忘れられない子どもたち②~40分の交流~
「おれ、こんなに優しくされたの初めてだ・・・」
たった40分の体験学習が終わったあと、友達にそう語っていた
と、同僚のスタッフが教えてくれた
もうずいぶん前になるが、地元の公立小学校の6年生の体験学習のスタッフをしていたことがある
市内の6年生が4~6月の間に毎日毎日2,3校ずつやってきては体験学習をするのだけれど、毎年毎年4000人くらいの6年生に接する、という機会はなかなかないもので、私にとっても、とても貴重な経験だった。体験内容が3つに分かれていたので、それぞれの体験時間は40分程度なのだけど、その40分の中にいろいろなものが垣間見え、とてもおもしろかったし、いろいろなことを考えるきっかけをもらったと思う
学校ごとの雰囲気の違い、地域による違い(やっぱりあるんだよなあ・・・)、クラスごとの雰囲気の違い、同じ学校でも前年度との違い、先生による違い、校長先生や教頭先生による学校の雰囲気の違い(意外と影響があるのだと感じた。多分、職員室の雰囲気に関わってくるのではないだろうか)・・・等々、同じ市内なのによくも悪くもこんなにも違うんだ、と明らかにわかるほどの違いが見えたし、どんな学校でどんな先生や同級生に巡り合えるか、も運なのかなあ・・・と・・・なんかなぁ・・・と考えてしまう部分もあった
とにかく“大人と子どもの関係性”というものを目の当たりにする日々だった
そう・・・関係性なのだよな・・・
たった40分の中にも多くの関係性のドラマが見えた
その中でも特に印象的だったのが、冒頭の少年のこと
ある学校のあるクラス、男の子3人組。先生の扱いや他の子どもたちの感じからも、彼らは問題児扱いなんだろうな、というのは見ていてもなんとなくわかった
その時、私が担当していたのは弓矢体験で、悪ふざけしながらやったり、やり方を間違えると危険もあるので、ふざけがちなその子たちのグループのなんとなく近くにいるようにしていた
で、時々声をかけたり、うまくできていないときは少しコツを教えたり
まあ、たしかにやんちゃなところはあったけど、ちゃんとコミュニケーションもとれたし、かわいいところもあって、なんだかんだワイワイやりとりしながら楽しく弓矢体験して、終わるころにはずいぶん仲良くなっていた
で、その体験が終わった帰りがけにそのやんちゃ3人組の中でもリーダーっぽい少年が、ほかの子に言っていたのが冒頭の言葉だ
「おれ、こんなに優しくされたの初めてだ・・・」
私も同僚スタッフも彼らに対して「特別に」優しく接したわけではない
目の前の彼らに対して、当たり前のやりとりをしただけだ
彼らの投げかけに対して、普通に、そして楽しく対応していただけだ
でも、彼は「こんなにやさしくしてもらった」と感じた。
どういうことか?
こんな些細な普通のやり取りさえ、普段はほとんどされていないのか?どこでも問題児という視線でしか見られていないのか?普段、まともに彼と会話してくれる人はいないのか?
どういうこと?
たった40分の中で、接せられ方の違いを感じる彼は、多分感受性が豊かな子なのだろう
そして、自分が普段、大人たちからどんなふうに見られているかもよくわかっているのだろう
(どうせおれは問題児なんだろう?なにをしたって、そうとしか扱ってくれないんだろう?)
そんな風に感じていたのかもしれない・・・うん、そりゃあ問題行動も起こすよね・・・
40分の中でなにかを感じ取って、友達にもそれを伝える彼はとても素直でピュアなのだと思う
だからこそ、なのだ。
近くのだれかが気づいてあげてほしい、そのことに。
それだけでも素直になれる力を彼は持っているのだと思う
私たちはたった40分一緒にいることだけしかできなかった
あとは何もできない・・・と知る経験でもあり、
でも、たった40分でも目の前の子と一緒にいることができるんだと知る経験でもあった
あれからもう8年経つ
わあ、もう成人か・・・
どんな大人になっているだろう
あれから「優しくされる」経験がいっぱいできているだろうか
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