何でもシェアできる時代だからこそ
「趣味は映画鑑賞です」と言う人を「安直だ」と思っていた、そんなかつての自分を張り倒したいくらい、私はいま映画にはまっている。
知らぬ間に会員になっていたAmazon Primeの特権を使わないのはもったいないなと思い、プライムビデオで映画を観るようになった。それまでの私は、映画は気に入ったものだけを、セリフを覚えるまで繰り返し観るタイプの人間だった。でも、インターネットでたくさん映画を観られるようになってから、映画の面白さがだんだんとわかるようになってきた。いまは映画鑑賞が趣味になりつつある。
私の身近には映画ツウな人がいて、最近はおすすめの映画をピックアップしてもらったり、教えてもらった映画の感想をおしゃべりしたりして、私はそれがとても楽しい。
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先日ものすごく久しぶりに、映画館へと足を運んだ。その日は一人で行ったのだが、映画が始まるまで30分ほど時間があった。何もしないのは退屈だけど、何かをするのには少し時間が足りなさそうだ。映画館のそばをうろついていると、カフェバーを見つけた。
カフェバーを覗いてみると、看板に「当店のメニューは映画館にも持ち込めます」と書いてあった。ちょうどいい、助かった。ビールをちびちび飲みながら時間を潰して、そのまま映画館に持ち込めばいい。
冷えたビールを飲みながらふと、映画ツウのあの人もこのお店を知っているだろうか、と思った。もう知っているかも、でも知らなかったら、教えてあげたいな。
無意識に手に取ったスマホは、Twitterの画面を開いていた。ビールの写真を撮って、お店のURLを載せて、「こんな場所があるの、みんな知ってた?」とひと言添えてシェアする。そんないつもの流れが頭の中で再生された。
だって、いまの時代はそうやって"シェアする"のが普通だ。
でも私はその時、シェアしなかった。
私は、面白い映画を教えてくれるあの人にお店を教えてあげたいと思ったのだ。べつに、みんなに教えてあげたいわけじゃない。私が発見したとっておきの情報を、誰にでもやすやすとシェアしてたまるもんか。
ビールのせいでぼうっとし始めた頭の中で、そんな子供っぽい考えがぐるぐると駆け巡った。
そういえば私が最近足しげく通っている喫茶店も、まだ人には教えていなかったな。SNSや位置情報アプリで「ここにいるよ」とシェアしようと思えばできるのに、しなかった。お気に入りの隠れ場所がばれたら、そこはもう隠れ場所ではなくなってしまうからだ。とある親しい友達だけが、私が疲れるとそこに入り浸ることを知っている。まるでマフィアが集う巣窟のようだ。私は小学生のように、なぜかそれを気に入っている。
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情報もアイデアも発見も、何でも簡単に、大衆にシェアできる時代になった。だからこそ、"シェアしない"の価値は高くなっているのではないだろうか。自分しか知らないこと、二人のあいだの秘密、仲間同士の内緒話。"シェアしない"ってとても貴重で、尊くて、恐ろしいほどに価値があるのかもしれない。(それがマイナスにはたらくと"弱みを握る"とか"独占"になってしまうのだろうけど。)
何でもシェアできる時代だからこそ、とっておきの情報は特別に取っておきたい。そんな"いじわる"を考える瞬間があっても、いいよね?
きみには、教えてあげないんだから。
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