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人は本当に必要に思ったものしかやらない、やれない。
おはようございます!
私は54歳。48歳のときに適応障害となり、その後休職。復職するも半年ほどで再び休職。そのまま早期退職をした元教員です。
これまで、私の経験をもとに「辞める」ということ、後悔や不安との付き合い方、50代になって考える生き方など、さまざまな視点で書いてきました。
がんばっている50代の先生方へ、特に「辞めたいなあ」という気持ちを抱えながら毎日学校に向かっている先生方を応援する意図で更新してきました。しかし、実際は私が「わたし」に向かって「多分、こうだよね、こうなのかな」なんて感じて対話を重ねるようなnote更新になっているような…。
でも、ま、いいか。
いつのまにかフォロワーが50名となり、読んでくださる方がいるのだと思うと、やっぱりうれしいです。ありがとうございます!
本日は、私が昨年の秋ごろに、決めた、といいますか、気づいたことについて書いていきます。
人は自分が必要に思わなきゃ、やらないし、やれない、ということ。
久しぶりに学校へ
昨年、私は久しぶりに学校の門をくぐりました。それは、わが子も通った地域の学校。5年生の子どもたちにミシンの使い方や縫い方などを教えるボランティアとして、です。
学校ボランティアの案内は以前から回覧板で目にしていました。「やってみようかな」と思ったのは、一昨年。しかし、実際に申し込みませんでした。
昨年の5月でしょうか、6年生のミシンボランティアに応募しようか、と迷いました。こちらも、しばらくして「やっぱりやめた」と申し込まずにいたんですね。
夏休み明けか10月ごろかな、5年生のミシンボランティアのお知らせを目にして、今回は申し込む気まんまんとなっていました。実際にメールで希望日を伝え、その後連絡を待つことに。最初から無理して何日もOKにすると、きっと「ああ、やっぱりやめればよかった」と思う自分が想定できたので、希望日は3日(1回1~2時間程度)だけにしました。
決めた時は「行く気まんまん」だったのですが、当日が近づくにつれ、ちょっと不安に。でも、「ま、最初は1時間だけだし…」と何とか自分に言い聞かせ、あまり考えずにとりあえず行ってみました。
そのかいがあってか、意外にすんなり子どもたちとも打ち解けて、自然な形で作業を手伝ったり、声をかけたりすることができました。「25年教員だったから」といえばそうですが、「別に無理しなくても、このまんまでなんとかなるもんだな」と感じた次第です。
試してみたかったことを、やれたという自信
ミシンボランティアは「無理なく、試してみよう、それでOKだったら、講師とかも考えればいい」と思っての、小さな挑戦でした。
実際にボランティアをやろうと思うまで、ちょっとしたプロセスがありました。生活が大変な子ども家庭の相談をおこなう支援員の応募(落ちる)、特別支援員や言葉の発達が遅れ気味な幼児をサポートする支援員の検討など、さまざまな子ども関係の仕事をチェックし、実際に連絡をとったことがあります。
しかし、いま一歩、踏み出せず、そのまま月日が流れていました。フリーになって将来が不安だから、という理由で講師の仕事を応募しようした時期もありましたが、「今の穏やかな生活から離れる」ことが目に見えていたので、やはり決心がつきません。
そのうち経済的な潤いよりも、ゆとりをもった暮らし、働き方を求める自分になってきました。そのなかで「ボランティア」というかかわり方を選択するようになったのです。
実際に11月、3日間+αのボランティアができたというのは、私に小さくも確かな自信のようなものを与えてくれました。
もしも必要じゃなかったら、やらなかったけど、ハードルを下げて試してみたら、できた、という話です。
心にあることは自然にやろうとするもの
私がそこで気づいたのは、無理に「〇〇せねば」と思わなくても、心の奥で「やってみたいな」「やりたいな」と思うことについては、”絶対に(自分は)忘れないんだな”ということです。
きっと、ボランティアをするまでの私は「学校に戻ってみたいという気持ち」をずっと抱えていたのだと思います。
Webライターの仕事に飽きたとか、やっぱり嫌だとかは思っていません。実際にライターの仕事はひとりで黙々とできるし、何しろ書くことが好きなので自分に合っています。
しかし、25年間やり続けた結果なのか、それとも本心は教育に携わっていたい人間なのか…。いずれにしても、私は、あの空間に今一度戻ってみたい、と思っていたのですね。普通に、自分の気持ちのまま、その空間に触れていたい、という感じです。
講師では疲弊してしまうのが目に見えているし、プレッシャーを感じて新たな責任感で押しつぶされる自分も分かる。だから、ボランティアから…と思ったのは特別なことでもなく、ごく自然な流れでした。
WEBライター主婦を基軸としつつ、慣れ親しんだ場に触れていたい…、そんな気持ちが生まれたのも、私が本当にしたいこと、必要なことに気づいたからです。
やっぱり、焦りや無理は禁物
私は以前のnoteで「辞めたい」と思う先生に対して、「焦らないで」とお伝えしました。自分の声に耳を傾けて、というよりも、答えはおのずとやってくる、といったスタンスでいたほうが、良いタイミングで「その時」は訪れると思うからです。
無理をすると自分のカラダが悲鳴を上げます。そうならないように、自分自身に「キミは〇〇はしたくないんだな、そうか、だったら、こっちはどう、少し気がラク?」と聞いてみる。
あるいは「今やるっていうのはどう?ちょっと気が乗らない?じゃ、もう少し待ってみよう」と、やるのをやめて別の機会を待ってみる。
そんな感じで、自分のご機嫌をとることが大切だと、「ミシンボランティアを決めるまで、実際にやってみる」といった経験を通して再確認できました。
今はこれしかやれない、というスキル
ミシンボランティアを自分が「やれた」と思えた経験は、私に「教育相談員に応募する」という道すじにつながりました。実際に面接までいけるかどうかも、まだわかりません。あまり期待していない自分もいます。
でも、再び学校関連の仕事に応募できた自分がうれしい。
教員時代は「教員しかやれない」と思っていた時期もありましたが、その「しか」という言葉は、選択肢が非常に狭まった状況でのことでした。しかも、本当は「あれもこれもやってみたい」という欲求の塊でした。
今は、教員であったことと異なり、あれもこれもが可能です。選択肢がたくさんあるような、そのような環境に置かれています。でも、焦りや無理はせず「今はこれしかやれないから、これをやる」といった選択がすっきりとできるようになっているのでしょう。
やる、やらない、を決める力が付いてきた。
その結果、次のステップに進みやすくなった。
何でも抱え込んでしまうよりも、かえって自由な感覚で時間を過ごせている今に幸せを感じます。
おわりに:やらないことをやらない自分を許して
この記事を読んでくださる方々のなかに、50代の先生がたがいらっしゃるとすれば、苦しいなら脱いでしまおう、離してしまおう、とお伝えしたいです。
その選択はご自身が一番よく分かっている。分からないとすれば、ご自身の奥の奥を探ってみる。
あるいは「ああ、嫌だなあ」と思う反対を探れば、意外にコロリと自分の本音を拾えるかもしれません。
心の中を突き詰めるのが苦しい場合は、何も考えずにひたすら休むのも有効です。おのずと答え〝やること〟が見つかります。
それは同時にやらないこと(やる必要がないこと)が見えるということ。
やらないことをやらない自分を許す。
壊すよりも続ける、積み重ねることが多い学校組織では難しいことかもしれません。でも、笑顔の先生に教わった方が子どもが幸せを感じられるとしたら、先生にとって幸せな働き方を選択するのは間違っていないと思います。
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