学生時代を韓国に捧げた私が仕事に韓国を選ばなかった理由
4月に今の会社に新卒で入社して以降、就職について周りに報告するたびに、ほぼ毎回「韓国に関する仕事をすると思った」と言われた。そう言われるのも無理はない。留学を含めた私の大学5年間がほどんど韓国一色だったからだ。そんな私は今、韓国とは全く関係のない仕事をしている。仕事で韓国語は全く使わなし、韓国の会社と一切取引のない会社で働いている。しかし、仕事や会社に不満はなく、非常に充実した日々を送っている。今回は「韓国好きだし、韓国関係の仕事がしたいな」と漠然と考えている就活生のために(なるかどうかは分からないが)、私の就活の話をしようと思う。
私が韓国にのめりこんだのは、高校3年生の冬だった。推薦受験で一足先に大学入試を終え、暇で仕方なかった私は"暇を持て余す人の終着駅"である韓国ドラマを本格的に見始めた。同じタイミングで2歳下の妹がK-popにはまり、あれよあれよという間にシナジー効果で二人とも韓流にハマっていった。私が大学に入学する春にはともに立派な韓流オタクとなっており、十数年来の仲の悪さはどこへやら、東京と実家で夜な夜な長電話をしては韓国芸能ニュースの話に花を咲かせた。
私が入学した大学の学部では、第二外国語が必修科目だっため、中国語、フランス語、スペイン語、イタリア語、韓国語の中から選ばなければならなかった。就活で有利な中国語と悩みはしたが、結局「好きこそものの上手なれ」と信じて韓国語を選択した。韓国ドラマを字幕なしで見れるようになった今では、あの時韓国語を選択して、本当に良かったと思っている。
大学1年生の時から韓国語の授業を取り始め、同時期に取った歴史の授業で韓国現代史の底なしの悲劇に心を奪われた私は、専攻の文学とは別に、副専攻で朝鮮半島についても学び始めた。プライベートではK-pop好きの友人たちと遊び、長期休みに実施される韓国短期留学プログラムに参加するために、毎日バイト漬けの日々を送っていた。
2年間ずっとそんな感じだったので、就職活動を始めた3年生の春の時点で、履歴書に書けることは「韓国語」くらいしかなかった。経済的な理由で韓国留学への道が絶たれていた時で、就活へのカウントダウンが始まり、私は分かりやすく焦り始めていた。
「留学がダメなら仕事で」と韓国と関係のある仕事を探してみたが、少し調べると韓国関係の仕事に就くのは狭き門ということが分かった。何も就活対策をしてこなかった自分を恥ずかしく思い、元々無かった就活へのモチベーションをさらに削られた。「とりあえずみんなやっているから」という理由で、就活イベントに参加したり、インターンシップに応募したりしたが、これといった業界や会社に巡り合うことはなく、ただ時間だけが過ぎていった。
「やっぱり、韓国留学に行こう。」
そう決めたのは、その年の夏だった。就職セミナーや会社説明会に行くたびに"やりたいこと"を聞かれたのだか、当時の私は韓国留学以外思い浮かばず、相手に合わせて嘘の答えを返すことにだんだん嫌気がさしていた。「本当にこれでいいのだろうか」と何度も自分に問い続け、出した結論だった。「適当に就活しても私の性格ではすぐ会社を辞めることになる」と判断し、就活と卒業を一年伸ばすことに決めた。
大学を半年休学し、留学費用をなんとか工面した後、私はソウルへ旅立った。"一年先延ばし"と言っても、ただのモラトリアムになっては同じことの繰り返しになる。そのため、私は留学の間、一つの宿題を自分に課すことにした。それは「自分にとって"韓国"とはなんなのか」の答えを出すことだった。当時、私は"韓国"にハマって2年と少ししかたっていなかった。出会って間もない"韓国"にこだわりたくなる理由は何なのだろうか。留学すれば必然的に"韓国漬け"になる。その時自分がどう感じるのかをじっくり分析したかった。
20卒の就活がひと段落した6月末、私は留学を終え、帰国した。留学前に自分に課していた宿題の答えは、きちんと出ていた。それは、「"韓国"は私にとって"目的"ではなく、"手段"だ」というものだった。
