忘れられない子どもたち①~さよならのダンス~

主宰している子どもたちとのダンスの場「星のたね」のほかに、児童福祉(主に知的障害・発達障害の子どもたち)の現場でもダンスをやらせて頂いています

まだ私がそういう仕事を始めて間もないころのこと・・・

ある児童福祉の現場で出会ったMちゃんは軽度の知的障害と、とても複雑な家庭事情のある子だった

Mちゃんはとても聡明で、とても優しい子だった・・・と、今ならわかるのだけれど・・・なんと表現すべきかとても難しいのだけれど・・・彼女の周囲の環境から、へんに覚えてしまったのであろう、いやらしさやズルさがみたいなものがあって、そういう部分を当時の私はすんなりとは受け入れがたく・・・100%かわいいと思いきれない、好きになりきれない・・・ところがあった

かわいいと思えることもあったし、音楽やダンスが好きで、私のダンスプログラムを楽しんでくれていることも嬉しかったし・・・でも、それでも彼女を受け入れきれない・・・複雑な気持ちがいつもあった

彼女がその施設に来たのは、少しでも環境が改善されるように、少しでも保護者が福祉の場と繋がりをもてるように、少しでも彼女が環境のよい場で過ごせる時間をもてるように・・・ということだったのだと思う・・・けれど、様々な人の尽力も及ばず、状況がよくなることはなく、それからしばらくして、その家から、地域から、Mちゃんは離れることになった

・・・と私が知らされたのはもう彼女の今後が決まって、その施設に来られるのも残りわずか、となった時だった

その少し前のこと・・・結果的にはその日が彼女にとって最後のダンスプログラムだった日・・・途中までは楽しく踊っていたのに、急に・・・場を乱すような態度をとりはじめ・・・今ならもう少し違う対応もできたかもしれないが・・・とにかく、その時、私は彼女に対して全くいい接し方ができなかった。その日が最後のダンスプログラムになるとは知らなかった・・・とはいえ、そんなこと以前に、そもそも彼女に対する自分の態度や感情自体がね・・・。もやもやするものだった。自分自身に。

で、その数日後に知った彼女の今後のこと・・・もう、ただただ後悔

最後のダンス・・・もっとその時の彼女を受けとめてできることがあったのではないか?・・・あんなにダンスを好きでいてくれていたのに・・・私はあれでよかったのか?・・・

彼女のこれからが決まってからの日々は、それまで以上に・・・今思い出してみても、彼女にとってあまりにも切なく、見届けるしかない大人たちにとってはなんともやるせない日々だった

そして、彼女がその施設で過ごせる最後の夜・・・ほかの子どもたちが帰って、彼女だけが残った。たまたま私もその日はその施設に遅くまでいた

・・・そのとき

彼女は私に一緒に踊ろうと誘ってくれたのだ

彼女が動画で好きな音楽を選んで、2人で踊った。阿波踊りとかフラメンコとか、とにかくなんでもありで、時間の許す限り2人で踊った

彼女とのラストダンス

そして、・・・この時間によって私は救われた

彼女の赦しのように感じた・・・

翌日、彼女はいろいろ受け入れて去っていった

すごいよね・・・

そんなことできる?・・・できないよね・・・小学4年生だよ・・・

彼女とのダンスで救われたのは、私の方だった


彼女とのこの出来事は今も私の中で、ある種の重石のような役割をしてくれている。たとえ経験値が増えて、なにかができるようになったような気がしても、ちゃんと地に足がついていられるように。大切なことを見失わないように。


あの当時、かわいいと思いきれなかった彼女のことを、今は愛おしく思う

どうかあなたを心から愛してくれる人と出会えていますように

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