第一代神武天皇
日本書紀では皇紀元年(紀元前660年)に即位したことになっている。
しかし、今はそれを信じている人はほとんどいない。神武天皇という名前は淡海三船が後でつけたもの。ほんとの名はサノノミコト。武内宿禰の口伝では。サノは栃木県佐野市のサノのらしい。一般には、「カムヤマトイワレヒコ」。でもこの名は「神である大和の磐余彦」。今では「磐余」は「開闢(最初)」の意味で使われる。一般名詞のようになっている。固有名詞は「サノノミコト」である。
「サノノミコト」は兄の「イツセ」の戦死後に、大和を征服し、「神武天皇」となったことにはなっているが、大和を征服した最初の大和族は「ウマシマジ」であった。
一方、出雲の口伝では「神武天皇」は「アメノムラクモ」。クサナギノツルギの元の名が「アメノムラクモノツルギ」。信憑性がある。
どちらが正しいのか。どちらも正しい。
神武天皇の即位は、武内宿禰の口伝「帝皇日嗣」では紀元後47年~57年。出雲の口伝ではもっと前。少なくとも紀元前。「アメノムラクモ」が大和の大王になったのは、私の計算では紀元前173年。200年以上のずれがある。それは当たり前で、違う人物であるからだ。
開闢の大王は、大和族と出雲族で当然違っている。大和族の最初は当然のことながら「サノノミコト」。一方、出雲族の最初は「スガノヤツミミ」。しかし、「スガノヤツミミ」は出雲の王であって、大和の大王ではない。大和の大王初代は「アメノムラクモ」であった。「アメノムラクモ」は、出雲の王初代「スガノヤツミミ」のずっと後の出雲八代目の王「大国主」の孫であった。「アメノムラクモ」は「海村雲」-「海部」初代であった。
一方、大和族初代の「サノノミコト」は兄「イツセ」「ウマシマジ」のあともう一人の兄の次、四男であった。記紀では「イツセ」「イナイ」「ミケイリノ」の次が「ヤムヤマトイワレヒコ」。「サノノミコト」という名も、「ウマシマジ」という名もない。
なぜか、「サノノミコト」は武内宿禰の口伝のとおり、「アメノムラクモ」よりも新しいからである。大和族の初代大和の大王は「サノノミコト」であったが、「アメノムラクモ」のずっと後であった。