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卑弥呼の東征 5  土方水月

魏志倭人伝”に「九州にいるかのように書かれた卑弥呼」は宇佐の豊玉姫であった。
 宇佐国造池守公嫡孫五十七世宇佐公康氏著の「宇佐家伝承 古伝が語る古代史」によれば、宇佐家の母系の先祖はイチキシマヒメ(市杵島姫)であったという。
 イチキシマヒメは宗像三女神のひとりといわれ、宗像のアタカタス(吾田片隅)の娘であった。アタカタスは出雲の西出雲王家である神門臣家の分家であった。そのときの出雲の王は第八代大名持ヤチホコ(八千矛)であった。大国主とも呼ばれた。全国の十月が神無月であったときに、出雲だけが神在月であった。全国の国守が出雲に集まるほどに、出雲が時代を支配していた頃であった。

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