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負の感情を抱かないための処方箋|嫌いな人との付き合い方

こんにちは。私は50歳で25年間の教員生活を終えました。現在はWebライター主婦としてマイペースに過ごしています。

このnoteでは私の経験をもとにお伝えしています。現在教員をされている方々の悩みに寄り添いつつ、何かの選択をする際に、少しでも助けになれば幸いです。

さて、本日は私自身がなかなかできない「負の感情を抱かないようにする」方法について考えてみたいと思います。最初にお伝えしますが、こちらは私の場合であって、すべての人に当てはまらない内容も含まれますので、その点、ご了承ください。

好きでない人に対して、いかに自分の感情を克服するかが、〝人間性を高めるために必要なこと〟というより、「私自身が幸せに生きるために必要」と感じていることです。

さて、私にとっての”その人”はズバリ、姑…です。

「姑」という存在は私を成長させたのだろうか

私は姑が苦手なんです。子どものためになんとか今まで我慢をしてきましたが、この我慢はいつまで続くのだろうと思っています。

実際に我慢して、付き合ってきて、人間性ご高まったわけでもなく、結局、幸福感の減少に繋がったと感じているこの頃。

早く手放せば良かったんですよね。姑に振り回されてきたというより、自分の感情にどっぷり浸かってしまった二十余年でした。

結婚したその日にいわれた→
「うちの娘は、ここしか帰ってくる場所がないから、それだけは認めてもらいます」
※正座させられ、二人きりでいわれた・・・マジか、結婚失敗したと思った瞬間(笑)

義父母との同居を解消して引っ越すその日にいわれた→
「あなたは思い通りになって嬉しいかもしれないけど、私がどうかなっても、一切ここに戻ってくる必要はないからね。私にはかわいい息子と娘がいるんだから」
※捨て台詞とはこのこと。言いたくて仕方がなかったんだな(笑)

こんな感じで、ほかに挙げればきりがないのですが、ね。

その姑の話を、noteで発散するしかない私は、人間的にまったく成長していませんね(笑うしかない)。確かに、感謝すべき事柄もあり、そのほうが実際に多いのでしょうが、物事の表と裏をひっくり返すには、「とき既に遅し」の感が否めません。

そこで、私は決めました。所詮、あかの他人なんだから、ほかの人と同じように人間関係を構築しなおせばよい話だと。

①嫌いな人は「放っておく」

この「嫌いな人は放っておく」というのは良からぬ決意かもしれません。しかし、私が自分を生きていくとすれば、ネガティブな感情に執着するほど無駄なことはありません。

そのため、「私はあの人が嫌いなんだからしょうがない。あの人はあの人。私は私で生きていこう」と割り切り、ネガ感情については、放っておくことにしました。やっとこさ、ですが。

放っておくとは、「考えないでポイッと投げておく」ことです。内心、そのネガ感情が渦を巻いて、あの人に降りかかってくれれば…と恐ろしいことを考えてしまいますが、ね。

でも、しょうがない。

②自分からご機嫌を取らない

向うは「圧倒的な姑」でしたから(笑)、この人を超えようなんて、とうの昔に諦めました。第一、自分が一番で、私を常に下にみるような存在ですし。

それでも、私は「自分が人間的に下がってしまうのは嫌だ」といった、なかばプライドといってもよいメンドクサイ感情に押し流され、あの人に優しいことを幾度もしてきました(そこが腐っている…)。

しかし、その自分が許せないんですよね。あとで、後悔することもしばしば。誕生日プレゼントをあげたときも「ありがとう」といわれても、なんにも嬉しくないって、本当に私の心はアウト(腐っている)。

とにもかくにも、昨今の私は「もういいだろう」と収めることができるようになりました。といっても、それはポジティブとはいいがたい決意です。

つまり、これからはご機嫌を取らないことにしました。そう決めたら、楽になりました(単純すぎる)。

③好きなもので埋め尽くす

人生は短い、です。イヤな感情がどうしてもぬぐいきれない場合は、それでもなんとか「放っておいて」しかも「その関連事項をスルー」して、いちいち反応したりご機嫌とったりしない‥‥。それこそ人生の無駄遣い。

自分のテリトリーを守り、私は好きな人と好きなことをして、好き、幸せ、といった正の感情を育てていくー。

こうして、私自身の感情を安定的に、そして穏やかな波に乗せていく。

今後はそのスタンスでいこうと思います。

好き嫌いなく、というのは無理

よく言われますよね。会っている時間が長いほど、親しみがわく、と。しかし、それは相手によると思います。人によっては、会っている時間が長いほど、憎しみがわく、んです。

私は結婚後、7年間義父母を同居していました。限界でした。離れて本当に良かったと思っています。しかし、離れても、なぜか姑の存在が心を占めるのは、私に原因があります。

他人は変えられない、自分が変わるしかない

その意味では、自分がもう少しおおらかになって、姑に接することができれば、それが「本望」であるのは間違いありません。しかし、それが難しいのなら、やっぱり「放って、離れて」おくしかないんです。機が熟すのを待つように…。熟すのがたとえ無いとしても。

外交努力で相当な駆け引きで、戦争を避ける、というのも手ですが、私は外交上手でもなんでもなく、ただただ、「離れる」「逃げる」ことで戦争を避けるしかないのです。あとは神様にお任せ、としておきます。

勝手にまとめ:人生のかじ取りは自分

今回はプライベートにみずから踏み込みました。大袈裟ですけど笑。教員をしていたときにも怒れることもありましたが、今にして思うと、そこまで嫌いになった方はいないんですね。

今後、おそらく、いろいろな場面で姑、あるいは姻族との付き合いが私の頭を悩ませることになるかと思います。しかし、「やれることとやれないこと」「やりたいこととやりたくないこと」が、既にわかっている今ですから、とにもかくにも自分が判断し、何をいわれても受け流し、かつ自信をもって対処していきます。

それができそうに思えている今が、以前の私とは違う。人生のかじ取りは自分です。今後もそれを忘れずに、私は進んでいきたいと思います。

※なんだか決意文のようになってしまいました。

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ひーこ【50代元教員ライター主婦】
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