誰よりも彼を
初めて知ったのは高1の秋頃、違う高校ではあるが同い年という事と、同じクラスに野球部の奴がいたのもあって、「桐蔭にダルビッシュみたいな奴がおる」とは聞いていた。
2年の夏、ついに“彼”を見た。
テレビ越しであったがデカい。
そして何より細い。
しかしもっと目を奪われたのは、その爪楊枝みたいな腕が鞭のように撓って、ボールを持った手がシュッとリリースしたらば、あの爪楊枝がなんと150キロ。
驚いた。
こんな日本人がいるのかとビックりした。
聞けば東北の方にもう一人居るらしい。
でも目の届く限りこいつが一番やろう。
佐藤由規よりも菊池雄星よりも圧倒的にデカい。
こいつが遂にダルビッシュを超えていくんやろうなぁ…………
高2夏の涙
高2の夏、彼は泣いていた。
泣いた彼を見るのは後にも先にもこの時だけだ。
勝てばもちろん泣かないが、負けても、ストライクが入らなくても、ファンじゃない人に言われるなら未だしも、ファンの人までもが彼に罵詈雑言の大嵐を巻き起こしてさえも、彼は泣かなかった。
自らの不甲斐ないピッチングで3年生の野球を終わらせてしまった事。
それがこの上ない程に悔しく、申し訳無く、情けない。
推測ではあるが、これが彼の最初の挫折であろう。
でも挫折の先には光が待つ。
人生というのは大体そういう物だ。
断言は出来ないが、周囲の人間や大人を見ているとそう思ってた。
私も、彼も、高校を卒業するまでは。
2012と書いて………
2012年の高校野球は大阪桐蔭、ではなく、彼を中心に回っていた。
全ての高校野球部生が打倒の目標として掲げていた。
ただ一人を除いて………
2012春センバツ、初日第3試合、
大阪桐蔭 対 花巻東。
私事だが3学期終業式の日にセンバツが開幕したので、「半ドンやからダッシュで帰れば間に合う」と思い、友達も何も振り払って一直線で帰った覚えがある。
家のドアを開けていざTVのボタンポチっ!
………彼は、野球で地球を支配しに来たという異星人の前に笑みを浮かべながら屈していた。
そんな内容の野球ゲームを、やった事はあっても、まさか現実に見るとは思わなかった。しかも私と同い年。誕生日は2週違いとまで来た。
となればもう、現実でしか無い。
その後の打席や他打者は抑え、試合は難なく勝利。
私はこの時、この野球星人は野手の方がエエなと思った。
快進撃!………そして
瞬く間に勝っていく彼。そして大阪桐蔭。
春も優勝、夏も優勝、国体まで優勝。
1イニングもリードを奪われずに高校三冠というのは唯一らしい。
紛う事無く彼は、その年の高校No.1ピッチャーだった。
はずだった。
変わりだした運命
センバツ初戦で戦った野球星人は、6月に高校野球当時史上最速の160キロを計測し、更に日本のドラフトは経ず、直接アメリカに行くと言い出した。
何かがズレだした。何かがおかしくなりだした。
例えるなら、ドラフト最注目選手は松坂なのに沖水の新垣がダイエー以外お断りとか言い出したみたいな、そんな感じ。さすがに誰かが亡くなる事は無かったけど。
彼の周りに集るのは地元メディアばかり。
取り分け関西のメディアだ。
灰汁を取り忘れた挙げ句、間違えて灰汁以外全部捨ててしまったと言わんばかりの灰汁塗れメディアだ。
ろくな事すら聞いてもらえないのは想像に容易過ぎる。
彼はどうかは知らないが私は思った。
「おかしい。今年の一番は彼や。その彼に何故趣味だの好きな女性のタイプだの聞いとんのや。」
野球の話はしてくれない。気に入った答えが出るまで着いてくる。無論、家の前まで。
おかしい。こんなんまるで笑われてるみたいやないか。
私はこの時既に、彼の周囲に取り巻く、幾許かの“気の悪さ”を恐れていた。
運命のドラフト
哀しいかな、彼は「プロ野球選手の墓場」と言われる球団に指名され、あろうことかその球団が4球団競合の末、単独交渉権を獲得してしまった。
ライバルの野球星人は、単独指名で野球星人としてもっと大きく育つべく、北の大きな地に羽ばたいていった。
これが彼のミソ。
1つ目は、同い年に野球星人がいた事。
2つ目は、転じて自分は野球選手の墓場に行ってしまった事。
人とは不思議な物で、世間がチヤホヤする方に流されていく生き物でもあれば、それらを風呂場にこびり着いたカビを見る様な目で見てしまう生き物である。
完っ全に私は後者だった。
それは、単に自分自身が風呂場のカビだというのを弁えている上で、それらを見ると反吐が出る様な気持ちになるからである。
自分の事を言われているような気がしてならない。
要は、同族嫌悪である。
しかし、彼には同族を感じても嫌悪は無かった。
同情も、有ろうことか尊敬も。当然侮蔑等以ての外。
「彼は、自分自身なんだ」と、そう思っていると、ある時からそういう風にしようとした。
という風にしか表現しきれないのも、さすがに自己投影は彼に失礼な気がしたから。
他人事じゃない様に思えた。
きっと辛い思いをするというのを、少なくとも彼が阪神に入団するという形で、野球の神様が私自身に釘を刺したから。
2013〜15
私も彼も絶好調!
