記を書くだけでなく、多少長くなるかもしれないが、自分にとって大事なことを文章化したいと思うようになった。そこで、久しぶりに読書ノートにチャレンジしてみようという気になったのである。

 今回取り上げる『切支丹の里』は、7月上旬に手に取った本である。その頃、突拍子もなく「長崎に行きたい」と思ったことがあった。普通だったらここで観光ガイドに手を伸ばすだろう。ところが僕は「長崎といえば教会が沢山あるところだよな——そういえば、遠藤周作の『沈黙』は長崎が舞台だし、遠藤周作の文学館も長崎にあったな」というピンポイントな連想を働かせた。そして、同氏の作品リストの中から、いかにも長崎のことを書いていそうな本書を見つけ出し、手を伸ばしたのである。

 つまり、本書を手に取ったそもそものきっかけは、長崎を舞台にした紀行文を読んでみようと思ったことだった。しかし、実際に読み進めた結果、僕は全く違う内容に強く惹き付けられることになる。

◆『切支丹の里』の概要

 『切支丹の里』は、遠藤周作が長崎各地を取材で訪れた時の記録や、その取材から生まれた短編などをまとめた紀行・作品集である。遠藤は、初めて長崎を訪れた際、とある洋館の中で無数の踏跡で黒ずんだ一枚の踏絵を目撃する。それをきっかけに、キリスト教が禁止されていた時代の、棄教した宣教師や切支丹の心情・人生に強い関心を抱き、取材を進めるのだ。取材録の一部は、同氏の代表作である『沈黙』が生み出される過程を記したものである。したがって、本書はその背景にある問題関心や考え方を知ることのできる一冊ともいえる。

 収録されているのは、次の8つの文章である。

一枚の踏絵から
日記(フェレイラの影を求めて)
横瀬浦、島原、口ノ津
有馬、日ノ枝城
雲仙
弱者の救い——かくれ切支丹の村々——
父の宗教・母の宗教——マリア観音について——
母なるもの

 このうち、「雲仙」と「母なるもの」は小説的なタッチの作品で、現地を訪れた遠藤の語りと、史実や自伝の叙述が交互に繰り返されるという構成になっている。また、「父の宗教・母の宗教」は、隠れキリシタンの信仰の在り方を踏まえつつ、キリスト教の性格を考察したエッセイである。残りの5つの文章は、それぞれテイストは異なるものの、取材録がベースとなった紀行文あるいはエッセイと言っていいだろう。

 これら8つの文章のうち、僕が特に惹かれたのは、「一枚の踏絵から」と「弱者の救い」の2つであった。この2つの文章には、『切支丹の里』全体を貫く遠藤周作の問題関心や考え方が、わかりやすい形で表れている。そして、僕が本書を通じて一番印象に残ったのは、まさにそれらの点であった。

※以下、文中に記載するページ数は全て、中公文庫から出版されている『切支丹の里 新装版』(2016年)に拠る。

◆「一枚の踏絵から」より

 「一枚の踏絵から」は、文庫本で40ページほどのエッセイである。そこに綴られているのは、遠藤周作が初めて長崎を訪れてから、キリスト教を棄てた人々に強い関心を抱くようになり、調査の果てに、クリストヴァン・フェレイラという宣教師の生涯に辿り着くまでの過程である(このフェレイラは、小説『沈黙』の終盤で、主人公ロドリゴと会見する人物である)。

 既に述べた通り、遠藤は長崎のとある洋館の中で、黒い足指の痕らしいものが沢山ついた一枚の踏絵を目にする。当初はそれほど深い印象を受けた気はしなかったという。ところが、長崎旅行を終えて数日後、その踏絵のことが心に甦ってくる。

 その時同氏が考えたのは、「あの黒い足指の痕を踏絵を囲む板に残した人たちはどういう人たちなのか」「これらの人はその足で自分の信ずるものの顔を踏んだ時、どういう心情だったのか」という2つのことだった。その問いはやがて、「強者と弱者」すなわち「いかなる拷問や死の恐怖をもはねかえして踏絵を決して踏まなかった強い人と、肉体の弱さに負けてそれを踏んでしまった弱虫」とを対比させながら、踏絵を踏んで棄教した人々の心情と人生に迫りたいという思いへと深化していく(15~16頁)。

 私はこうした強かった殉教者に畏敬と憬れとをもちながら、またこの強者になりえなかった転び者、裏切者を考えた。転び者、裏切者の殉教者にたいする言いようのないコンプレックスについて考えた。そのコンプレックスのなかには私と同じような羨望と嫉妬と時にはまた憎悪さえまじっていたであろう。殉教できなかった者のなかには生涯その負い目を背中に重く背負いながら、生きていったものもあろう。彼等はたとえ社会から軽蔑されなくても、自分では自分を軽蔑せざるをえなかった筈である。

