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ゴールデンウィークに取り残されて|5月6日(月)のランゴリアーズ
《ビリリリリリ》
スマホのアラームが、けたたましい音を立てて鳴る。
布団から手を伸ばし、畳の上でブルブルと振動するそれに指が触れる。僕はスマホをひっ掴み、細く開いたぼんやりとした視界から時刻を確かめる。
5月6日(月)09:37
はあ、と声混じりにため息をついて、僕はスマホをごろんと畳の上に放り投げる。目を閉じて、布団の中にすっぽりとくるまって、再び暗闇の世界を全身で堪能する。
時刻の(月)の文字は、本来の黒色ではなく赤色をしていた。今日はゴールデンウィークの最終日だ。
国民が見守った一大イベント、平成から令和への改元がおこなわれた2019年のゴールデンウィークは、4月27日(土)から5月6日(月)までの10日間に及ぶ異例の長期休暇となった。突然の大型連休に日本国民は泣いたり笑ったりである。
僕は、どちらかといえば“泣いたり”と“笑ったり”では後者の方で、長い休みにウキウキだ。仕事のことは一切考えず、存分に羽を伸ばせるお気楽さに飛んだり跳ねたりである。
しかしまあ、そんな休みもあっという間に過ぎ去り、いつしかゴールデンウィークは最終日に辿り着いていた。くるまった布団の暗闇、その静寂の奥の奥から、だんだんと不穏な音が近づいてくる。
カタカタカタカタカタ パソコンのキーをひっきりなしに叩く音....
シャーシャーシャー 大量の印刷物がとめどなく吐き出される音....
ガリガリガリガリガリ ボツをくらった企画書をシュレッダーにかける音....
はあっと大きく息を吐き出し、僕はガバリと勢い良く上体を起こした。カーテンを開けっ放しにしていた窓から、まぶしい日の光が目に飛び込んで矢のように刺さる。さっきまでの音は、止んでいた。
ピコン、と通知音が鳴った。畳の上に転がるスマホを掴み、画面を確認する。
受信日時:5月6日(月)09:53
タクミ:今日、ヒマー?GWのシメに飲もうぜ!
*
その夜、僕はタクミと夕食を共にした。タクミは中学の同級生で、家も近いので昔からちょくちょく会っている。タクミとの夕食は、食事よりも酒がメインディッシュだ。
「はあーあ、今日でゴールデンウィークも終わりかあ。明日から仕事かよぅ」
飲み干したビールの中ジョッキをテーブルに置きながら、タクミは眉の下がった情けない表情で漏らした。
「そんなこと、今は言わないでくれよな。その現実を忘れるために、こうやって飲んでるんじゃないのかよ」僕は言った。
タクミは口をへの字にしながら僕に目をやり、それから空になっているジョッキを持って頭をもたげ、ジョッキの底に溜まっていた泡をずずずと下品に吸った。完全に泡がなくなったジョッキをごつんとテーブルに置くと、タクミは今度は何かを思いついたのか、奇妙な顔で僕を見直して言った。
「おまえ、“ランゴリアーズ”って知ってるか?」
「は?」僕はピザのかけらに伸ばしかけていた手を止めて、“はてな”の表情を浮かべた。
「“ランゴリアーズ”だよ、読んだことないのか?スティーブン・キングの」
「タクミが前に薦めてきたやつだろ」
スティーブン・キングは、米国の作家だ。映画化もされたスリラー小説の“シャイニング”、“IT(イット)”、“キャリー”、それから名画“スタンド・バイ・ミー”の原作小説などでも知られる。“ランゴリアーズ”は、彼の書いたSFホラー中編のひとつである。物語のあらすじは、夜間飛行中の旅客機に乗り合わせていた乗客のうち数名が、“何らかの理由”によって正しい時間の流れから外れてしまい過去に取り残される。そして原因を突き詰めて過去からの脱出を試みる、といった次第である。
