卑弥呼と邪馬台国の真実 複雑系科学と左右神社 土方水月
⓪卑弥呼と邪馬台国の真実~武内宿禰と出雲の伝承から~
複雑系科学と左右神社 ひじかたすいげつ
左右神社
写真は伊弉諾神宮の摂社左右神社。
イザナギが禊をしたときに、左右の目から生まれた貴神という。
つまり、アマテラスとツクヨミのことになる。
写真にも「天照大御神」と「月読尊」とある。
当ブログの「アマテラス」のところでも書いたが、
「天照」は「左右」とも書く。
驚く方も多いと思うが、草書で書くとそうなる。
いや、本当はならないが、
「アマテラス」を草書で書くと「左右」と書いた時と区別がつかない。
結果的に、「アマテラス」は「左右」に見える。
「アマテラス」は「麻氐良須」。
「麻氐良須」は「左右良須」とも書く。
「左右良須」は「左右良布」とも書く。
九州に「左右良布神社」がある。
「アマテラス」を祀る。
「左右良布」の「布」は読まない。
「サユラ神社」という。
「サユラ神社」は「アマテラス」を祀る。
当然といえば当然。
「アマテラス」は草書で書けば、
「麻氐良須」と書いても、
「麻氐良布」と書いても、
「左右良布」と書いたのと同じ。
中内力氏は「日本古代史を科学する」PHP新書784で言う。
『複雑系科学において最初に考えなければならないことは「初期条件の設定」である。これは、数学における「公理」、量子力学における「前提」、法律における「憲法」のようなものである。初期条件が変われば結果も変わる。したがって、初期条件の明確な提示とその解析は、すべての理論展開に優先する。(中略)複雑系科学においては、条件設定そのものが絶対的な意味を持つ。複雑系科学における理論展開が正しいかどうかは、初期条件の設定が正しいかどうかにかかっているといっても過言ではない。(中略)初期条件のあいまいな理論は、どのようにそれらしいものであろうが意味を持たないのである。』と。
氏は文字で書かれた「魏志倭人伝」をもとに語ると言う。
伝承ではなく。
氏の言う「魏志倭人伝」というものもないのだが、
「活字で書かれたもの」自体が当時あったはずもない。
当時は草書で書かれていた。
そのため楷書に書き直すときに書き間違える。
「アマテラス」を「左右良布」に。
「対馬」を「対海」に。
「壱岐」を「一大」に。
そして、
「邪馬臺国」を「邪馬壹国」に。
前提そのものが間違っていては、
どんなにその後の理論展開が「それらしいものであろうが意味を持たないのである。」のである。
昔々の伝承にしかなかった「トロイア」はあった。
伝承もばかにできない。
今もそうであるが、「活字」が正しいという妄想はやめたほうが良いかもしれないのである。
「左右神社」は「眼病の神様」と。
これが正しいはとだれも言えないはず。
それでこんなことに。
すべてがこんなことに。