私が私じゃなくなった日


3つ前の記事で
車の音がすごく苦手と書きました。
その理由といま感じてることを整理させてください…
めちゃめちゃ重めです!!!笑
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全ての始まりは祖父が亡くなったことです。
交通事故でした。
家から歩いて30秒もかからない小さな交差点。
高校卒業してまだ2.3日の私は
男の人の叫び声と衝撃音がその日の目覚ましでした。
そして私は知りました。
それが祖父の最期の声だということを。

読んでわかる通りこれが全てです。
それに加えて私は自動車教習所にも通っていました。
自主経路設定の運転では嫌でも事故現場を運転して通らなければならない。
免許取得後は何回か運転しただけで
それ以来運転席にすら座れません。
HSPなのも影響していると思います。

祖父が運ばれた病院の匂い
心電図の電子音
たくさん繋がれた管
家族の祖父への声
ベッドのシーツの白さ
外の匂い
空の色
着ていた服も捨ててしまったと思います
その日のことは色鮮やかに覚えてるのに
次の日からの記憶がありません

心を閉ざすというのはこういうことなのでしょう。
自分から感情を動かすことをやめました。
無声映画を生きているのではなく、みている、
行動が感情と結びつかなくなり
何をするにもぼーっとするようになりました。
大学の友達に相談したら
「心ここにあらずっていう目をしてる」
とも言われました。

生きていることが辛いです
生きたくても生きれない人がいるのに
そう感じる自分も嫌です

(ここで私はSixTONESに出会えました。
夢中になるものを見つけないと
ダメになりそうだったから)

現在は戻りつつありますが
それでも急に涙が止まらなくなったり
夜眠れなくなったり
朝が怖くなったり
大きな音に人一倍怯えるようになりました
昔より笑うことも減った気がします
時折後悔が溢れてきて
このまま海にでも沈んでしまいたいとも思います

でも死ぬことに意味があるかといわれたら
ないんです。
だから生きるしかなくて。

いまを生きています。

それ以来目の前の日常
とにかく全力で生きようと
奮闘しています。

伝えたいこと

もし周りに辛そうな人がいるのなら
話を聴くだけでいいので
全部受け止めてあげて欲しい。
私は話すことができませんでしたが
聴いてくれる人がいるだけで
救われると思います。

親にもこの辛さは言えてません。

祖父の死を受け入れているかといえば
正直まだまだです

唐突に日常は日常ではなくなります。

いまを生きる人には
毎日が当たり前にある幸せを
噛み締めて欲しいと
切に願います。

辛くても1人ではありません。
いま悩んでる人の支えになれたらと思って
自分の気持ちを頑張って書きました。
いまも泣きそうです。

もうひとふんばり、今日を生きよう。

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