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雑談苦手民

あらやだ奥さんったら、そんなに扁桃腺を腫らして

タイトルのとおりである。
雑談が苦手なのだ。
いや、ちょっと待って欲しい。雑談が苦手とはどういうことだろうか?
そもそも「雑」談というからには緻密な話ではいけないのではないか?
ぼくのようなものは基本的に綿密に計算されつくした話をいやがおうにもしてしまうので雑談ができないのである。

ほら苦手だろ?
上記みたいなこと普段からグチグチ考えているヤツと雑談なんかできますかっつー話よ。考えてみてごらんなさい。
最近気づいたのですが多くの人って話にオチを求めていないらしいのですね。ぼくからしたら恐ろしいことこの上ない話なのですけれど。
雑談というからには気の抜けた肩の凝らない話が求められており、聞き手もすぐに話し手に回れるような言ってしまえばどうでもいい話題である必要があるんですね。

たいていの人間は自分の話をしたい。誰かに自分の事を聞いて欲しい。特になんてこともない話に興味を持って欲しい。ありのままの自分をみて欲しい。そんな欲求があるんですね。
たまに、そんな欲求があんまりない人がいる。
自分の事なんて話したくない。
自分の話なんて面白いはずがない。
雑談が苦手って人は多分そんな人が多いはず。(ぼくもそうなんです)

そういった人たちに対して雑談上級者はこんな風に言います。
「自分の話が面白いかどうかなんてどうでもいいよ。ただただ話していること自体を楽しめればいいじゃない」
わかる。わかるよ。
陰キャに優しい陽キャはそんな風に手を差し伸べてくれるわな。

でも、ごめん。
こちら側がつまらないと思ってしまうんだ。
特に内容のないそんでもってちょっと思想強めの自分語りとか、ただただ雰囲気だけの声が大きい誘い笑いの強めオチ弱めのエピソードトークとか。
そんなを延々とされたら正直参ってしまう。立場によってはさえぎることもできないのでただただ心を殺して聞き流すしかない。そしてそういう話をしてくる輩はたいてい空気が読めない。
そうするとトラウマレベルで人との会話が嫌いになるのです。(高校時代にそういうやつがいてめちゃくちゃ悩んでました。話が下呂吐くほどつまらなかったT君。元気にしていますか?)

そういうことを考えてしまうと、自分の話も相手にとってつまらないものではないだろうかと思ってしまい雑談する気持ちが萎えてしまうのです。
つまんない話をするくらいなら黙っとけってね。

相手の話が面白くないのであればこちらが上手いこと突っ込んだり誘導したりして面白くすればいいのかもしれません。
そんなスキルねえよ。
仮にあったとしても、それをするのって結構疲れるんですよね。
最終的に相手が気持ちよくしゃべり終えるころにはこちらがへとへとになっていたりするのです。
そういうことが続くと、本当に大切な人だけにエネルギーを使いたいなと思うようになってくるのです。

さて、雑談が苦手という人でも全方位に苦手という人はあまりいないと思います。仲のいい友人とならいくらでも捧腹絶倒のおしゃべりを繰り広げられる、なんてよくある話です。
かくいう雑談苦手東日本代表を自負するぼくも、大学時代に友人たちとファミレスで21時間ほどおしゃべりしたり夜のキャンパスで延々と歌を歌いながら語らったり、河原で芋煮の場所取りをしながらドラゴンボールの話を延々とし続けたりしたことがあります。
結局話下手なんて相対的なものです。
自分が心地よく会話できる居場所があればそれでいいんではないですかね。

ぼくはいまそれが無いのでめちゃめちゃ気持ちが沈んでいるんですけど。

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