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昔とは、違う自分
つい先日、同棲中の彼氏とトラブルがあった。
恋人ができるとつい、自分のことに集中し忘れて共同生活を優先してしまうので、頭の中を整理し、舵を取るにはいい機会じゃないか。
そう考えてここ何日か過ごしていた。
今日は久しぶりの雨模様で、部屋がいつもより仄暗い。
一人の静けさと相まって心地よさを感じた。
youtubeを見てごろごろしていると、オスカーワイルドの動画が出てきた。
就活がうまくいかなかった2,3年前に、気の合う先輩から教わった作家だ。
作品そのものよりも、彼が遺した言葉に共感できるのではないかと勧められた。
あの頃と今とで、感性に変化が生まれたのかどうか
少し興味が湧いて見ることにした。
結論から言うと、変化は無いような気がする。
(というか、前にどの名言を読んでどう感じたか忘れたから比べようもないよね)
それでも、共感することは多かった。
Life is not complex. We are complex. Life is simple, and the simple thing is the right thing.
(人生は複雑じゃない。私たちのほうが複雑だ。人生はシンプルで、シンプルなことが正しい。)
いや、ほんとそれなーって感じ。
自分が一番拗らせてるんだよなーって。
2,3年前の私は、拗らせていることは感じ取れても
どこがこじれてるのかは全く分からなかった。
気になって日記を遡ってみると、なんだか刺々しいこと、頭でっかちなこと、ジャックナイフのような疑問(こういう危ない発言良くしてたなぁ…)などなど
悪いと断じることはないけど、やっぱり今とは違う。
この前今庄さんと会った時に「口元が柔らかくなった、それはきっと言葉が変わったから」と言われたが、これを見ると納得するしかない。
日記はtwitter程度の文字数で、その瞬間思いついたこと、感じたこと、忘れないようにしたいことを書いている。
自分の望むものが何なのか、何にワクワクするのかわからないのは、単に経験そのものの絶対量(≒インプット)が少ないか、私自身の感度が悪いかなんだよな。
就活すると耳にタコができるほど聞かれる。
「ワクワクすることってないの?」「10年後どうなりたいの?」と。
当時は本当に楽しいことが何かわからなかった。
自分の「べき論」でくくられた視界には何も映らなかったから当然だ。
今同じ質問をされたら「ワクワクすること?人と会うこと、なんかの会合に参加すること、人としゃべること」と答えられるだろう。
「10年経つまでに個人で仕事取れるようになりたい」とか「実績積んで、勉強もして、望むジャンルや媒体に行けるようにしたい」とか。
具体的な目標にするには、自分の適性や持っているもの(語学力など)とのすり合わせが必要になる。
最近はできること、できないこと、好き嫌いなども色眼鏡抜きで見れるようになったので、それもスムーズにできるんじゃないかな、と思っている。
自分のことをかなり褒めまくったが、
今は自分を育てるのが一番の投資だと思う。
誰かに大切に育ててもらえなかったとしても、代わりに自分でできるようになりたい。
と書いたように、今はこれでいい気がする。
やたら厳しくしても期待ほどの効果は無いし、なにより継続できない。
人間意外と3年あれば変わるもんだなーと驚いた秋雷の日だった。
(日記も、続けててよかった~~~~!)