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憧憬 秋の川へ
めったに何かを書き込むことのないカレンダーに、その日だけは忘れずに記された見落とさないための赤丸。
今年もまた、その日がくる。
記憶に追いつくように車を走らせる。
だんだんと早くなる夕暮れに急かされるように、意識だけはもう川辺へ飛んでいく。
杭のごとく川に立ち込み、ウエーダーの表面を流れる水の感触を地肌で感じ取るがごとく神経を研ぎ澄ませる。
すでに放った竿の先、細いラインがゆっくりと弧を描く。
どこまでも鋭敏になった感覚は、確かにラインのその先で水を掴むルアーを感じ取っている。
ルアーはよたよたと、流に抗えぬ弱った小魚のようにもがく。
頭の中に半ば確信めいた予感が降りてくる。
流れる。流れる。流れる。
流れて、流れて… そうここ。
頭の中でもがいていたルアーめがけて、黒い巨大が躍り掛かる。
その寸分違わぬ一瞬、手元に走る金属質にも感じる手応え。
この感触は、妄想が生み出したのかもわからないまま、体は無意識大きく竿をあおった。
確かに竿は大きく曲がり、次の瞬間猛烈に引き絞られる。
ルアーを流しているとき、いや、先日から地図とにらめっこをして、地形を頭の中で思い描いて今日はここに違いないと妄想に耽っていた時。
自分の頭で描いたすべてと、今水面を割る銀影という現実が、じょじょにフォーカスをあわせるがごとくアジャストしていく。
走る、走る。
居るべくして居ついた流れのその1点。
きたる産卵期に備えて貪欲に捕食するファイターの体格は本物で、川の流れでさらに鍛えられた力はあっという間に竿を握る手からスタミナを奪う。
走る。巻く巻く巻く。
もう少し、そんなときにまた突っ走る。走る。走る。
腕がきしんでいる。リールを巻く手が震える。
傷口が広がって今にもフックが外れるのではないか、川面の岩に巻かれてラインはボロボロではないのか、震えるこの足は取り込むまで滑らないでいてくれるか。
月明かりで眩しいほどの川べりに、やがて観念した丸太のような銀影が滑り込み、
私は最後の力で引きずりあげた。
重厚。そんな言葉が似合う巨大が、呆けたような瞳でこちらを見つめている。
ウェーダーなのを良いことに、そのまま魚の隣にへたり込む。
グリップで下顎をつかみ、持ち上げんとするが、ファイトでへたった二の腕はその重さに震えるばかり。
これだ。この一尾に会いに来たんだ。
満月に照らされて淡く白い川縁で、銀の巨体に見惚れる。
今年もまた、秋がくる。
命を繋ぐ鮎の終わりに、きたる冬に備えんと貪欲な鱸たちが帰ってくる。
車を降りる。
もどかしく装備を着込んで、期待と焦りで震える指はガイドへラインを通す。
振り返って静かに歩き出す。
もう聞こえるのは川の音だけ。
せせらぎの奥に、確かに感じるその気配。
今年もまた、私の大好きな秋に会いに来た。