ルーキーイヤーから数多の高卒新人記録を塗り替えていき(詳細省く)、セリーグ新人特別賞を受賞した彼。
斉藤和巳みたいに1度三塁側を………
インステップでは腰に負担が来るから………
緩いボールを覚えて緩急を…………
出た出た出た、阪神名物「やけにデカい“外野”の声」。
でもそんな中で一つ、「いやそれはアカンやろ」と思った事が。
俗に言う、「キャッチボール拒否事件」である。
2014年春季キャンプの臨時コーチに“20世紀最高の左腕”が来られるという。
色んな人が話を聞きに行きたい中、彼は逆に説法を説かれた(失礼な表現になって申し訳ありません)という。
聞くところによると、キャッチボールは重要やから丁寧にやれとのこと。
確かに、今を時めく「Z世代」の人達が一番嫌がる「伝統」とか「文化」でもなく、それは「基本」なのである。
国語はひらがなから
算数は足し算から
風は海から/岡村孝子
投手はキャッチボールから
万物には順序が存在する。
しかし彼はこう放った。
「いつでもできるので重要視していません」と。
私のプラン通りならば、
ダルビッシュはルーキーイヤー、というより春キャンプインまでに挫折し、涌井も前田健太もルーキーイヤーは体作りに専念しており、田中将大は新人王こそ取ったが2年目は北京の影響もあり9勝止まり。
2年目までに、そうでなくても松坂でも4年目に“色々”あったので、若いうちに何がプロの壁にぶつかる事があればいいなぁ。そこでプロで生きていく術を覚えてほしいなぁと思ってたが、2年目も安定感抜群!…とまでは言わないまでも、あの当時そこら辺に生えてた先発希望のぺんぺん草よりも大きな大きな花を咲かせていた。11勝7敗だったかな?高卒2年目でこれならあの当時の感覚なら立派ですよ。
ていってもパリーグで当時若干二十歳の野球星人はベーブルース以来の二桁ホーマー二桁勝利を達成しているので、なんか奥歯に小松菜が挟まってしもて取れへんみたいな不快感はきっと残ったでしょう。
私も行きました、甲子園のオールスター2014。
アルプス席にいたので、彼と野球星人のキャッチボール、カメラ回すのも忘れて見惚れていました。そこまでは良かった。
プレイボール前にホントに数滴レベルだが小雨が降った。なんか嫌な予感がした。
プレイボールが掛り、登板する彼。
外国人
打者に見たこともない飛距離を飛ばされしってん。
対する野球星人。
たった2球で自己最速を2キロ更新。
悔しかった。
甲子園(ここ)は彼の庭なのに、一瞬で野球星人が征服していった。
悔しかった。バカにされた様な気がした。
あの時と同じ。笑われてる気がした。
彼も、私も。
今が良かったら未来もきっと大丈夫。
そう信じて止まなかったが、得体の知れない何かによって今まさに覆されかねん、という所まで来た、という恐怖感はあった。
そして2015へ…………
〈後半は出来次第〉
最後までご拝読ありがとうございました。
いいねとか拡散とかどうでもいいので、
藤浪晋太郎を暖かく応援してやってください。