(『切支丹の里 新装版』20~21頁)

 しかし、当時入手可能だったキリシタンに関する研究書の中に、遠藤の思いに応えられるものはなかった。それらの文献は、棄教した人々について殆ど語っていなかったのである。転び者は、キリスト教会からは関心の外に置かれ、為政者の側からも、信念を曲げた弱き者として軽蔑され、無視されていた。遠藤はそのことに深い失望を味わいながら、なお棄教した人々のことを知り、考えたいという切実な思いを語る。

 こうして弱者たちは政治家からも歴史家からも黙殺された。沈黙の灰のなかに埋められた。だが弱者たちもまた我々と同じ人間なのだ。彼等がそれまで自分の理想としていたものを、この世でもっとも善く、美しいと思っていたものを裏切った時、泪を流さなかったとどうして言えよう。後悔と恥とで身を震わせなかったとどうして言えよう。その悲しみや苦しみにたいして小説家である私は無関心ではいられなかった。(中略)私は彼等を沈黙の灰の底に、永久に消してしまいたくはなかった。彼等をふたたびその灰のなかから生きかえらせ、歩かせ、その声をきくことは——それは文学者だけができることであり、文学とはまた、そういうものだと言う気がしたのである。

(『切支丹の里 新装版』30~31頁)

 そして遠藤は、キリシタン研究の大家のもとに通い、代表的な棄教者のことを知るようになる。その果てに、僅かな資料の中から、クリストヴァン・フェレイラの生涯に辿り着くことになるのだ。

 ところで、このキリシタン研究の大家からどうして転び者に興味を持つのかと尋ねられたというエピソードが文中で紹介されている。その時遠藤は笑って黙っていたが、口元には殆ど答えが出かかっていたという。

 「それは……私が小説家だからです。そして私が彼等に近い……からです」

(『切支丹の里 新装版』31頁)

◆「弱者の救い」より

 一方、「弱者の救い」は、その副題「かくれ切支丹の村々」が示す通り、遠藤が隠れキリシタンの村を訪ね歩いた時の取材録を織り交ぜながら、棄教した人々がどこに救いを求めたのかという問題に切り込んでいくエッセイである。

 棄教者たちの後半生に関心を向けるうち、遠藤は隠れキリシタンにも興味を持つようになる。それには次の2つの理由があった。1つは「教会や宣教師という根を失った基督教が日本という風土の中でどう変るか」をみることで「日本人固有の宗教心理の秘密」を考えたいというもの。そしてもう1つは「転び者はどこに救いを求めたか。弱者たちはどこに救いを求めたか」という問題を考えたいというものであった(108~110頁)。

 隠れキリシタンの人々は、キリスト教を信仰していないことを示すため、年に一度は踏絵を踏まなくてはならなかった。このことは彼らに「弱者としての負い目、悲しさを背負わすことでもあった」と遠藤は言う。

 踏絵を踏んだ日、かくれ切支丹たちはその弱さを基督にわびる後悔の祈りを唱えたが、しかし、それによって裏切りの意識、卑怯者の気持は決してぬぐえた筈はない。彼等は世間にたいして怯えたが、それ以上に自分たちの弱さ、不甲斐なさを生涯、神にたいして味わねばならなかったのだろう。

(『切支丹の里 新装版』109頁)

 己の弱さ・卑怯さに対する彼らの負い目は、殉教者という強き者の存在によっても規定される。死を前にしても自分の信念を棄てなかった殉教者の勇気・強さ・信仰の深さは、隠れキリシタンたちの尊敬するところであった。しかし同時に、隠れキリシタンの目に、殉教者は自分たちを「責める人」としても映った。「お前はなぜ、権力や肉体の恐怖に負けたのだ」その声を聞く度に、隠れキリシタンの人々は自己弁護を試みながら、胸の奥の苦しさを感じ続けなければならなかっただろうと、遠藤は述べる(127頁)。

 これらの人々は、どこに救いを求めたか。この問題を考えるにあたり、隠れキリシタンが聖母マリアを特に拝んでいたことに、遠藤は注意を向ける。隠れキリシタンの中には、観音像を聖母マリアに見立てて拝んでいた人や、納戸の裏に聖母の肉筆画を隠して拝んでいた人が少なくなかった。特に、納戸の裏に隠された礼拝対象物については、聖母の肉筆画が圧倒的に多いという。また、その聖母の風貌は、日本農民的な母の姿であるという。遠藤はここから、「かくれ切支丹たちは自分たちの母親のイメージを通して聖母マリアに愛情をもっていた」と推論する(128頁)。