「読んだことあるけど、それが何なんだよ」僕は言った。
「おれ、思うんだけどさ」タクミはにやりと笑い、さっきまでの情けない表情とは裏腹に目を輝かせながら、テーブル越しに体を前のめりにした。
「4月30日から5月1日に変わるとき、平成から令和になる瞬間さ、テレビとかネットとかでカウントダウンが始まったじゃん。正月でもないのにさあ。おれ、それ見てすごく怖くなったんだよね。まさか改元でカウントダウンするなんて思ってなくてさ、おれ全然気持ちが追い付かなくて。自分だけ時間に取り残されてるみたいで、変な感じだったよ。」僕はうんうんと頷いた。確かに今回の改元は正月みたいに盛り上がっていて、僕自身も驚きを隠せなかった。タクミは濡れた目を光らせながら続けた。
「でさ、5月1日に日付が変わるまで『あと10秒!』ってなったとき、思ったよ。おれだけこのまま平成に取り残されたらどうしよう、おれだけ令和への時間の流れに乗れずに、時間の裂け目みたいなのに引っかかっちゃうんじゃないかって、怖くなってさ。目つぶっちまったよ、ハハ!」
僕はビールを一口飲み、自分で自分の話に大笑いする目の前の男を見ていた。タクミは酔うといつも、妙なことを考える。こいつは大体、普段からSF小説やホラー映画の摂取過多なんだ。
「それが、“ランゴリアーズ”みたいだったって、言いたいのかよ」
タクミは僕の言葉を聞くとうれしそうに手をパシパシッと叩いて言った。「そう!“ランゴリアーズ”みたいに!おれだけ過去に取り残されるんじゃないかと!思った!」タクミは笑いがある程度おさまると、顔を赤らめながら続けた。
「でもよ、今日はゴールデンウィークの最終日なんだ。おれ、今夜は“ランゴリアーズ”現象がこの身に降りかかってもいいと思ってるよ。むしろ願ってる!このまま一生、ゴールデンウィークに取り残されちゃったら最高だよ、そうだろ?」
タクミはまるで、世紀の大発見をお披露目する学者のように嬉々として話した。コイツは時々おかしなことを思いつくが、僕も今回だけは、彼の発見の恩恵にあずかれるなら願ったりだ。大きな声で店員にビールのお代わりを注文するタクミを眺めながら、僕は頭の奥の方で今朝聞いたあの音たちが少しうずくのを感じた。
*
その後、調子に乗ったSF野郎は二軒もハシゴを要求し、帰る頃にタクミはべろべろに酔っていた。僕はいつものことだから慣れっこだ。自宅から10分ほどの場所にあるタクミの実家まで酔っ払い男を届けると、タクミの母親が出てきた。僕は母親から、いつもごめんねえ、とポンカンを二つ受け取った。ポンカンと一緒に添えられた母親の眉の下がった情けない笑顔は、飲み屋で見たタクミのそれとよく似ていた。
僕は一人暮らしのアパートに帰り、もらったポンカンをキッチンテーブルに置いた。時刻は23:20。明日は仕事。このゴールデンウィーク中ずいぶんと優雅な朝を過ごしてきたので、明日いきなり定刻に起きられるか自信がない。今夜はもう早く寝よう。
さっとシャワーを浴び、歯を磨き、着替えて布団に入る。アラームをセットするために枕元に置いたスマホに手を伸ばす。暗闇にパッと浮かんだ画面が5月6日(月)23:58を指していた。
これが5月7日(火)00:00になる瞬間を、今はまだ見たいと思えなかった。休日に身を置いている時間を、できるだけ長く感じていたい。たとえ、実際は2分後にすでに平日を迎えているとしても。
時刻が23:59に変わった。すると今朝のあの不穏な音たちが突然、部屋中の家具の物陰から姿を現して僕に向かって駆け寄ってきた。
カタカタカタカタカタカタカタ....
シャーシャーシャーシャーシャー....
ガリガリガリガリガリガリガリ....
僕はスマホを放り出して、布団にもぐった。来るな!来るな!来るな!
