「気遣ってないと見せかけて実はめちゃくちゃ気遣ってるよね」と言われた話③
その願望、いつから?
「あなたは高校の頃になってやっと『本当の自分を見てほしい願望』を自覚するようになったけど、本当はもっと前からあったんじゃないの?それも家族に見てほしいって思ってたりとか」と言われてドキッとした。
さらに「家族の期待に、バスケしてた時から応えようとしてたんじゃない?」と言われ、私はとっさに「それは違う、私に期待していたのはチーム全体であって家族の問題ではない」と否定した。しかし今庄さんは「本当に親が期待していないならチームの期待からだってあなたを守れたはずだ。期待が辛いと思うのは、家族が期待に応えろとあなたに要求していたからなのだ」と。
私は自分の力を家族のために使っている自覚がなかった。家族は結果を私に求めているとは思っていたが、期待しているとは思っていなかった。期待というのは「君ならできるよ!頑張れ~頑張れ~!」というような、期待する対象の素質を認めることが前提になっている。私は素質なんて認めてもらったことはない。取りざたされたことも褒められたこともない。私が持っているものは普通のもので、できることも普通のことだと思っていた。素質という前提がないのだから、自分に向けられたものが期待なんて甘いものだとは思ってもみなかったのだ。
家族に期待されているとも知らなかったのに、まして自分がそれに応えるなど意味が分からない。私は私のために努力してきたんだ。勝利という目的のために。とここにきて、そういえば自分の努力なんて誰も認めてくれないから、結果でそれを測ろうとしていたことを思い出した。結果が出るのは、努力も能力も気持ちも何もかも費やしたからなのだ。(能力≠才能で、能力は努力の延長にあるものでしかないと思っている。)自分は誰より練習を頑張った。能力だって悪くない。最後まで強い気持ちを持ってコートに立ってた。だから勝ったんだ。こう考えることで、誰が認めてくれなくても私だけは自分のことを認めようとしていた。その根っこには結局「誰かに私の外側の部分じゃなくて、内側の頑張っている部分を見てほしい」という気持ちが存在していたのだ。
愛されたくてたまらない
小学生のころ弟を羨ましがっていたことを思い出した。弟は当時勉強や運動や得意なことがあったわけでもないのに存在を肯定されていた。求められるのなんてせいぜい宿題することだけ。私は作文に賞がついても、ピアノのコンクールで入選しても、市の陸上の大会で1位になっても褒められもしないのに。できるのが普通ならできないのは怒られて当然、それなのに怒られないのは弟自身が愛されているから。その中身が愛されているから。そう考えていた。
何もない=愛される論法はこのころには出来上がっていたのだろう。10歳のころ「死にたい、自分の存在意義が分からない」とつらつら書いた紙が担任に見つかり、放課後に話をしたことを覚えている。自分の存在意義が分からないせいでちょっと揉めたら死にたくなっていたし、階段から飛び降りようとしたこともあった。今思えば立派なメンヘラだ。親にもおそらく担任から話がいっていただろうが、何の変化もなかった。年取ったらよくなるだろうくらいの感覚だったのだろう。
小学生の頃、知的好奇心を満たすためだけに○○のヒミツ!系の本ばかり読んでいたが、物語系の話で好きなものがあったことを思い出した。ナビルナシリーズを除くとどちらも「親に愛されたい子供の話」だった。どちらも話の最後には子供が救われるので、自分も救われた気持ちになっていたのだ。
もう1つはさいとうちほ先生の短編の「天使のいる部屋」だ。花乃という女の子は母親に厳しく育てられており、自分はいらない子だと思っていた。しかしある日、死ぬことを決意して入ってはいけない秘密の部屋に入った。そこには自分の写真などがたくさん飾られていて、親から実は愛されてたことがわかりましたとさという話だ。
今書いていて思うのは10歳そこらの子供が、こんな話に自分を重ねて慰めているなんてなんともかわいそうだ。しかし驚きなのは、それが他でもない自分自身であることだ。
家族って何だろう
もっと記憶をさかのぼるとまだ保育園児だったころ、休日に仕事で母親がいないときに「自分の子供よりよその子供を育てるのが好きなのかな?」と思っていたことを思い出した。仕事ばかりしていることを指摘すると「私は家族のためにこんなに頑張って働いているのに!」と喚き散らすので、言ってもしょうがないと思っていた。
父親がなかなか帰ってこないときも「浮気かな」なんてよく口に出して、「ませたやつだ」と母に言われていた。別に浮気していると本気では思っていなかったし、その証拠もなかったので完全な言いがかりだが、家にいないということは、家族以外のものに入れ込んでいるからだと無意識に考えるようになっていたのだろう。
そんな家族で、私が何してても興味なくて、ほったらかしで、「私なんて可愛くないんだな」なんて半ば諦めた矢先にバスケ部が強くなった。その途端に私にあれこれ口出しするようになったのだ。別に自分たちができるわけでもないのに「こんなのできて当然なのになんでしないんだ」「何でこんなバカなことしたんだ」「これをやれ」「練習を怠けるな」「ヘタクソ」「馬鹿」「逃げるな」「もっとこうしろ」「やる気があるのか」など親面してよくこんなことが言えたものだ。コーチにもいつも怒られていたが、「お前ならできると思っているから叱るんだ、我慢しろ」と、怒られるのが嫌だ、辛いのが分かってほしいという気持ちを無視した言葉しか返ってこなかった。