 ここで重要なのは、「母」のもつイメージと、その含意である。遠藤は言う。日本人にとって、母とは「許してくれる」存在である。「子供のどんな裏切り、子供のどんな非行にたいしても結局は涙をながしながら許してくれる存在である。そしてまた裏切った子供の裏切りよりも、その苦しみを一緒に苦しんでくれる存在である」。これに対比されるのが父である。「父は怒り、裁き、罰する。それは正しく、秩序をもつが、非行の子供にとっては怯え、震える対象だ」(128~129頁)。これらを踏まえ、遠藤は次のように述べるのだ。

 かくれ切支丹たちは神のイメージのなかに父を感じた。父なる神は自分の弱さをきびしく責め、自分の裏切り、卑劣さを裁き、罰するであろう。そのような神にかくれ切支丹たちは怖れを感じながら、しかし、そのきびしさより、自分をゆるしてくれる母をさがした。そして聖母マリアがそれだと彼等は感じたのである。

(『切支丹の里 新装版』129頁)

◆感想:救いとしての『切支丹の里』

 ここまで、『切支丹の里』の本文をなぞるように読書ノートを書き進めてきた。一読してわかるように、僕が本書から抜粋したのは、遠藤周作の問題関心や考え方に関する部分、とりわけ棄教者という弱き者の心情に焦点を当てた部分ばかりである。

 「一枚の踏絵から」にせよ、「弱者の救い」にせよ、元々の文章はもっと紀行文や取材録としての性格が強い。特に「一枚の踏絵から」には、日本におけるキリスト教の受容と迫害を巡る歴史や、遠藤が注目したフェレイラという棄教者の生涯に関しても、かなりの記述がなされている。だが、それらの内容はここに抜き出さなかった。

 僕はとにかく、遠藤が立てた問いや、その問いに込められた思いをなぞりたかった。権力や肉体の恐怖を前に信念を棄ててしまうような弱き者・卑怯者の心情や人生を、自分事として汲み取ろうとする同氏の姿を、ノートに書き留めたかった。そうやって弱き者と真摯に向き合おうとした人がいたということ自体が、自分のような人間にとっては救いになると、僕は強く感じていたのである。

 30数年生きる中で、自分自身が弱くて卑怯な人間であることを、幾度となく痛感させられてきた。やってはいけないことや失敗が露見するのを恐れて、コソコソ逃げ回った自分がいる。倫理よりも欲望を優先させるため、物事を都合良く解釈して正当化を図った自分がいる。目上の人にペコペコしながら、目下の人に辛く当たる自分がいる。面倒事を避けてラクに通れる道ばかり選んでおきながら、「人生がツマラナイ」と当たり散らす自分がいる。——一度見えてしまったそんな自分の姿を、僕は心のどこかで恥じ、嫌悪してきた。

 この先自分を変えることはできるかもしれない。だが、過去に存在した弱くて卑怯な自分を、なかったことにはできない。そうである以上、一度抱いた自己嫌悪の感情を、完全に拭い去ることはできない。

 遠藤は棄教した人々の姿に迫る中で、弱き者・卑怯者が抱くこのような心情を、何度も描き出している。「彼等はたとえ社会から軽蔑されなくても、自分では自分を軽蔑せざるをえなかった筈である」(21頁)。「踏絵を踏んだ日、かくれ切支丹たちはその弱さを基督にわびる後悔の祈りを唱えたが、しかし、それによって裏切りの意識、卑怯者の気持は決してぬぐえた筈はない」(109頁)。「『お前はなぜ、権力や肉体の恐怖に負けたのだ』と殉教者たちが言っているような気がする。そのたびにかくれ切支丹たちは何とか自己弁護をしようとする。だが自己弁護をしても、胸の奥の苦しさは治らなかったことだろう」(127頁)。

 そのうえで遠藤は、歴史の中で無視され続けた彼らの姿を、再び浮かび上がらせようとする。彼らに寄り添い、その悲しみや苦しみを汲み取ろうとする。自分の中に弱さ・卑怯さを見ずにはいられない僕のような読者にとっては、同氏のそうした姿こそが、救いや慰めになるのである。

 もちろん、救いがあるからと言って、悲しみや苦しみ、羞恥心や自己嫌悪の情が直ちに消え去るわけではない。痛みが簡単に拭えるという考え方は、上に挙げた数々の引用とも相反する。ただ、根深い痛みを己の内に抱えたまま、それと四六時中向き合って生きていけるほど、人間は強くない。おそらく、救いとは、人間が悲しみや苦しみを携えながら、それでもなお生き続けるためにあるものなのだろう。遠藤が弱者の救いを積極的に論じた理由も、ここにあるはずである。

 弱さや卑怯さを、少なくともその履歴を、ずっと抱え続けなければならない人間が、自己嫌悪に押し潰される前に、生きていくことを可能にしてくれる本。『切支丹の里』はそういう一冊なのかもしれない。

(第243回 2024.09.04)

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