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肩書に「主婦」を外さない理由
人にはいろんな肩書があります。「教諭」もその一つ。しかし、肩書というのは、こうした表現だけでもなさそうです。
「母」「妻」「働く女性」といった表現もできるし、「主婦」もその一つでしょう。Weblio辞書では「主婦」について、”一家の家事の切り盛りをする女性。「専業—」”と表記されていました。
現在の私は「Webライター主婦」。主婦を入れるのには理由があります。それが私であり、大事なアイデンティティだからです。Webライターだけではおぼつかないから、主婦を付けて収めている…という感もありますが、ね。子どもたちが離れて暮らす今は、夫と二人。しかし、家庭を切り盛りしている現状は以前と変わらないように思います。Webライターよりも「主婦」のほうが、私の核になっている、だから「Webライター主婦」。
このように今回は「主婦」について考えてみたいと思います。まずは、私のこれまでの経験をお伝えします。
主婦に憧れ、そして先生になった
私にとって「主婦」は子どものころ、実は憧れていた存在でした。誰かの奥さんになって子どもを産んで…漠然とそう思っていました。その私が最終的に選んだのは、先生という職業でした。
「先生になりたい自分」だったのかどうか、本当のところはわかりません。親の期待や憧れ、社会的な評価の中で生まれた漠然とした未来像だったのかもしれない…。
実は私が選んだのは教育学部のゼロ免課程。教員免許をとらなくても卒業できるといったコースに所属しました。大学時代、私が選んだのは「男女雇用機会均等」や「生涯学習」などのテーマでした。キャリアウーマンとしての自分を思い描いていたのも事実です。卒業後はバブル期の流通会社でキャリアをスタートさせます。しかし、結局自分が求める世界ではなかったと気づき、そこから少しずつ「自分探し」を始めたのです。
児童英語の講師や塾講師、肉屋さん、高原野菜のバイトをしてみたり、海外への夢に挑戦しようとしたりー。そのなかで、なぜか「やっぱり教員になる」と通信教育で免許を取得するに至ります。いろいろな経験を重ねたうえで教職に就いたという、どこか自信のようなものを感じていたと思います。正式に先生になったのは25歳のときでした。
その私が25年間教員として働き、たどり着いたのは「主婦」という役割。先生をしていても「教員主婦」だったのですが、普通は肩書に入れませんよね。それが今は「Webライター主婦」。本来よりも自由につけられることに、フリーランスの醍醐味があるかもしれません。
「主婦」を考える
「主婦」に対して、「何もせず家にいる」というイメージを持つ人はいませんよね。もしもいるとすれば、それは知らないだけ。主婦は家族の生活を軸にした、”人生を創る”、ひとつの大切な仕事です。オーバーかな。
子どもが小さいころの私ー教員主婦ーは、忙しさの中で反省ばかりでした。「もっと優しくできたはず」「もっと時間を割けたら」と思いながら、目の前のタスクをこなしていた日々。それでも今、写真を見返すと、笑顔で遊ぶ子どもたちがいます。その笑顔に、忙しさの中で気づかなかった許しのようなものを感じ、泣きそうになることも。「ああ、あのときもがんばってたな」と思える今があるから、私は自分を誇れるのかもしれません。ちょっと大げさすぎるかも…。
専業主婦として暮らしていたら、また違う道を歩んでいたでしょう。でも、私には兼業主婦というスタイルが合っていたんですね。仕事を通じて得られる充実感と、家庭でのぬくもり。その両方を行き来することで、自分の人生のバランスをとってきたのかもしれません。
自分にとって軸になる「主婦」
そんな私が「主婦」という肩書を外さない理由は、シンプル。それが私の人生にとって基盤であり、家庭が一番大切な場所だから。最近の記事「砂場の話」のように戻るべき場所にようやく帰れたのかなと思います。それは、教員というキャリアを重ねた今だからいえることかもしれません。
50代になり、ふと振り返ると、自分の人生は不完全なようでいて、実はよくできているのかもしれません。家族との関係性が築けていること。それが、私自身の選択の結果であり、なんといいますか、一つのご褒美だと思えます。
主婦になるのは、自分を諦めることではない
誰もがこの考え方に共感するとは思っていません。強制するつもりもありません。結婚という道を選ばず、主婦という役割を最優先にしない生き方もあると思います。けれど、もし50代教員の女性や働き続けたキャリア女性が、心のどこかで「そろそろ家に軸を置いてもいいかな」と思う瞬間があるなら、やはり「主婦になるのは、自分を諦めることではない」と伝えたいと思います。
しかも、今も多分、”主婦”なんですよ。教員主婦。もしも心が疲れ果てて続けられないと思っているとすれば、それは「教員」の軸に寄り過ぎているからかもしれません。暮らすように働くとすれば、肩書は「教員」でも「主婦教員」でもなく、「教員主婦」とシフトチェンジする…。見方を変えてみると、少し楽になるかもしれません。
私は現在、”太陽の光を浴びて、温かいコーヒーをゆっくりいただく”。そんな何気ない日常に、心が満たされることもあります。人生の選択肢は無限にありますが、「主婦」という肩書きを大事にすること、抱きしめるといいましょうか、それもまた、大切な選択肢の一つだと思うのです。
とはいっても、家庭は私の”すべて”ではありません。これまでもそうでした。今もまた、Webライターという片方の肩書きと共にバランスを保っている自分がいます。いえるのは、家庭が私を形作る大事な要素、軸であるということ。Webライター主婦ーWebライターはその時々で微妙に変化しながらも、「主婦」は外せない、と思える自分が、好きです(^_-)-☆。
本日もここまで読んでくださり、ありがとうございました。皆様の心に少しでも共感できる部分、心が軽やかになるところがあればうれしいです。次回もどうぞお楽しみに。あなたにとって、ステキな休日でありますように。
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