ふいに、タクミの声がした。
「このまま一生、ゴールデンウィークに取り残されちゃったら最高だよ、そうだろ?」
「ああ、最高さ」僕はかすれた声で呟いた。
*
《ビリリリリリ》
スマホのアラームが、けたたましい音を立てて鳴る。
布団から手を伸ばし、畳の上でブルブルと振動するそれに指が触れる。僕はスマホをひっ掴み、細く開いたぼんやりとした視界から時刻を確かめる。
09:37
やばい!僕は布団を蹴っとばして飛び起きた。遅刻だ。やばい遅刻だやばいやばい....最悪だ!ゴールデンウィーク明けがこれか!
僕は慌ててスーツを着、頭はくしゃくしゃのまま、家を飛び出した。アパートの階段を駆け下りる途中、大家のカワイさんホウキとチリトリで掃除をしている後ろ姿が目の前に現れ、僕はびっくりして止まった。
「おやおや、おはようございます。そんなに慌てて」カワイさんはゆっくり振り返ると、びっくりした様子で僕を見た。
「おはざっす.... ちょっとあの、急ぎで....」ああもうジイさん、そこをどいてくれ!
カワイさんは目を細めて言った。「世間はお休みなのに、お仕事ですか?大変ですねえ、ご苦労さん」
僕は自分の心臓が飛び上がり、あばら骨にぶつかりそうになるのを感じた。「おやすみ?お休みは終わったんですよジィ.... カワイさん」
「おやおや、もう休みボケかい、気が早いんじゃあないか。今日はまだ6日、祝日ですよぅ」カワイさんはそう言うと、僕のくしゃくしゃの頭をちらりと見上げた。
僕は口をぱくぱくさせ、カワイさんのジイさんの言っていることがまったくわからない、と言わんばかりの顔をした。その時、ピコン、とポケットの中でスマホが鳴った。やべっ、きっと部長だ。震え汗ばんだ手でスマホを取り出すと、新着メッセージが一件届いていた。
受信日時:5月6日(月)09:53
タクミ:今日、ヒマー?GWのシメに飲もうぜ!
は?と思わず声を上げた。受信日時、5月6日(月)。今日は7日で火曜のはずじゃ....
カワイさんはほほほと笑いながら、階下へと降りていった。朗らかな声を背に汗びっしょりの僕は、待ち受け画面に戻ってもう一度入念に日付を確認する。
5月6日(月)
(月)の文字は確かに、今日が休日だと示すおめでたい色をしていた。
*
それからというものの、僕はゴールデンウィーク最終日、2019年5月6日(月)を何度も何度も繰り返し過ごした。
毎朝09:53、タクミから例のメシの誘いメールが届く。そして、もう四回はその誘いに乗っている。ある日は居酒屋、ある日はビアガーデン、またある日はワイン・バーへ。どんなに二日酔いになっても、羽目を外しても、“僕の”翌日には何ら影響がなかった。
時にはタクミの誘いを断って、一人で映画を観に行ったり、少し遠めの温泉へ出かけたり、女の子を食事に誘ったり、はたまた何もせず家でゴロゴロしたりもした。それでも、“僕の”翌日は変わらずにゴールデンウィーク最終日の5月6日(月)、もちろん曜日は赤色だ。
“ランゴリアーズ”。僕はゴールデンウィークに取り残された。
*
もう何十日経ったのだろう。あんなに願った休日だったが、そろそろ過ごし方に限界が出始めているのを自分でも感じていた。同じ日を何度も何度も繰り返すと、さすがにマンネリが顔を出す。ずっと休日に閉じ込められていていたら、自分はこのままどうなるのだろう?
それに、別の不安も生まれてきた。この休日が突然、何の前触れもなく終わりを迎えたら?ある朝目が覚めて時計を見ると、7日(火)の平日になっていたら?そんなに突然現実を受け止められる自信、僕にはない。だって平日になったら僕は....
