後悔
後悔はありません。
んなわけねーと自分は思う。そう言うことが美しいのか。そうでないのか。
幸せかどうかは単純に比較ができない。今幸せかどうか答えるときには、あり得たかもしれないもっと幸せな今に目を瞑っているから幸せだと言える。のかもしれない。だから幸福度は統計の世界において、判断材料としては弱い。
このまんまの言い方ではなかっただろうけど、今自分が言葉にするならこんな感じ。これが、大学時代に自分にとって一番ためになったなと思うこと。気づきであり、学び。大学に行った意味はこれを聞くことができたことだとさえ思う。
確かに幸せって感覚の話だから人それぞれだし、不確実だよね。って簡単な答えを出すのではなく、その先をこの言葉から見たというかね。考えたわけですよ。
結局人は幸せを目指してるから、例え過去に何があろうと、今が幸せに思えるかどうかが大事だと思っていたわけですよ。それまでは。でもさ、今自分が置かれている現状をとりま幸せだと思いたいっていう欲求も人間らしく存在していて。それって目を瞑るってことなんだと。それって真理だなと。確かに人はがっかりしたり、悔やんだりするときに目をつぶる、というか顔隠すよね、手で。とか変に腑に落ちさせてみたり。
我が人生に一生の悔いなし。正直、幼い頃から今まで一貫してこれにはほざけって思います。後悔なんてあるに決まってんだろ。それでも人前では後悔してないと言う美学とかセンスとかの話は置いておいて、それって目を瞑ってんだなと。やらないよりやる後悔。これも目を瞑ってますね。やった後悔より、やらなかった後悔の方が多い。そりゃそうですね、やった後悔に目を瞑ってるんだから。やったからには後悔じゃないって思いたい自分がいるんだろうから。やったことって忘れるし。
自分は、今は後悔してなくても、それが過去になると後悔に変わることが多い。それはきっと目を瞑っていた、もしくは単純に見えなかったもっと幸せだったであろう状況や選択が未来になると見えてくるからだと思う。故に事象が過去に行けば行くほど、後悔は出てくるし、膨らんできている。
過去を遡るタイプではないけど、過去で思い出されるのはほとんど後悔。2:8くらいで後悔。じゃあどうしたらよかったのかと考えても、結論なんて出なくて。その時の最善を尽くしたからしょうがねーだろと割り切れないあたり、生きるの下手なわけですが。それに目を瞑りたくない自分は確実に存在してんのよ。
タイトルに惹かれて、買って読んでみて、今、とても気持ちがいいと感じている本があって。帯書いてる人とか見ると、イメージだけで考えてあーこの人たちがこう言うの納得。となったりして。それでもやっぱ自分もこうありたいというかね。
「1ミリの後悔もない、はずがない」