上手くいかない私の思春期育児〜子供の生きる力を信じると腹を決めた私が見た世界〜20年ぶりの中田島砂丘
20年以上以来の中田島砂丘に
ご縁あって行って来た。
娘が「さようなら中田島砂丘」として
昔見た景観が見られなくなる悲しみや怒りや不条理や、、、そーゆうものを写真を通して社会に訴えている写真家さんの被写体をさせてもらえる事になったから。
駐車場からこの坂道を歩き
海が見える砂丘が広がるのかと思ったら、、、。
砂の壁
砂が飛ばないようにと竹の柵も至る所に刺さって
砂には石やコンクリート破片や瓦など
砂丘に何故ある?と言うものがたくさん落ちてた。
私が見た景色は記憶違いなのか?と思うくらい
景観が変わっていた。
砂に混ざる石や瓦礫やコンクリートの破片も
たくさん落ちてて裸足で走るのは
もう危ないとカメラマンさんも
おっしゃっていた。
この日は、
雲の形も光も空もとても撮影に適した日で
天も応援してくれてるように感じた。
日が当たる時とない時で
見える写真も全然変わって
自然光の威力に畏敬の念も覚えた。
場所だけ指定してくれて
希望だけ伝えてくれて、あとは
娘のしたい表現に合わせて
捉えて撮ってくれるカメラマンさんだった。
色んな負の感情の中から
それを乗り越えた後の少し口角が上がった
表情まで色んな表示をして
表現していた娘を見て、
こうやってあの子の感性に寄り添い
内側の感情を引き出してくれる人に出会えれば
娘はどんどん枠を外し自由に表現していくんだなぁ。
そう感じた。
撮影の合間はベンチコートで暖を取り
なかなかに厳しい寒さの中
薄着に裸足で自分のしたい表現を表す姿勢、
プロとして撮影に臨む姿に
私はとても感動したし
中学生だからと子供扱いせず
1人の女性としてモデルとして
被写体として、
対等に魅力を引き出してくれた
カメラマンさんに
私は敬意を抱いた。
このカメラマンさんが立ってる場所の下には
高度経済成長期に出たゴミが埋められた
埋立地なのだそう。
海岸も50年前よりも200メートルも内側に上がって来ていて、風も強いから砂が飛んでしまう。
埋めても埋めてもまるで臭いものに蓋をしてももう誤魔化せないよと言われてるかのようにゴミが浮き彫りになる。
波打ち際も、ほんの少し先まで来てて
波にゴミが持って行かれる日も近い。
そんな日が来たら海がとても汚れてしまう。
環境問題をとても身近に感じた時間でした。
日が沈む日没の時間には海をバックに撮影できるようスケジュールも組まれていてそこで選択もさせてもらえた。非常に厳しい寒さの中だったから、
あまり無理しすぎないように、頑張りすぎないようにと心配りもしてくれて。
好きな事だからこそ無理をしてしまう。
感性で生きている人に良くある事ですよね。
そこにも気を配ってくれつつの、娘の意思も
尊重してくれる撮影時間でした。
最後海をバックに撮影に臨むか
もう帰宅するかを聞かれたとき、
娘は裸足を諦め靴で撮影に臨むことを
オッケーか、カメラマンさんに聞いてた。
「撮ってもらいたい‼️」
その意思を貫ける方法を探し
カメラマンさんの思いとすり合わせる。
彼女はそれが出来るようになっていた。
カメラマンさんは、それをオッケーしてくれて
快く撮影してくれたように見えた。
夕陽をバックに撮影に臨む姿に
なんだか私は心打たれ。
自然の美しさに感動した。
学校という枠にハマれない娘を見て
最初は体調悪くなる娘を見て
このまま行かせたらヤバイと
休ませたのは私だけど
そこから学校に行かない選択をするまでに
私はけっこう足掻いて迷って行かせようとして
腹が据わらなかった。
親の私の不安がとてもあったから。
だけど、娘の生きる力を信じる事にした。
そうしたら世界が変わって来た。
広がったし優しくなったし
心から応援してくれる人や
もっと素敵な経験させてくれる人と
出会えるようになった。
今回もそんな1人の素敵な女性の感性が
繋げてくれたご縁でした。
子供の成長を、我が子と同じように包み込む愛で
応援してくれた素敵な女性のおかげで
娘はまた新しい世界を見せてもらうことが出来た。
「やってみたい?」
と、彼女の良いと思った事を
娘に押し付けることなく、
娘の「やりたい!」が出るまで
待ってくれた事は言うまでもない。
そして娘の表現力は、仕事になると
私が私で良いとそう思うような
自信になる経験になったら良いなと
そう思った。
それをさせてもらえて、本当に嬉しかった。
私の育児は、「あなたそのままを応援する」に変わった。兄には兄の、妹には妹の生きる道がある。
両極端な彼らを見ていてどっちかに偏らせようとしたけど、どっちに寄っても上手く行かなかったけど、どっちも良しとしたら、今度は逆に わたしにも自分軸が出来た。不思議な物だ。
軸を持とうとしてた時は持てなかったのに。
大切にしたい相手の心の底からの魂が喜ぶ顔を基準に行動を決めて行ったら、自然とそうなったんだ。
私が人目を気にしなくなった時間だったのかも。
答えは自分の内側と、目の前の大切にしたい子供達の中にすでに自然にあるものだったんだ。
それを間違えて親が不安からあれこれしようとすると子供はとてもしんどいですね。
それをしないようにしようと、立ち止まれて
本当に良かったと思う。
子供が体を張って大切な事に気づかせてくれた。
「相手の生きる力、育つ力を信じる。待つ」
それが私が育児をしてて感じたこと、そして得られたこと。
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