部活動は子供にとって自分の全てをかけるものであっても、親にとっては遺伝子と金と時間をかけたただの娯楽に過ぎない。自分の能力に期待せず、今までの人生でやってきたことに誇りなんてないから、他人の努力に乗っかることも恥ずかしくないし、それによって自分が何かを成し遂げた気になれるのだ。楽して美味しいとこどりするんだから、楽しくて当たり前なのだ。なんてお手軽な人生なんだろうか。期待なんてクソ食らえだ。外野なんてどっか行ってしまえ。
怒るなら褒めてくれたっていいじゃん
家族はいつも「よそ様の前で自分の子を褒めるなんて」と言っていたが、別に家の中でだって褒められたことはない。今思えば、コーチが家に来て昔話ついでに私の武勇伝をよく語るのだが、それを否定せずに嬉しそうに聞くことが彼らにとって「褒める」ことだったのかもしれない。
小4でバスケ部に入り、半年経ったころ初めて公式戦に出た。ケガした6年生の代わりで、自分に役目があったわけでも、何かできると期待されていたわけでもない。相手は強いから負けたのもしょうがないという空気だった。それでも私は自分が出た試合で負けたことが悔しくて泣いた。そんな私の姿を見て母は「恥ずかしいから泣くのをやめなさい」と言った。
すると6年生の保護者が「泣けるのいいじゃん!他の誰も悔しがってないのに。ぽちまるは絶対強くなれるよ!」と褒めてくれたのだ。このときの話を親はよくしているけど、他人の言葉を借りる形ではなく親が考えた褒め言葉を私はかけられたかったのだろう。得点をとれることでも、守れることでも、リバウンドを拾えることでもなく、私の内面を認めてくれる言葉をあの人のようにかけてほしかった。
私の姿
今庄さんの言う通りだった。私はずっと昔から家族に内面を、自分の能力以外を見てほしいと本当は思っていた。でも見てもらえなくて辛かった。「あなたが身につけたものを財産だと思っていないのは、それが強いられた努力の結果だから。強いられた痛みにばかり目が行くから、持っているものの良さに気づけない」と。まさに昔の私には「強いられている感覚」があった。押し付けをやめてくれと言えなかった時点で、私はその立場を甘んじて受け入れ期待に応えていたのだろう。期待に応えていればいつか私自身を見てくれるかもしれないなんて夢見ながら。
それぞれの記憶をただの点として思い出すことは今までにもよくあった。でも全ての点を結ぶ一貫した線を引いてもらえたことで、望みの出所や自分の姿を知ることができた。
「あなたが子供のころ、母は保育所で他人の子を育てていた。自分は選ばれなかった。選ばれるには本当の自分を殺して親の期待に応え続けるしかなかったのではないでしょうか」と言われて、「かわいそうですね」と私は他人事のように答えた。泣きそうだったのを実は我慢していた。しかし彼女が「かわいそうやろ!」と涙を流していたことに驚いて、「私のために泣いてくれるんですか?」と聞いた。「だってかわいそうやん!」と返事が返ってきた。このとき初めて「これは本当は泣くようなことなんだ、泣いてもいいことなんだ」と分かってやっと涙を流すことができた。辛くないって思わないとやっていけなかった。
私のこれからと「ちっちゃいちゃん」
家に帰るまでの道で、私はたくさんの「そういえばこの時辛かったな、かわいそうだったな」を思い出した。今庄さん風に言えば「ちっちゃいちゃん」なんだろうが、私にとってもっとわかりやすく言えば亡霊みたいなものだ。苦しみや痛みから亡霊は生まれて、一度取り憑かれると取り憑かれる前の本来の自分を忘れてしまう。彼らの痛みを理解してあげて、いるべき場所に丁寧に帰してあげないといけない。これがきっと自分の能力を良いものだと認めるために必要な作業なんだろう。
彼らの行き先は「親のせい」にカテゴライズされるのだろうが、それでいいのだと彼女は言う。「親にはしてもらったこともされてしまったことも返せない。終わったことは終わったことだから、現在の親にではなく、過去の親のせいにしておけばいい」と言われて、確かに返せないもんなと納得した。
私にとっては、恨みのやりどころよりも、過去の自分がかわいそうだときちんと思えるようになったことが嬉しい。悲しみや恨みを手放すのではなく(実際手放せるものでもないと思うが)、存在を認めて消化することが大切だと、単なる言葉ではなく、実感を伴って理解することができた。これからもずっと自分の中に居続けるという点では亡霊を例えに使うのはやはり違うのだろう。うまい言葉があるといいのに。
今まで過去という沼の底をさらって隠れているものを見つけた。今度は今私が何をしているのか、なんでこんがらがっているのか考える必要があるだろう。
続く
===================================
エッ!?
こんなに書いてるのにまだ終わらないの!?
女子会ってヘビーだな!