私にとっての「踊る」と震災
実際に踊りを「習う」ことになったのは様々な事情で8歳からだったけれど、うっすら記憶のある3歳の頃にはすでに踊りをやる、と決めていた
きっかけはなんだったのだろう。全く覚えていない。なにか見たのかなあ。
いつから踊っていたのだろう
母曰はく「お腹の中でも踊ってた」(よく動いていたらしい)
ずっと踊ってきたし、ずっと踊っていくのだろう
自分と踊りはそういうもので、分けるとか選ぶとかそういう次元のものではないようだ
でも、そうなのだけど、踊ってきた中であえて踊りを「選びなおす」ようなそんなことは何度かあったように思う
踊っていくことは決まっていたけれど、それでもそれをしないと先に進めない、というようなこと
10年前もそうだったのだろう
ずっと踊りは踊ってきたけれど、はっきり言ってバレエは全然うまくいかなかったし、コンテンポラリーダンスも全然うまくいかなかったし、挫折ばかりだったけれど、それでも「踊る」ということそのものには関係なかった(もちろん感情的にはその都度いろいろあったけれど)
でも10年前の震災後の自分は今までに経験したことのないものだった
踊ることがまったく肯定できなくなっていた
びっくりした
踊る機会も頂いていたし、踊ってもいた
でも踊っているのに踊れなかった
特に震災の追悼とかチャリティーとかの類の場で踊るのが一番しんどかった・・・しんどかったというか、そういう場が一番その時の自分の裡の状態と乖離していたというか、嘘ついているような感じというのか、そんな自分はこの場にふさわしくないんじゃないか・・・いろいろな感情がぐるぐるしていた
ちなみにこれはそういう場を否定しているわけでは全然なくて、あくまでも自分がその時どうだったか、という話(今はまたその時とは全然違う)
自分が踊ることを全然肯定できてもいない状態なのに、なに震災の追悼とかチャリティーとか言って踊ってるんだよ、自分・・・みたいな感じかな
そのときはそこまでわかってなくて、なんなら踊りを肯定できていない、ということすらも自分ではわかっていなかった
震災から少し経ったある稽古の時にその当時師事していた師と仲間たちと自分たちが今やることは何なのだろう、という話になったことがあった。師はそのとき「なんにもならないけれど・・・それでも踊りを踊ること」と言っていた。そう、私もせめてそう思えたら、と思った。せめてそう思いたい、と思った。そう思いたかった。思おうとした。・・・でもそうとすら思えない自分に絶望した
そんな状態が約2年くらい続いた・・・とわかったのは2年経ってからだった(その間も公演はあったし、踊ってはいた)
2013年、私にとってささやかで、でもとても大きな出来事があった。それを経た時「あれ、私踊れるようになってる!」と同時に「あ、私2年間踊れなくなっていたんだ!」と気付いた
そのできごとについてはまた次に書こうと思います