見出し画像

恋をするのが怖いのは

吉玉サキさん@saki_yoshidama)の恋愛エッセイが好きで、最近は読むのを楽しみにしている。

吉玉さんのエッセイは、恋愛指南やアドバイスといった類のものではない。正直に言ってしまうと、読めば恋愛がスイスイ上手くいったり、モテる方法を学べたりするタイプの記事ではない。でも、私はとても好きだ。恋愛のあれやこれやの、言葉にできない気持ちをそーっと指でなぞってくれるような、悩みやモヤモヤに歩幅を合わせ、隣に並んでゆっくり歩いてくれるような、そんな心地を覚える。

noteではないが、先日、吉玉さんが書かれた上記の記事を読んだ。とても面白かったのだが、特に冒頭のフレーズが気に入って、頭から離れなかった。

どんなに気をつけていても、予防対策をしていも、風邪を引いてしまうことがある。恋もそれと同じで、自分の意思でコントロールできるものではないのかもしれない。

私はもともと、恋愛が得意なほうではない。得意ではないというか、上手ではないのかもしれない。自分の周りには、恋愛体質で常に恋人が途切れない人や、楽しそうに恋愛話をしてくれる人もいる。私は、いつも彼ら・彼女らより、一周も二周も遅れをとっていたような気がする。

私は、恋愛を毛嫌いしているわけでも、恋人が欲しくないわけでもない。でも、「恋したい!」と積極的になったり、それに伴う行動を起こしたことが、今までとても少なかったと思う。なぜか?

今ならわかるが、それはきっと、恋をするのが怖かったからだ。

世の中には、「意図的に恋をする人」と、「図らずも恋に落ちてしまう人」がいると思っている。

前者は、たとえば、恋をするために相手を探し、能動的に恋をしようとする人・それができる人だと思う。合コンに参加したり、友達に「誰かいい人いない?」と持ちかけたり、最近だったら、マッチングアプリや街コンなどのイベントに出かける人もいるだろう。そうして運良くいい人がいれば、照準を定めて恋愛のモードに入っていく。

後者は、前者のように能動的な行動をせずとも、不意に落とし穴に引っかかったように恋愛のモードに入ってしまう人だ。文字通り、「恋に落ちる」のである。恋の引き金がいつ引かれるか、当人もその瞬間までまったくわからない。だから、予想もつかなかった人を好きになったり、不運にも当人にとって都合の良い相手ではなかったりすることもあるだろう。

私は完全に後者のほうで、恋に落ちてしまうタイプだと思っている。いつも突然恋に落ちる。「よし、恋愛をするぞ」と意図的に恋をしようとしても、まったく気持ちが付いて来なくて、クソほど面白くない。もしかすると、理性のはたらきが少ない、感情人間なのかもしれない。

「恋は盲目」とか言うし、恋をしているときの人間は、普段とどこか様子が違う。まさに恋は風邪と同じで、自分の意思ではコントロールできないのだ。

私は恋をしていない時間の方が圧倒的に多い人生だったので、恋をするとまさしく、ひどく風邪を引いたときと同じような状態になってしまう。どんなに気を紛らわそうとしても、ヒリヒリと喉が痛んだり、ズルズル鼻水が止まらなかったりする、煩わしさが常に心身につきまとうそれと同じだ。どんなに気を紛らわそうとしても、頭の中では常に相手の顔が浮かんでしまったり、自分の振る舞いや言動がいちいち気になってしまったり、つまらないことで一喜一憂して精神をすり減らしたり、そういうものである。

風邪で身体を壊してしまうのと同じで、恋をしているときの自分も、普段の平坦な精神状態と比べると幾分か壊れた状態になるのだ。

昔の私が恋愛をしたがらなかったのは、きっと壊れた状態の自分がとても気持ち悪く感じて、嫌だったからだと思う。(完璧主義な部分があったから。)特定の人の前で動悸が早くなったり、喋っただけで耳がカァーッと熱くなったり、不意に脳裏に浮かぶ顔を必死で払いのけようとするあまり、夢にまで出てきてしまったり。そういう、いつもと違う「壊れた」状態の私になっていくのがなんだか恥ずかしくて、気持ち悪くて、そして何より怖くて、恋をしているときの自分が嫌いだった。

昔はそうやって、無意識のうちに意地を張って、壊れないように、壊れないように、とやってきた。だから、恋を避けてきた部分もあると思う。

でも、その頃より成長してから一度、すごく恋愛をしたなあと思う出来事があった。そのときは自分でも気づかなかったが、今思い出すと完全に壊れていた。良い意味でも、悪い意味でも。風邪どころかインフルエンザで、今思い返すと笑ってしまうくらいだ。自分は恋愛をすると、こんなふうに壊れちゃうことがあるんだなあ、と思った。(そしてそれは、いい教訓にもなった。)もう終わってしまった恋だが、とびきり甘くて、ゲロが出るほど苦かった。でも、とても楽しかった。

どんなに気をつけていても、風邪を引いてしまうことがある。恋も同じかもしれない。

友達の紹介も、マッチングアプリも全然上手く行かなかった私はたぶん、意図的に風邪を引いた状態になるのが難しいからだと思う。

「この人、いい人そうだから試しに好きになってみよう」とか「あまり気が合わないけど、頑張って話を合わせていけばいいかな」とか、そういうのは、難しい。壊れたフリをする自分ほど、ぎこちないものはない。ウイルスを詰め込んだ弾丸で不意に脳天をぶち抜かれないと、私は風邪を引くことができない。私にとって、恋愛はそういうものだと、最近やっと理解した。

まともだった自分がちょっとずつ壊れていくのを認めるのが怖くて、昔は恋をするのがとても怖かった。でも恋は、壊れてしまった自分を認めることから始まると、いまは思う。そして恋は、壊れていく自分を静かに観察することでもある。

風邪を引くのは仕方がないと理解したいまの私は、自分が少しずつ壊れていくのを感じることもまた、恋愛の楽しみの一つに加えることができる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?