そう思うと、僕は自然と夜中に何度も目が覚めるようになった。寝つきが悪く、ゴールデンウィークだっていうのにまだスマホのアラームが鳴る前に目が覚めて、時刻を確認するようになってしまった。そして、昨日とまったく変わらない5月6日(月)の時刻表示を見て、言い表せない不安が喉を詰まらせるのだ。
ついに、これだけ休んだので、一日くらい早めに仕事に出てもいいんじゃないかと思い始めた。出社してもどうせ休日出勤だ、のんびりのんびり仕事に戻ればいい。そう考え、思い切って部長に電話した。しかし、
「うちはホワイト企業めざしてるんだから、一人だけ休日出社はちょっと、ね.... 第一、ゴールデンウィーク中は節電のために電力を完全に切ってあるんだ、PCもプリンタも動かないし.... 仕事したい気持ちはわからなくもないけど、明日まで待ってくれない?ゆっくりしなよ」
部長の言う“明日”が僕の元にやって来ることはなかった。
*
とある6日(月)、僕は七回目となるタクミとの食事に出かけた。タクミはハイボールを一気にあおると、またあの話をした。
「おまえ、“ランゴリアーズ”って知ってるか?」目をキラキラさせて意気揚々と話す彼を、僕は終始黙って見ていた。「このまま一生、ゴールデンウィークに取り残されちゃったら最高だよ、そうだろ?」
もう、うんざりだ。
『それ、そんなにいい話でもないと思う』
僕は、その声がどこから発せられたのか探そうとした。しかし、目の前の酔っ払いの怪訝そうな顔を見てはっとした。僕自身の口から飛び出した言葉だった。
『過去に取り残されるって、大変なんだぞ。僕はもう十分だ』
タクミは、うつろな赤い目でぽかんとし、意味がわからないと言いたげな顔をした。そしてすぐにガハハと笑い、ハイボールお代わりぃ、と大きな声で店員を呼んだ。
*
べろべろのタクミを送り届け、僕はアパートに帰宅した。ポンカンを二つキッチンテーブルに置き、シャワーを浴びて布団にもぐりこんだ。暗闇が身体を包む。
もうこんなのたくさんだ!平日が来るのは、確かにあんなに怖かった。だが、こんな狂った毎日が続くくらいなら、もとの生活に戻る方がマシだ。
その時、頭の奥の方から、あの音がうごめき始めた。いつのまにかすっかり忘れていた、あの音たち....
カタカタカタカタカタカタカタ....
シャーシャーシャーシャーシャー....
ガリガリガリガリガリガリガリ....
部屋中に潜んでいたそいつらが姿を現し、ばたばたばたと足音を立てて僕の布団めがけてやって来る。もう、布団のすぐ外まで近づいている。ああ、もういいさ。来いよ。来いってんだ!
「このまま一生、ゴールデンウィークに取り残されちゃったら最高だよ、そうだろ?」
僕は涙まじりのかすれ声で叫んだ。「そんなわけあるか!!この」
*
《ビリリリリリ》
スマホのアラームが、けたたましい音を立てて鳴る。
布団から手を伸ばし、畳の上でブルブルと振動するそれに指が触れる。僕はスマホをひっ掴み、細く開いたぼんやりとした視界から時刻を確かめる。
5月7日(火)09:37
僕は飛び起きた。5月7日(火)。曜日の色は、黒。
やった!7日になってる!僕は抜けた!ゴールデンウィークを抜け出した!
僕は両手を振り上げ、大きな声で雄叫びをあげた。やっと、ゴールデンウィークを抜け出したんだ!
あの日々は果たして、現実に起こっていたことなのだろうか、それとも僕は、長い長い夢を見ていたのだろうか。キッチンテーブルにはポンカンが二つ置かれている。僕が本当に過ごした5月6日(月)は、どの5月6日(月)だったんだろう。
だが、そんなことはもうどうでもいい。いま確実に言えることはひとつ、それは....
ピコン、とスマホの通知音がした。僕はどきりとして、なま唾を飲み込んだ。恐る恐るスマホの画面を開くと、新着メッセージが一件届いていた。
受信日時:5月7日(火)09:42
部長:いま何時だと思ってるの?起きてますか?
僕は思わず吹き出した。そう、あの5月6日(月)の日々が夢だったか現実だったかは、わからない。ただ、いま確実に言えることはひとつ。それは、僕がゴールデンウィーク明けに盛大な遅刻をしているのに、あほみたいに笑っているということだった。