努力
努力はいつのためにやる?
将来のための努力は、本当に将来のためでしょうか。
勉強を頑張りなさい。将来の安定のために。親やら先生やら大人たちによく言われてきた言葉。あの時頑張ったから、今義務教育を乗り越え、高校に行けて、大学に行けて、社会人になれた。学歴があったから。よかった。
って話に、ちょっと待ったと手をあげたい。
小学校の時、塾へ行っていたのは社会人としてちゃんと就職するため?否、虐められないように何か自分の強みを得たかったから。
中学の時、テスト勉強したのは社会人としてちゃんと就職するため?否、とりまテストで点とらないと親が先生が心配するし、同級生への圧力にもなるし、数年先の高校受験のため。
高校の時、大学受験のためにめちゃ勉強したのはちゃんと社会人として就職するため?否、先生に悪く思われないため。親を安心させるため。大学生になって東京へ行くため。
大学の時、単位を取ったり資格を取ったりしたのはちゃんと社会人として、否。お金を払った親の顔色を窺いつつ、卒業はしたいから。資格取ってる自分は格好いいから。
確かに、今までの努力は結果的には将来につながっているのかもしれない。自分の糧になっているとは思うよ。けど、結局どの時の努力も、ここまでの将来を想像してのものではなかった。小学校から数えたら、15年先の将来のために勉強してるなんて、思いもしなかった。そんな自分がいる一方で、オリンピックでの優勝を夢見るアスリートの卵たちは、一体どれだけ先を見つめてそのための努力をしているのか。果てしない。尊敬する。けどやっぱり、目先の試合が気になるでしょ?
結局、実際に目が届く感覚があるのは1、2年先くらいだろう。いや、もはや自分はその時々の今しか見えてないに等しいわ。自分の過去の努力の数々は、その時々の目的にしか反応できないんだ。そりゃいくら努力しても、先が楽にならないはずだわ。勉強すればするほど、勉強しなきゃいけない方向へと自ら足を進めていくんだから、その場その場で勉強しなきゃならん。
だから、頑張って先を見るのではなく、今をもっと見つめたい。遠いと見えにくいんだから、近くのものを幅広く見つめていたい。この時ばかりは草食動物とかの目のつき方がよかったかも。
将来のために今を我慢することは、必ずしも善じゃない。今頑張りたいことを、今頑張ればいい。だって今の目的が果たされなければ、将来の目的なんてもっと見えてこない。今が満たされなきゃ、一生将来に期待し続ける人生だ。将来のための努力は、今の自分を潰すかもしれない。
今日と明日のことだけ考えてればいい。
そこまでしか、今は瞳に映らない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?