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取り壊された記憶

取り壊された実家には、父が自分の手で建てた大きな仕事小屋があった。
(父はプロが使う道具を取り揃えて、なんでも自分で作ってしまう人だった。ネットもない時代にどうやって手順を学んだのだろう。)

仕事小屋の壁が重機で剥がされると、家族も知らなかった小さな屋根裏部屋があり、古いものがたくさん詰め込まれていたという。
ものを捨てない両親が押し込めたものなので、価値のあるものはないと判断され、ショベルカーは、小屋ごとすべてを砕いた。

その瓦礫の中に骨董品のようなミシンがあったという。
シンガーの足踏みミシンだ。

母のミシン

送られてきた写真は無残だった。でも、私は、そのミシンが輝いていた姿を鮮明に思い出した。
幼い頃、なんて綺麗なんだろうと思った。いつまででも見ていられた。
黒いボディーの曲線も、精巧に作られたどんな小さな部品も、あちこちに繊細に彫られた金の装飾も、すべてが芸術品のように美しかった。
木のテーブルからポップアップのようにミシン本体が現れる仕掛けは魔法のようで、カタカタカタと針の進む音も、足踏みの滑らかな動きも本当に心地良く、うっとりした。

母は、洋裁ができなかったし、当時は、家業で忙しかった。
母がそのミシンを使っていた記憶は薄い。
では、カタカタカタとミシンを使っていたのは、誰だろう? 一時期だけ家事を手伝いに来てくれていた遠い親戚の女性? 
記憶の中で幼い私は、一人でミシンを撫でている。

ここまでの装飾はなかったが、イメージはこれに似ている。写真はここから。

引っ越して、電動ミシンが家に来た時、母は「すごい、すごい」と喜んでいた。でも、プラスチック製の電動ミシン本体に、美しさは微塵もなく、針の進む音は工場の音で、電動レバーは調節が難しく、硬いバネがギシギシ鳴った。
足踏みミシンの方がずっとよかったのに•••、あれを捨ててしまうなんて•••。小学生の私は寂しかった。
足踏みミシンは、ずっとあったのだ。私が知らない場所に。そこで半世紀以上を生き、この猛暑のなか、突然、葬られた。

美術工芸品のようだったあのミシンは、当時、とても高価だったはずだ。若く経済力のない両親には買えなかっただろう。
あれは、母の嫁入り道具だったんだろうか? 裕福だった母の叔父からの結婚祝いだったんだろうか? 
今は、もう聞ける相手もいない。

ここ何年も、私はミシンが欲しいと思い続けている。母と同様に洋裁はできないので、買ったところでそれに見合うものは作れない。それでも店を通るたびにミシンを見つめてしまう。手で何かを作ることが、昔から好きだったせいだと思っていた。

そうではなかった。
ミシンは、幼い私を魅了した特別なものだったのだ。

実家が取り壊されたいま、私と遠い過去を結ぶ「もの」は失われた。
年を取るほど、私は、私の人生の始まりを知りたいと強く願うようになった。私を作ってきた土台に何があったのかを知りたい。
記憶はあまりにも薄く、記憶を蘇らせるものは失われ、話を聞かせてくれる人もいなくなったいま、その思いだけが、より切実になっている。


親、育児、植物など、Life(人生・生活)を描いたエッセイ集
『「できる」と「できない」の間の人』(晶文社)
 (上記のエッセイは書き下ろしです。このエッセイ集には含まれません。)

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