留学の一年間、私はよく学び、よく遊んだ。韓国語も上達したし、韓国人の知り合いもたくさん増えた。しかし、韓国語を話し、韓国について学ぶ日々が、これまでになく楽しかったかと聞かれれば答えはNOだ。韓国文学の授業と同じくらい現地で取った日本文学の授業が面白かったし、日本語でも韓国語でもエッセイや評論を書く時が1番楽しかった。そして何より、留学中最も有意義だと感じる瞬間は、ソウルで立ち上げた日韓学生会の活動を企画している時で、特に韓国語を使う必要がない時だった。
思い返せば私は、中学時代は映画脚本を夢中になって書き、高校時代は自作曲を作っては動画サイトにUPしていた。今まで映画や音楽、そして韓国が別々に好きだと思っていたが、それら全てが「アイディアを形にする」という行為だったことに、自己分析をして初めて気づいた。つまり私にとって「文章を書くこと」、「音楽を作ること」、「韓国関係のサークルを作ること」はアイディアを形にする"手段"であり、ゴールではない。私にとってゴールは「アイディアを形にすること」なのだ。もちろん一つ一つの"手段"に愛着はあるが、特にこだわる必要もない。そう気づくと、一気に私が目指すべき職業の形が見えてきた。
そうやって"宿題の答え"を出してしまうと、2回目の就活を始めてから内定を獲得するまで、それほど時間はかからなかった。「アイディアを形にする仕事」を就職活動の軸にすると、職種は企画職か専門職に絞られた。お給料や残業時間などの労働条件から自分に合う業界を探し、ヒットしたのはIT業界だった。ITか!とはじめは驚きはしたが、よくよく考えてみれば今一番「アイディアで世界を変えている」のはIT業界だ。「私のアイディアでいろんな人の生活が良くなるかもしれない。」そう思うと、これからの未来に胸がワクワクしたりもした。
無事、帰国の1ヶ月半後には第一志望の会社から内定をもらうことができた。私は今、IT会社でシステムエンジニアとして働いている。コロナ禍での入社以降、在宅勤務をしながら、人々の働き方を変えるシステムを作っている。新入社員でも、自分の希望した部署で自分のやりたいことができる今の会社は、とても私に合っていて、同僚の人達もみんな優しい。残業もほぼゼロで仕事も楽しいので、プライベートまで仕事のストレスを持ち込むことがない。お陰でこうやってブログを書いたり、気まぐれでYoutubeに動画を上げたりできている。今のところ満足、大満足だ。
私の場合、「表面的な好きなこと」にとらわれず「本質的な好きなこと」を見つけて就活すると上手くいった。韓流が好きだったり、韓国語を学んでいたりするとついつい「"韓国"を仕事にしたい」と考えがちだ。しかし、"韓国"との付き合い方は何も仕事だけではない。趣味や友人、恋人関係だったり、いろんな選択肢がある。語学が得意でも「絶対に仕事に生かさないといけない」というわけでもない。私の場合、ドラマを見るときやオタ活をするときは十分知識や能力を発揮できているし、友人関係でもかなり恩恵を得られていると実感している。
逆に、私の周囲で、韓国関連企業に的を絞って就活した人の苦労や、就職できた人でも仕事で悩んでいるという話を聞くこともある。特に、某大手韓国企業に就職し、"成功した"と留学経験者の中で噂されていた先輩から「仕事は生活のためだけにやっている」と聞いたときは衝撃だった。韓国関係企業に限った話ではないが、苦労して就職したのに仕事内容が合わないと入社後に気づき、すぐ転職してしまう人も少なくないのだ。
個人的に、就活に失敗も成功もないと思っている。人生の中でどういう選択をし、選択の結果をどう受け止めるかは人それぞれだからだ。ただ、「あの時ああすればよかった」と後悔するタイミングは少ない方がいいとも思っている。仕事は人生の幸福度を決める重要な要素だ。今年の就活生たちは、コロナで先が見えない中でいろんな不安を抱えていると思う。私の就活の話が、どこかの誰かの少しのヒントになればと思う。
若い世代は先人の知恵を踏み台にして、より良い人生を選ぶことができる。私のこの経験を、是非踏み台にしていってほしい。